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溺れている若者には、まず浮き輪を投げろ

みなさん、こんにちは。

今回は僕が仕事にしている若者支援に関するお話しです。

最近20代の若者たちと接していて、何か不安定だな、足場がしっかりしていないな、と感じることがあります。

なぜ若者は不安定さを抱えているのでしょうか。その原因は「常に他者と比較される、価値を測られる環境」にあると考えています。

常に他者と比較される、価値を測られる時代

今の若者は、常に他者との比較にさらされています。

メディアやSNSを通して、同世代の若者たちの活躍と比較されてしまいます。少し前までは、TVを通して、遠い人たちだったのが、SNSの中にも「比較対象」が登場しています。

またこれまでは卒業後にはもう疎遠になってしまうような同級生たちの状況もFacebookなどを通して知ることができてしまいます。

また学校制度も「評価される環境」であると考えています。

勉強が人よりできるか、運動は人よりできるか、最近では「道徳」も教科となり、「人として道徳的であるか」までも評価させるようになってしまいました。

大人になった時、スポーツは健康を保つための手段だったり、競争をするものではなくなります。でも「学生時代に運動ができないこと」はからかいの対象になったり、自尊心を大きく棄損し、その後「運動は苦手だからやらない」というマインドを作ってしまいます。

評価は自分の位置を知るためのもので、必要なものではありますが、それによりヒエラルキーが構築されてしまいます。

生産性という名の「おもり」

僕自身は普段、社会参加から遠のいていた人たちと接しています。生活に困ったり、年齢が気になったり、家庭環境が変わったり、相談に来られる理由は様々ですが、社会参加に大きなブランクがあります。

社会参加が遠のいてしまう理由は「社会にでると、評価されてしまう」ことにあるのでは、と考えています。

例えば、「働かないと」と思ってハローワークに行ったとします。

すると「何時間働けますか?」「何か資格はありますか?」「どんな仕事がしたいですか?」と自分の価値を確認されます。

社会経験があればよいのですが、今自分に何ができるのか、ブランクがあり何もできないのではないかと思っている若者たちは、評価されることを恐れ、社会参加へのタイミングが遠のいてしまいます。

自分は社会に何も貢献できていない

そんな自責の念を持っている若者がいます。

一方で、「自分が生産性で貢献することだけが、社会と繋がる方法である」という社会に、僕自身もすごく息苦しさを感じています

生産性がないと、社会と繋がってはいけないのでしょうか。

信頼が報われる経験が、浮き輪になる

社会参加から遠のいている人たちは、「生産性による評価」がおもりになっていて、社会という荒波の中で溺れかけています。

実は、このおもりは現代社会で働いている人たちの足元にもくっついています。

仕事ができないと首を切られるのではないか、失敗したら関係が断ち切られるのではないか…このおもりによる苦しさから、「あまり責任を負わないでおこう」という若者たちが多くなっている気がしています。

これまで述べてきた時代背景をもとに、僕が若者たちと接するときに重視しているの「決して評価しないこと」です。

極力、生産性というおもりの重さを感じないように接していきます。

あ、ここだったら息がしやすいな」という感覚を初回面談で持ってもらえるようにします。

たまにですが、会社組織などの常識に照らしてしまうと常識外の行動をとってしまう方もいます。例えば遅刻だったり、約束を忘れたり。ひどい場合は怒りを表出したり、機嫌が悪かったり。

ただそれでもあなたとはこの先も付き合っていきますよ、という行動をとり続けます。そういう経験を何度も重ねることで信頼が報われるんだ、ここに来たら生産性がなくても受け入れてもらえるんだというベース基地になります。

このベース基地のことを、世間一般では「自己肯定感」と呼んでいるのだと思います。

自己肯定感という言葉に「自己」とついてしまっているので、自分で自分を肯定しなければならないと思っている人が多いように思います。でも、自分で自分を肯定するというのは一歩間違えば自己責任論に陥ってしまいます。

自己肯定感を支えるのは、他者から信頼されていて「ここにいていいんだ」という場所の効果です

この場所の効果による自己肯定感という「浮き輪」を得て、初めて社会でのおもりに耐えられる浮力を得られるのではないでしょうか。

誰が浮き輪になる?支援者も沈まないように…

ここまで述べてきたように、僕は普段誰かの浮き輪の役目を担っています。

ただ、この浮き輪の役目には注意点が必要です。自分が沈んでしまうことがあるからです。

あまり近づきすぎると寄りかかられすぎて自分自身が沈んでしまいます。ただ離れすぎていても浮き輪が届きません。

適切な距離を保ちながら、共依存関係や支配関係にならないように気を付けないといけません。

「浮き輪は多い方がいい」

現代社会は他者との比較に常にさらされていながら、昔あったようなコミュニティ機能が損なわれています。学校や会社という1つのコミュニティに適応できなかったら人生おしまいだ、そんな風に感じている人が多いのではないでしょうか。

でも実際はそんなことありません。いろんな価値観があり、自分が生きていけるコミュニティが存在するはずです。

そんな浮き輪を、社会にたくさん作っていきたいと思っています。それでは。

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