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世界との「関係性」について

みなさん、こんにちは。寺戸慎也(てらどしんや)です。

今日は「関係性」について話してみたいと思います。何との関係性かというと「世界」と大それたことなんですが、この新型コロナが蔓延する今だからこそ、考えていかないといけないと思っています。

同じ釜の飯を食う

「同じ釜の飯を食う」という言葉がある。

生活を友にすることで、帰属意識を持ったり、親しくなったりする、という意味だ。

この同じ釜の飯を食って仲が深まるということに、「釜の飯」のクオリティはあまり寄与しないだろう。

居食を共にすることで、同じ時間を共有する、そしてその関係性が変化していく。いや、居食を共にするために、関係を変化させていくという順序が正しいかもしれない。

「友人となぜ仲良くなったか」と問われて、すぐに回答できることは少ない。僕自身は、「あれ、いつ知り合ったんだっけ?」とあまり覚えていないことが多い。みなさんはどうだろうか?

それはいつどこで出会ったか、よりも共にした時間のほうが重要だからではないかというのが僕の仮説だ。

時間を経過するとおこる変化

僕にも古くからの友人というものがある。

その友人たちは、僕の汚点(と、捉えているかはわからないが、少なくとも僕にとっては汚点だ)も色々知っている。

僕は「時間が守れない」。これは中学校か高校生くらいから、僕自身覚えていない。

いつのころからか、友人たちは僕に約束の時間より早めの時間を「約束の時間」として僕に伝えるようになった。

配慮、というか、やむなくという感じだろう。価値観がばっちり合うというわけでもない。でも、なぜか僕たちは同じ時間を共にしていた。

時に価値観の対立は、関係性の破綻を生む。でも、そこに「共に過ごす」という時間のファクターをそこに加えることで、その関係性には変化が生まれる

嫌な部分は、その人のパーソナリティになる。時間の中で試行錯誤をすることで、友人が僕に「少し早めの待ち合わせ時間」を教えていたように、付き合い方を覚えていく。

時間は、僕らの関係性に変質をもたらす重要なファクターだ。

現代社会に蔓延する「コスパ思考」

資本主義社会では、サービスやプロダクトを生み出し、利潤を得ることが求められる。投資家たちは、よりスピーディに投資を回収しようと躍起だ。

サービスを生み出し、競合より先にマーケットに投入する。さらに消費を喚起するために、様々なコマーシャルが打たれ、我々はより「賢い」消費者であることを求められる。

いわゆる「コスパ」というやつだ

そして、その「コスパ思考」は、時間という概念にまで浸食してきている。より短い時間でスキルを修得し、「市場価値のある人間」になろうする。

利益、利益、利益。

僕らは時間を利益に生み出すために費やし続けている。

時間の中で、関係性を結びなおす

友人との関係性について話したように、「同じ釜の飯を食う」ことで変わったのは、僕自身ではない。僕の「時間を守れない」という特性に代わりはない。

変化が生じたのは、僕と友人たちとの「関係性」だ。

ある予測では、新型コロナウィルスが終息するのは2022年となると言われている。医学的な何か、例えばワクチンが生み出されるまで、僕ら一般市民になすすべはない。

僕たちは、政治、仕事、雇用、様々な事柄と新たな関係性を構築していくことが必要だ。

もう新型コロナが蔓延する前の社会に復元することはない。コロナ嫌い!といっても仕方がなく、友人関係と同じように、一緒にいるためにはどうすればいいか考えることが必要だ。

先に述べたように、僕たちはコスパ至上主義で、時間をはじめとする資源を「利益をあげるため」に特化した社会システムを作り上げてきた。

でも、その「利益」というものは、経済活動が止まったこのコロナ影響化においては、ほぼ何の意味もなさないものだったことが見えてきた。

逆に経済活動が止まったことで、世界中の大気汚染は止み、動物たちは活気づいている。鳥の鳴き声が増えたというのも耳にした。

一度足を止めて、アフターコロナの世界とはどんな世界なのか、さらにその世界と付き合っていくにはどうしたらいいか。

つまり、「コロナと同じ釜の飯を食う」のだ。

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