見出し画像

誰の「思い通りになる」ためにやるんだろうか?(大人ではない)

(写真FIVB)

・みんなが
・楽しむ
・主体的に
・(大人は)怒らない
・試行錯誤の経験
・失敗を恐れず
・オールラウンドなスキル習得
・身体の成長と健康の保障(休養含)
・観察の大切さ

 ここ数年で、日本のスポーツ指導についても、こういったことをみなさん、多くの人が大事で必要だと言ってくれるようになってきました。

 しかし、日本のバレーボールの指導現場では未だに、「やる気あるのか?」、「だから勝てねーんだ」などといった高圧的な指導が多く見受けられています。なぜでしょうか?
 そういう環境下で過ごした子供たちは、

・主体性が奪われ、自ら考えたり創意工夫をしなくなる
・試行錯誤の機会がなく、思考力が育たない
・チャレンジング・マインドが育たず、ゲームでリスクを負わなくなる
・時間をかければできる目指すべきスキルに到達しない
・セルフトークや他者とのコミュニケーションをとれなくなる


など、挙げればきりがないくらいのデメリットが生じてきます。それでもバレーボールの指導現場で高圧的な指導がまだまだ多いのはなぜでしょうか?

 今回は、バレーボール指導者の「大人の事情」、「待てない大人」という側面で考えてみます。

 今回は、さらにゲーム(試合)や練習の場面や局面に対する具体的指導事例について投げかけを行います。

「待てない」=「思い通りにならない」ことでイラつく大人

 怒る、怒鳴るは論外のこと、いちいちああだこうだとリアクションアプローチなどで、選手の主体性や試行錯誤の機会を奪う指導、ミスや失敗をさせない指導は、選手の思考力や成長思考が育たなくなるだけではありません。特に子供年代であれば、自己肯定感や自信を低下させ、人間的な発育にも害が出てくるのではないでしょうか?
 もう、「指導」ではいけないのかもしれません。指導ではなく「コーチング」とか「サポート」。指導者ではなく「コーチ」と言えなければならないのかもしれません。

「今の失敗をさせない」ことで奪われる将来性

 日本のバレーボールの指導現場のにおける、指導の「あるある」みたいなものについて、今回は精神論以外の、具体的な技術指導などについて挙げてみます。みなさんも、きっとどこかで見聞きしたのではないでしょうか?
 とにかく、「失敗(ミス)させない」感が強いです。そのため、時間をかけてできるようにすることよりも、ショートスパンで(指導者の)「言った通り」に目に見えてできるように・・・というパターンになることが多く、結局「小は大を兼ねない」指導、「木を見て森を見ず」指導になっていることが多いです。
 バレーボールのアンダーカテゴリ各年代の中で、「今の失敗をさせない」ことで奪われる将来性というものがあると考えます。そして、「教え魔」化した大人と、「教わり魔」化した子供たちの関係性がいつの間にか出来上がっていきます。そうなってしまうと、指導者である大人にも、選手である子供たちにも、主体的な試行錯誤が生まれにくくなっていきます。
 日本のバレーボールの指導現場で、今もなお見られる代表的な指導例を挙げておきます。

バレーボール指導の「当たり前」を見直す時

①「柔らかいハンドリング」が巧いとする指導風土
 日本のバレーボールの大きな問題の1つである、オーバーハンドパス(セット)のキャッチ問題。子供年代では多少はしょうがないという人から、キャッチを改善したいけどなかなか直らないと困っている人など、さまざまです。

 選手キャリアがある人にとっては、オーバーハンドパス(セット)のハンドリング等に対する「感覚」は豊かなものがあるのだろうと思います。人によっては「手の中にボールを入れる」とか「手の中で時間をつくる」といった「感覚になっている」くらい、巧みなボールコントロールを習得している人が指導していることも珍しくありません。
 でも、実際起こっていること(=動作原理)は、そのようなハイレベルなプレーヤー感覚を言語化したものとは違います。
 ですから、「ハンドリングの巧さ」=「手首の柔らかな操作」=「手首を使って」=「キャッチ&リリースの速度を上げる」・・・といった誤った解釈による指導が後を絶ちません。
 そしてプレーヤーをされていた方が大人になってからレフリー(審判)をなされていることも多いため、そのような主観的感覚的なものが、判定にのあいまいさにもつながってしまっています。

②とにかくネガティブなブロック指導
 ブロックというのも、練習の成果が目に見えて試合で発揮されるというのは一朝一夕にはいきません。
 日本のバレーボールにおける「ブロック」の練習のウエイトは、特にアンダーカテゴリではまだまだ優先順位が低い状況にあります。しかし、バレーボールのゲームの構造上、ブロックは大変重要なものである、ということは周知の事実です。
・子供の発育過程において、身長の高低の問題がある。
・ブロックの効果というのは、シャットアウト以外はノンスコアリングなものであり、ブロックの練習効果や得失点のゲームへの影響が見えにくい。

 こういった要素が、ブロック練習が後回しなりがちにさせています。身体の発達途中にあって、ネットから手が出ないから、ブロックは練習しなくてよい、試合でやらなくてよい、こんなことが未だに聞こえてきます。
 また、ブロックにおいては、「吸い込むな」、「そろえろ間を空けるな」ということが最初から求められ、最初からネットに身体を正対させたままでのサイドステップからブロック地点での直上ジャンプすることが求められたりしています。
 特に「スイングブロック」や「リードブロック」の導入が大変遅れています。高校生年代でもあまり取り組まれていません。
 スイングブロックをさせない理由としては、「空中でブロックの完成がしきれずボールを吸い込んでしまう」とされたり、リードブロックをさせない理由としては、「ブロックが遅れる・間に合わない」とされたりしています。しかし、いずれもスイングブロックやリードブロック自体が悪いのではなく、いずれも「(練習を)させていないから」に他ならないわけです。

③「フォロー」「カバー」を最優先させる指導
 小中学生のころから、被ブロックに対するフォローをものすごくしつこく練習するわけです。とにかくボールを落としくないゆえの、被ブロックフォローを最優先させます。ですから、アタック枚数を確保し、将来的にはシンクロ攻撃につながるような、アタックの数的優位という視点にいつまでも立てないのです。
 これも「大人が先回りをして失敗(ミス)をさせない」現象です。つまり、仕掛けてみたアタック(スパイク)が、ブロックされるということを前提としているわけです。
 しかし、被シャットされるボールを考える前にやるべきことがあります。「攻撃の数的優位」の確保です。これは現代バレーのシンクロ攻撃につながる話です。

④「コンパクトなスイング」の謎?
 「スパイクスイングをはやく」これもよく聞くフレーズです。スイングスピードが速い方がいいとは思いますが、スイング速度を上げることだけを目的化してしまった練習が多く見受けられます。
 例えば、指導者の手投げによる低いトスを連続的に速射ヒットさせるような連続うちなどは、見た目選手は急いで、いわゆる素早い動作をしているように見えます。
 しかし、そこで起こっている弊害は、スパイク動作の全体像がないまま、局所的かつ限定的な動作のみの反復となり、スパイクの動作原理から逸れてしまっていることがあります。速射連続打ちなどでは、スパイクのスイングは体幹によって振られるという動作原理をショートカットしてしまい、体幹から連動される体感覚や動作の機能が停止してしまう弊害があります。

⑤レセプション人数は増えればボールは落ちないのか?
 アンダーカテゴリのバレーボールのゲームでは、とにかく「W型」のレセプション、5人によるレセプションを頑なに採用していることが多いです。
 何事にも、目的や効果には一長一短があるものです。5人によるW型のレセプションでも諸説聞きます。これがレセプションシフトのベーシシックなものだという説もありますし、レセプションする人間が3人や4人よりも5人で対処した方がボールが落ちにくいという説も聞きます。また、人数を多く配することで子供たちにレセプション経験を増やすという説も聞いたことがあります。
 ただし、疑問に思う点としては
・なぜ5人のW型がベーシックなのか。
・5人でないとレセプション経験は蓄積できないのか?
・レセプションは人数が多いとエラーは減るのか?
・どんな対戦相手、どんなローテでも5Wである必要があるのか?

などという点があり、
アンダーカテゴリにおける小中高校生バレーでの実践を通して言えることは、
・必ずしも5人参加のW型である必要はない。
・5人じゃないシフトの配し方で、エラーは改善される。
・実戦ではレセプションアタックまでを見通したシフトが必要
・レセプション経験は、様々な場面や機会で経験することができる。
・選手の試行錯誤や気づきを促すためにはシフトは柔軟性がある方がよい。
などということがあり、アンダーカテゴリから、何でもかんでもレセプションを5人のW型で終始しすることには異を唱えます。

⑥「Aパス」から外れる=ミスとする考え方
 レセプションやセッターへのパスなどでは、セッターの定位置に正確に返球する「Aパス」がものすごく要求されがちです。セッターが一歩、二歩・・・と動くようなものは、返球がずれたと評価され、レセプションやパスの返球がミス、エラーとされがちな指導が多いです。また、定位置に寸分の狂いもなく返球する際には、ボールは低めにコントロールされやすくなります。
 これらによって、セッターへの返球は、セッターを動かさないように低めにボールコントロールされることが当たり前のようになっていきます。このことが、現代のバレーボールのプレー、例えば返球のボールをネットから少し離れた位置に高くゆったりと返球して、スパイカーの対ブロック優位性を確保するというものにつながらなくなります。
 また、セッターの育成にも悪影響があると思っていて、ネット際のAパスが返球の前提とした、限定的なフットワークの練習に終始したり、多様な返球への対応力の寄りが狭まったりします。

⑦「サーブミスをするな」による委縮
 
やたらとサーブミスを嫌う指導者が多いです。指導者の胸の内で嫌うならまだしも、選手に対して「サーブミス回避」を執拗に要求してしまっていることも珍しくありません。
 確かに、小中学バレーなどでは、バレーボールの各種スキルが未成熟なために、ゲームの中の至る場面で、失点に直結するエラーやミスが多発します。バレーボールのゲームは「サーブからはじまる」ことから、アンダーカテゴリでは、サーブ力やサーブの精度がゲームの勝敗に大きく影響するのは間違いありません。なので、アンダーカテゴリの指導者は特にサーブミスを嫌いますし、そういう風土の中で経験してきた選手、そして大人になって指導者になっても、そういう感覚を引きずるのかもしれません。

 初心者からの指導では、サーブに代表されるような、エラーやミスには、一定期間目をつぶる必要があります。それがないと、選手たちは常に失敗してはならないという強迫観念に委縮し、その後に待っているはずであろう飛躍的なスキルアップの芽を摘んでしまうことになるのです。

⑧ネットを介さない練習、相手選手のボールの動きがない練習
 バレーボールの「ゲームを成立させる」プロセスというのは、いろんな過程を要するわけです。一方で、「ゲームの成立とは何か?」ということも考えなければいけません。
 ともすると、大人からみた「ゲームの成立」というのは、必要以上にハードルが高いのではないでしょうか?
 初心者でも、バレーボールのゲームを成立させるこはできるはずです。
・ネットがあり、ネット上をボールが往来するラリーがある。
・ネットの向こうの選手の動きがある。
・ネットの向こうからネット上からボールが飛来する。
・ボールを落としてはならない。

最低限、こういった設定があれば、バレーボールとしてのゲーム性が成立します。あとはローカルなルールを、目の前にいる選手の実情に合わせて、カスタマイズすればいいのだと思います。
 しかし、指導現場では未だにどんな風土があるかというと、(大人が考える)バレーボールのゲームができるようになるためには、個別の基本技術を身に付けないと成立しない・・・といった考え方がまだまだ一般的であるということです。
 ですから、バレーボール初心者である子供たちには、長期間延々と、パス練習、レセプション練習、サーブ練習・・・「ゲーム無き反復練習」に明け暮れます。そして、ゲームをするかと思えば、それは大会が近づく試合期になってその時点でスキルが高いと思われる一部の人員をレギュラーと称して固定化しゲーム経験を積ませるわけです。これでは全体の底上げなど達成できるはずがありません。
 「ゲームライク」といわれているように、「実際の試合(ゲーム)のように」試合経験を積むことは大変重要なのです。大人から手取り足取り言われた動きやフォームをするだけでは得られない、「教わらないスキル」がたくさんあるのです。

⑨ブロックがないディグ練習
 ブロック練習に非常にネガティブである以上、バレーボールのディフェンスに関する練習では、ほぼほぼブロックのない練習が続きやすいです。
 これでは、近年バレーボールのゲームの要素として重要な「トータルディフェンス」の構築や育成には行きつかないことになってしまいます。
 小中高校生では、身長が低くネット上で手が出ないからといった理由で、ブロックをさせないまま指導することも多く、余計に「ブロックあるディフェンス練習」が行われにくい実情があります。

⑩「筋力がないから・・・」の謎
 女子は男子に比べて筋力がないから・・・トップカテゴリと違ってアンダーカテゴリはフィジカルが弱いから・・・確かにそういう側面を考慮して、配慮すべきトレーニングがあります。フィジカルトレーニングなどでは、発達段階に応じた負荷や強度をプランニングすることが重要であり、そういうものの中で筋力というものも考慮されます。
  しかし殊更、バレーボールの技術指導において、あたかもまったく異なった原理や理論が存在したりしますから不思議なものです。
 スイングブロックやバックアタックは男子がやるもので、女子には向かない、ディグは女子は止まれないから動きの中でボールを上げる・・・などなどもはや謎理論と思えてしまうものが、未だに乱立しています。

⑪まとまった休養で下手になる?
 まだまだ「質より量」に頼った練習計画が目立ちます。小学生中学生の段階から、大型連休や夏休みや冬休みとなれば、こぞって練習試合、遠征、合宿を入れます。スケジュール感でいえばトップカテゴリ顔負けの練習量です。 
 しかし、オーバーワーク、オーバーユースによる様々な問題や弊害が指摘されています。子供の発育、女性の健康、故障やバーンアウト・・・列挙ししきれない問題が表面化しています。近年では、栄養や食育だけでなく、休養や睡眠の重要性も言われています。
 膨大な練習量になる背景は、特に小中高校バレーでは、選手である子供たちのニーズであるよりも、練習をさせたい大人、指導者によるところが多いです。私もかつて経験しましたが、いわば「練習中毒」みたいな感覚、練習をしておかないと、他チームに溝を開けられてしまうという、自己満的な視点になりがちです。
 確かに初心者や未成熟な子供たちが、長期間の休養を入れると、休養明けは一定期間「ブランク」を発生させます。ネットを越えて入ったサーブが入らなくなったり、レセプションがぎこちなくなったり、スパイクのタイミングが崩れたり・・・。しかし、数日もすれば、それまでにできたことは回復しますし補正されます。また、スキルレベルや経験値が上がるほど、ブランクの幅は小さくなり再現性が高まります。指導者が過度にブランクを恐れているのではないでしょうか?

大人の思い通りではなくて、選手(子供)たちが自分との対話でできるようにするため

「プレーヤーズ・ファースト」
「アスリート・センタード」

と言われるようになってきました。
 主体的に、考えさせる、モチベーションを持続させる、選手を尊重して・・・いろんな要素や視点が含まれています。
 その視点の中で、今回触れたいのは、「物事の習得は、その人本人の中でしか起こらない」ということです。
 私も、指導者の端くれとして、自分の行ったアドバイスによって、選手が変容したりパフォーマンスを上げたりするのを見たり聞いたりするのは、とても刺激的なものです。しかし、考えてみれば、そんなアドバイスや指導法が万人に適合するかと言われれば、そんなことはないわけです。
 英語などの語学学習、ダイエット法、ピアノやギターなどの楽器学習、そしてスポーツでの運動学習・・・あまたいるたくさんの人々が、いろんなメソッドやハウツーを言っているわけです。そして、何か最適なもの収束していくかと言えば、どれも収束はせず、時代とともに流行り、トレンドの出現が繰り返されているわけです。だから、本質は教材やドリル、指導者にあるのではなく、学習者本人の中で何が起きているのか?何を起こせばいいのか?ということになります。
 今回、指摘した話題のほとんどは、学習者、主体である選手や子供たち自身の中ではない、外野の指導者や大人たちの事情によって成り立っていることがほとんどなわけです。
 この「大人の事情」に巻き込むことで、子供や選手の将来性が狭められていることが少なくないわけです。
 大事なことは、大人は、自分の思い通りには、選手や子供を変えることはできない。仮にもしも言った通りになっているとしたら、それがどこかで無限の可能性に蓋をすることで自分の掌の中で転がしているに過ぎないということかもしれません。
 教育界では今、「主体的、対話的な深い学び」というキーワードが叫ばれています。
 しかし、主体的にやらせようとした時点で、主体的なものにはならないと思います。対話をしようとしても、大人や指導者側にもうすでに答えや評価・判断が入っていては、本当の対話は成立しません。深い学びとは何か?まったくもって、まさに深いテーマです。
 ゆえに、大人たちは指導者となって、ああしろ、こうしろ、これはダメだあれはダメだと言っているようでは、未来はないように思います。
 ・選手や子供それぞれに、外からはわからない世界観ある
 ・良し悪しや好みに関係のないフラットな観察
 ・自分との対話を導く
 ・他者との対話にポジティブになる

こういう経験を通して、子供たちが自分たちで何かを気づき、つかみ取り、成長していくことが、本来の「大人の思い通り」であるのではないでしょうか?

バレーボールで子供たちに関わる大人たちへの提言

 バレーボールのコーチとして活動している大人として、
オレが教えた
オレが育てた
オレが勝たせた
オレの教え子
そういうものを全部手放すところから、コーチングのアップデートが始まるのではないでしょうか?
 「教え魔」は選手の試行錯誤や探求を奪う。「教え魔」が「教わり魔」を生んでしまうのです。

 このような共通理解をシェアしていってはどうでしょうか?

①子供も大人も試行錯誤、思考錯誤を大切にしよう。
②試行錯誤、思考錯誤につながる「観察」と「対話」を大切にしよう。
③専門外のわからないことは、「専門家」の力を借りよう。
④一人一人違う。違って当然。(感覚、見方考え方、習得過程、習得速度)
⑤成長は時間がかかる。時間をかけた方がいい。しかも目に見えにくい。
⑥答えは「選手の中にある」、答えを「選手自身で見つけさせる」。その邪魔をしない。
⑦指導者としての自分が「ドラマの主役にならない」ことがカッコいい
⑧選手は、大人(指導者)の思い通りになど動かない。だからこそ奥深い。指導者の観察と対話が重要。
⑨指導者は、「自分の暗黙知の言語化」には気を付けよう。
⓾ルール、動作原理に反した指導はしない。

 日本のバレーボール指導者、特に小中高校生バレーのアンダーカテゴリーで指導されている方は、「みなさん」全員と言っても過言ではないくらい、「コーチングバレーボール」は読んだ方がいいと思います。

 先に挙げた、オバーハンドパス(セット)のハンドリング問題やその指導の在り方なども、このテキストに書かれた内容を読み理解すれば、だいたいは解決されていくと考えます。なぜなら、動作原理を理解しておくことで、感覚的に言語化されたものが正しいとは限らないということが明確になるからです。そうなれば、いわゆる「型はめ」みたいに、画一的に特定の動作を強制するようなことも抑止できるはずです。

 今回の記事に際しては、バレーボールを下図のような構造でとらえることで、さまざまな課題や弊害をクリアにしていく契機になるのではないかと考察中です。詳しくは別の機会にしたいと思います。

画像1

※動画は「Volleyball Canada」より


(2022)