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一泊二日入院:全部本人、見ていない高校野球、上がれない台、眠くならない時間、本が読めなかった日

当日、朝一番に入院し、あれよあれよという間に手術になった。


受付をして病棟入口に向かう。

私が身長体重測定に行っている間、夫は家族付き添い用の書類に記入する必要があったらしい。


「ええと、そこは…」

計測を終えて帰ってきた私の耳に看護師さんの困っている声が耳に入った。

夫のもとに行くと、患者名の欄に夫は自分の名前を書いていた。
付き添い者名のところにも自分の名前を書いていた。
続柄のところには「夫」と書いていた。
名前とあったので、全部自分だ!と思ったようだった。
患者も付き添いも全部本人になってしまった。
その後、看護師さんに違うと言われたため、夫は付き添い者名のところを私の名前に変えていた。どうやら、私が「夫の夫」で、付添い人になってしまったようだった。
明らかに戸惑った看護師さんは、患者名と付き添い者名のところに矢印を入れる形で患者と付き添い者を入れ替えてくれた。
おかげで緊張がほぐれた。

これから過ごす部屋に向かう。
荷ほどきするように言われる。

以下のものは全てとるようにと指示があった。

・まつ毛のエクステンション
・マニキュア、ペディキュア
・コンタクトレンズ、めがね

上のふたつは私には関係なかったが、コンタクトレンズだけはぎりぎりまで装着していたい。裸眼視力が0.02ぐらいであるため、コンタクトレンズを外すと何もかもがぼやけて見えるからだ。めがねはあるにはあるが、めがねをかけて0.1ぐらいしか見えていない。そして、見た感じも割とおもしろいことになる。大学生の頃、アパートに泊りに来た同級生が私の眼鏡姿を見て噴き出したときに実は地味に傷ついていたことを今も覚えている。
看護師さんに聞いたところ、手術室に行くぎりぎり前までコンタクトレンズをつけていていいと教えてくれた。

これからのことについて指示を受けた後、正確な手術時間が決まるまで待つ。

昨夜20時から何も食べていないため、お腹が空いて仕方ない。

しばらくして手術時間が決まり、手術着に着替える。間もなくして点滴が始まった。

このとき、夫はあんなに好きな高校野球を見ていなかった。

コンタクトレンズを外し、点滴の管が付いたものを押しながら手術室へと歩いて向かう。牛乳瓶の底のような分厚いレンズのついた眼鏡をかけた私を看護師さんが優しく支えてくれた。

「よし!行ってきます!」
「えいえいおー!」

そんなやりとりを夫として、待機室のようなところに入る。
0.1しか見えていないが、ドラマで見た世界が広がっていることは雰囲気でじゅうぶん伝わってくる。

4人ぐらいの方が私の周りに集まり、声をかけてくださる。

「よろしくお願いします!」
「おはようございます!よろしくお願いします!」

「唐草さん、今日はよろしく。心電図大丈夫でよかったね!」

先生の声だ。

眼鏡を外し、いよいよほとんど何も見えない中で手術室へ。


手術台に上がるようにと指示があった。

台の高さは、私の胸の高さをゆうに越えている。
点滴の管につながれた裸眼視力0.02の私は考えた。
なるほど、手術の前にはこんなに高いものに自力でよじのぼるのか。
子供の頃は木登りぐらいしたものだが、絶食中で手術直前の今この瞬間にこの裸眼視力で同じことができるだろうか。いや、やるしかない。この台に乗らなければ何も始まらないのだから!
台の上に両手をつき、せーのとやりかけた私に麻酔科医の先生が気付いた。

「あ!台が高すぎました!これじゃ上がれません!、すみません!」

台の高さは変えられるらしかった。

「唐草さん、麻酔科医の〇〇です。まず、心電図の検査をしてくださったこと、感謝申し上げます。本当にありがとうございました。おかげで安心して私は麻酔をすることができます」

先日やった造影剤入り冠動脈CTの話をしているのだなと思いながらも、酸素マスクがついた状態では上手に話すことができない。

「〇〇という薬が入ります。心拍数を遅くする薬も入ります。
では、そろそろ麻酔をかけていきます」

いよいよか。
目を閉じる。

眠くならない。

周りは静かだ。

おそるおそる片目を開けたら、先生を含む5人ぐらいの人が私を見ていた。

しまった、目を開けてはいけなかったか。

もう一度目を閉じる。

まだ眠くならない。

もう一度片目を開いてみる。

誰も何も言わずにこちらを見ている。

気まずくなり、もう一度目を閉じる。

まだ眠くならない。

片目を開ける。

誰も何も言わない。こちらを見ている。

気まずくなり目を閉じる。

もう一度目を開ける。

誰も何も言わない。こちらを…。

なんだかミスタービーンの映画みたいだなあと思いながら、
こんなことをやっているうちに、意識はいつの間にかなくなっていたらしい。


「唐草さん、お疲れさまでした!」

さあ、今から手術か。

そう思った瞬間、数人の掛け声とともにストレッチャーかベッドに移されたことに気が付いた。

終わったのか?

誰かが何かを話しているがよくわからない。
夫が「がんばったね!」と言ったのがわかった。


歯ががたがた震えている。体は動かないのに、歯だけががたがたがたがたと変なリズムを刻んでいる。面白すぎるけれども、笑いたくても思うように声が出せない。

こわくなった。

看護師さんが大きな声で教えてくれる。
手術室は寒いから、そのせいだ、だんだん震えなくなりますと。

気管挿管の麻酔に不安があったが、いつの間にか管は抜かれていたようだ。違和感もほんの少ししかなくて安心する。

一定の時間ごとに看護師さんが来て、体温、血圧、出血量などをチェックしてくださる。意識はぼんやりとあるが、質問に対して上手に答えられていない気がする。

夫はお菓子を食べながら高校野球を見ているようだ。

数時間後、酸素マスクを外してみようと看護師さんが言い、水を一口飲む練習をした。

酸素マスクが外れ、しばらくして点滴も外れた。


そのまた数時間後、歩く練習をした。

今じゃなくても、もう少し後でもいいですからね!

そんな風に看護師さんに何度も言って頂いたが、歩けるものなら歩いてみたい。

起き上がることがこんなに大変だとは思わなかった。パラマウントベッドの力を借り、どうにか座ることができた。看護師さんがまるでアイドルのようにかわいくて優しくて、その声はどこから出ているのかわからないぐらい甘い響きがする。これは現実だろうか?
こういうときにはきまって中二男子のようになる私は予想通りぽおっとなった。うふふ、と私には一生出せないような声を出して笑う看護師さんにつかまり、立ち上がる。どうしますかと言われ、部屋の中を少し歩いてみた。歩くといっても、カラコレスのようにゆっくりだ。部屋の前まで行って、ベッドまで戻った。

それだけのことなのに、看護師さんから恥ずかしくなるぐらい褒めて頂き、そのときばかりは私も調子に乗った。

歩けたので、尿道カテーテルが外れた。


麻酔で頭がまだぼーっとしているのか、読書ができない。
ゆっくり読もうと思って持って行った獅子文六の『やっさもっさ』と仕事関係の大先輩に読んでおけと言われた『月経のはなし』を順に開いてみたものの、同じページが30分以上開きっぱなしになっていることに気付いて諦めた。
高校野球を見てもいいよと看護師さんに言われたが、こちらも何も頭に入ってこない。



その後、食事が出た。
こんなに早く食べていいのか。

さすがに全部は食べられなかったが、まあまあ食べられたことに喜ぶ。

夕方、先生の診察があるという。
入院というのは結構忙しいのだなと驚く。
先生の部屋までは車椅子で行くかと言われたが、看護師さんにもう一度褒められたかった私は、つかまり立ちでも歩いていくことにした。診察後、病室までもゆっくりゆっくりだが歩いたので、何年分ぐらいかわからないぐらい褒めてもらった。

ただし、手術着の紐が外れてしまっており、レスラーがリング入場前にはおるガウンが半分はだけたようになっていたようだ。立ち上がったときに既に脱げそうだったのか、看護師さんが「ああいけない!」と言ってなおしてくれた。もう少しでほぼ全裸で診察室に向かうところだった。

診察時、手術中のことは何も覚えていないというと、先生方があはははは!と笑いながら、それで正解!と言ってくださる。

その後、別の先生が写真を持って病室に来てくださった。
ビフォー・アフターの写真を見たいかと聞かれたので、一応見ておきますと言っただめだ。「見る?本当に見るの?」と先生が笑う。

こんなに短い期間でいろいろやって頂いたことに感謝していること、先生方の対応に感動しているばかりだと言うと、ははははは!と先生が笑う。じゃあ、この病院でよかったですかね?と笑う先生に、首を何度も縦に振る。


高校野球も終わり、あっという間に夫が帰る時間になった。

1時間ごとぐらいに来てくださる看護師さんは夜担当の方に代わるようだ。
交代前の挨拶に来てくださったとき、感激した私は、「本当にありがとうございます。あの、まるで、アイドルみたいです!大変よくして頂き感動しました!」というようなことを叫んだように思う。感謝の気持ちを伝えたいのに「アイドルみたい」のところで声がやたら大きかったような気がしたことを翌日思い出して後悔する。麻酔の影響ということにしておいて頂けることを祈る。

消灯は21時。
全く寝られない。
22時ごろに来てくださった看護師さんに、血圧が87と低すぎることを心配され3回測り直しをしたが数値はそれほど変わらなかった。一日中起きていたからかな、ということで、また後で測るときにみてみようとなった。微熱もあったせいか、少し心配そうな看護師さんをパラマウントベッドの上で見送った。

スペインの夜ご飯の時間は遅い。
しかし、日本の夕飯は18時ごろだ。
この日、早くに夕飯を済ませた私はお腹が空いてきてしまった。
持ってきていたビスコを食べてよいという許可が出て喜ぶ。

机の上に積んであるカロリーメイトみたいなものを見たのだろう。看護師さんが不思議そうな顔で聞く。

「お好きなんですか?」

お腹が空いてはいけないと、夫が置いていってくれたものだろう。まさかカロリーメイトを今この瞬間にそんなに一気に食べるわけがないのだが、夫の心遣いに感謝する。


24時ごろ看護師さんがいらっしゃる。
ムカムカして寝られていない私を見て、あらあらと心配される。
朝3時過ぎにもう一度看護師さんがいらっしゃる。
パラマウントベッドを90度折りにしてまだ起きている私を見て、どうしてかと質問される。

もう6時までは来ないから、電気を一旦全部消してみようと言われ、そうしたところ寝られたらしい。次に起きたときは6時前だった。

そんなこんなで、翌日は朝食、検温、麻酔科医の先生のお話、先生の問診を経て、退院となった。

麻酔科医の先生はとても気にかけてくださっていたらしい。CTのお礼を再びおっしゃり(検査中、私は寝ていただけなのに)、術中・術後に何を覚えているか、何を覚えていないか、トラウマにならなかったか、ムカムカはしないか、こわい思いはしなかったかなどと、いろいろ質問してくださった。

先生は笑顔で退院おめでとうと言いに来てくださった。
経過観察前に心配なことがあったら電話すること、なんでもいいから聞くこ
と!との言葉も忘れずに。

実は私の仕事は分野でいうと医薬に間接的にというのだろうか少しだけ関係している。今回、患者の立場で先生方に接し、その熱意に触れ、感動しっぱなしだった。挨拶や説明の仕方ひとつとっても患者へのアプローチは人によって異なるけれど、皆共通して、こいつを何とかしてやるぜ!という気持ちがあふれまくっている。そのあふれまくっている気持ちの放出のされかたもそれぞれで、それがまた素敵だと思った。

以上は、無事に手術を終え退院できたことへの感謝と、忘れないうちに覚えていることだけでも記しておこうと思って書いた非常に個人的な記録。数日後にある経過観察の診察を無事終えたら、いつものnoteに戻れますようにと思っている。読んで下さった皆様、ありがとうございます。


追申:
今回持って行って助かったもの。

・病院近くのコンビニで見つけたDHCのスペシャルおとまりセット:これさえあれば、シャンプーから化粧水まで全て揃った。なるべく荷物を少なくしたかったので助かった。

・除菌シート:例えばコンタクトレンズをつけたいが、立ち上がって手を洗いにいけないときに重宝した。
・マウスウォッシュ:術後に歯磨きができないとき、気分をすっきりさせたいときにありがたかった。


退院日に食べた杏仁豆腐。
おてだまさん、お勧めくださりありがとうございます。





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