雑記 受け皿はそろそろ
つきものが落ちたように、最近は心穏やか。
出張やイベントなどで毎週の様に人と会い、話す機会が増えたからか。仕事の相談や動きも活発になってきた。
振り返ってみれば、コロナの自粛が気持ち的にも負担が大きかったのかもしれない。娘の小学校入学と感染拡大が重なり、2年生からは児童クラブなども利用できず、なるべく「家を守る」に重きを置いた2年間だった。
守るといっても、いつも家にいて家事を完璧にするということではなく、家族の受け皿として「在る」というイメージ。何かあったらすぐ家に戻って、整えることができる。能動的なものではなく、限りなく受動的で有事の時に機能するための心構え。そのために、自分の容量を多めに残しておく必要があった。
渦中にあると気がつかないものだな、と思う。いつも一人で仕事をしているし、世の中の人と比べて自分は影響が少ないと思い込んでいたのだけど、そうでもなかったみたいだ。
不調だったり思い悩んだ理由を、ザックリと「感染症の世の中だったから」とまとめそうになったけど、もちろん、それだけではない。明らかに身体が数年前とは変わってきている。働き方も考え方も、暮らし方も、5年前とはまるで異なる。変化の大きな時期だったのだ。適応するのに時間が必要だった。
先週末、ひさびさにワークショップのイベントを開催した。絵画教室の先生を招いて街中で工作をし、完成作品を持って大通りを巡回するバスへ乗車するという内容だ。参加は誰でも無料でできる。
一度は雨で延期になり、準備期間がたっぷりあった。企画や運営、告知物などを私が、イベントの世界観を作りあげる作品や会場作り、当日の講師を先生が担当して、存分に力を注げたと思う。
開催への思いをこの時に書いた。
(noteでは私的な記録として書いてます)
たくさんの人が集まりワイワイと過ごす晴天の日。朝からバタバタ会場で動く母親を尻目に、娘もふらりと友だちをつれて参加し、またふらりと帰っていった。頼もしい。
なんとなく、自粛や受け皿生活の終わりを感じた日だった。これから、楽しいことがたくさん待っている予感がします。