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忙しい忙しい

「忙しい忙しい。」
ある生徒の、口癖のような、独り言のような言葉が面白い。

実際に、島食の寺子屋での日々は忙しいと思う。

ブリ系の中型魚をフィレにする授業を実施する予定でいたとしても、
漁港に仕入れにいってみたら鯵だけが大量にあって、
アジフライ用の開きにする練習にその場で変更になったり。

仕出し弁当作りの時には、「この時期になら、トマトあるっしょ」と高をくくっていたら、「まだミニトマトしか出回っていないんだよね、え、どうする?」というようなことが日常茶飯事。

生徒たちからすると、常に予定変更というのか、そもそも予定すらない状況ともいえてしまう。そして、目の前にあることが終わったら、次々と他の目の前のことが湧いてくる。

校舎外でいうと、離島キッチン海士での実践授業では、提供時間は時間厳守で時間に追われているし、一発勝負のところでは失敗できない緊張感もある。

有難いことに、離島キッチン海士ではとても良いお客様に恵まれていて、最後にお見送りをする際に、笑顔で「美味しかった、ありがとう、1年間頑張ってね」と声をかけて下さることも多い。その声を聞いて、ようやく今日も無事に離島キッチン海士が終わったなと息をつける。

授業だけで考えてみても、「忙しい忙しい」と呟いてしまう気持ちはわかる。

全てが「目の前」にあること。自分で「目の前」にあるものは選べない。それは先生も生徒も一緒。

けれども、忙しい忙しいと言っても、家に帰ってからの時間は、会社勤めをしている人よりかは十分にとれているはず。なんせ、校舎からシェアハウスまでは歩いて5分以内。洗濯物も夕ご飯もお風呂も済ませたとしても、夜9時より前に布団に入れるかもしれない。

それでも、忙しい忙しいと呟いてしまうのはなぜだろうか。
「忙しい」生徒に、なんでなのか聞いてみたところ、家でも畑でも色々とやることがあって忙しいんですよ!と返事が来た。

そんな生徒が、忙しいと呟くのを忘れてしまっていたであろうときの梅仕事の日記を見つけた。家で梅仕事をしている時である。梅仕事は正直なところ手間も時間もかかる、どちらかというと忙しい時には一番億劫になる類のことな気もする。

それでも、その生徒にとって梅仕事は「忙しい」にはならなかった。
自分と切り離された「作業」ではなくて、なにか梅と一緒になって、無心にことが進んでいくような文章だった。

これからも、「忙しい忙しい」と呟きながらも、目の前のことに無心で向き合い続けてほしいと思う。「追われて忙しい」、から「目の前のことに無心に忙しい」へと移っていけるように。

僕はというと、明日に一気に雨が降るという予報を見て、無心に一生懸命に畑の畝立てと苗を忙しく植えた。次の日、予報は外れてカンカン照りの晴れ。

何のために急いでやったんだ~と思ってしまった。けど、また目の前のことに向き合って、まずはたっぷり水やりをするところから始めるしかないのだ。

(文:島食の寺子屋受入コーディネーター 恒光)