まだまだ履歴書は手書きでしょうし、これからも手書きが続く気がします。
本日は、採用側の目線でのお話になります。
というのも、自分が採用されるに至った経緯やその際にどのような競争があってどのような基準で選ばれたのかという話を思い出したからです。
もちろん、自分自身のライバルだった方がどんな方だったかとか、そういう個人が特定されてしまうような話はどこの学校でも一切ありませんでした。
今まで私学を転々としてきましたが、ある学校では「ぶっちゃけ、採用で内定を出していた人に蹴られたから突然募集をかけて、目に留まったのが君だったんだよ~。」みたいなこともありました(笑)
そんな話はさておき。
いくつかの学校(もちろん全ての学校ではない)での採用の経緯を聞いたところによると、意外に大切なのが履歴書の文字だという話になりました。
もちろん、学歴や出身校などの観点からも履歴書は大切です。
今回なぜ履歴書の文字を強調しているかというと、私学でより質の高い教員を採用しようとするときに、学校現場に出てからの職務経歴書などのほうがよく見られている気がしたからです。
教科主任や学年主任の経験や、教育観などが垣間見える志望理由書など、個人の教育や仕事に対する考え方のほうが重要視されていると感じていました。
どの書類が大切か、大切でないかというのは一概にはなくて、どの書類ももちろん大切は大切なのです。
少し話は逸れますが、一定レベル以上の学校であれば、大学での成績(証明書)を重視するところも少なく有りません。
やはり、高校課程を学問の通過点として考えたときに、大学レベルのこともある程度知っている人が欲しいと考える学校も上位校には多いです。
合格実績を出したい思いが強い学校であれば、やはり出身校などが見られがちだと思います。
職員紹介の時に必ず出身大学名を添えて紹介されるという学校もありました(個人情報的にダメだと思うんですけれどね)。
自分自身が合格しているというのは、合格していない人にはない経験なわけですから。
それぞれの書類にはそれぞれの意味があるのですが、履歴書については、手書きだという話になりました。
最低限の履歴書すら書けない人をふるいにかけるためという理由もあるのですが、教員特有の視点もありました。
やはり字面から気になってしまう人は気になるそうです。
達筆である必要はないのですが、自分の筆跡について統一感をもって最後までブレなく書き通せているか。
雑さ加減から性格を判断されるというわけではありませんが、我々教員も生徒との付き合いが長くなってくると、どの生徒がどの文字を書くのかはなんとなく把握してくると思います。
名無しのノートなども筆跡から想像がついてしまう、みたいな感じでしょうか。
そして、そんな生徒についても「丁寧に書いている」ときと「いつも以上に慌てて急いで雑に書いている」ときの違いはやはり我々は感じてしまうわけですよね。
教員に限らず、企業の採用担当の方々も、人を見るお仕事ですから、ちょっとしたことでもヒントになることは多いでしょうし、1つでも多く人物の情報が欲しいわけですから。
志望理由書や他の書類まで含めて全て手書きにはさせないけれど(逆に労力が大きくなりすぎて応募してもらえなくなる)、何か1つ、せめて履歴書くらいは手書きでもいいだろう(デジタルの時代だけど)というのはあると思います。
もちろん、全ての私学が履歴書を手書きにさせているわけではありません。
一部、特に法人が大きいところ(大学関連校など)はweb上にwordファイルが置いてあることもあったり、「ワープロ可」などの記載がある学校もあるように感じます。
いずれにしても人物の評価は、面接を通して行うことができるでしょうし、逆に法人の本部側で採用活動を統括している場合などは、事務局側は活字のほうが見ていて心地よいのかもしれません(教員とは逆に)。
しかし、大半の私学では、面接したり採用試験の問題を作成するのはそこで働いている専任教諭でしょう。
そう考えると、まだまだ履歴書は手書きの風潮は続いていくと思います。
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