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オラファー・エリアソンに想う〜アートとの向き合い方〜

こんばんは☺︎
ピラティスインストラクターの寺田マリです☺︎☺︎

先日、閉会間近の"オラファー・エリアソン ときに川は橋となる"を観に行ってきました。

東京都現代美術館を訪れたのは2度目で、かなり久しぶり。

"YES.  オノ・ヨーコ"展を観に行った時が初めてで、その時は清澄白河へ行くのも初めてだったからあまり周りの景色とか覚えてないんだけど、改めて見るととても広い敷地だなぁとびっくり。

オラファー・エリアソンは身の回りでも観に行っている人がたくさんいて、前評判でも良いと聞いていたので9月のアート巡りの中ではかなり楽しみにしていたの。

最近よく聞かれる"S.D.Gs"という言葉。

それを体現すべく、さらには、世の中の人に地球が抱える現状を知らしめ、"どうにかしなきゃ、どうにかなっちゃう。けれど、どうにかすることだって不可能じゃないはずだ"というメッセージを見る側に訴えるような作品たち。

廃棄されていく野菜くずから顔料を作り描かれた作品や、CO2をいかに排出させずに作品を輸送するかを考えその道のりそのものをアートにしてしまうところ。

太陽光発電で動く作品の柔らかな揺れる様も、この10年で氷河がどれほど減ってしまったのかをひたすら並べた写真たちも、みんな、これからの時代をどう生きていけば地球全体で幸せを実現できるのかを考えさせられるものだった。

ちなみに作品は全て撮影が可能で、みんなそれをSNSに投稿しているんだけどね。

どの作品もコンセプトやデザインが素敵だし、見る人が実際に体感することで成立する作品ばかりなんだけど、いや、ちょっと待てよと。

なんか、みんな撮ることに必死になってはいないだろうかと。

アートの楽しみ方はいろいろだし、シェアすることによって拡散されるから、オラファー・エリアソンのメッセージも一緒に広まっていったら良いかもしれない。

でも、彼のメッセージまで含めてみんなに届いてほしいなって思って投稿してる人ってどのくらいいるんだろう…

"綺麗だから観に行こう!"も全然ありだし、"アートとふれあうアタシって素敵!"とか、"一緒に観に行ったの楽しかったね!"なんていう思い出でもなんでもいいんだよ?

でもさ、"きれいだったねー!おしゃれだったねー!"の一歩先まで、ちょっと考えてみるのはどうだろう??

そんな話も含めて、ちょっと愚痴っぽくなってしまった話を友人にしたら、「みんながみんな、アーティスティックな感覚で生きてるわけじゃないから仕方がないんだよ。人は人、マリちゃんはマリちゃん。」と。

まあ、確かに。

育ってきた環境も、感じてきたことも、好みもみんな違うのが人間だし、"自分らしく生きること"を一番に伝えていきたいはずの私なのに、こんなことを考えてしまっていた。

見る側がどんな受け取り方をするかは自由だし、私の想いは作者が抱く想いとまるっきり違うかもしれない。

正解はどこにも無いから、正解を見つける必要も無くて、それぞれの想いで受け止め、送り出す。

それで良いんだよね。

でもちょっとだけ寂しかったんだ。

消費されるだけで終わるのには惜しいほどの、メッセージが込められていただけに☺︎

だからせめて私は、想いを乗せて届けていきたいなって☺︎☺︎

今日もお読みいただきありがとうございました☺︎☺︎




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