見出し画像

フォトグラフィックな毎日

写真が好きだ。

カメラは持ってない。

いつも時代外れのiPhone7で撮る。

技術はない。知識もない。

ただ、写真というものが好きだ。

そこには記憶だけではどうにもならない細部の思い出が宿る。

言葉だけではどうしても思い起こしきれない感情を呼び起こす。

先日のボート部の同期の結婚式。

会場中にボート部での写真があった。

こんなにたくさんの思い出があったのか。

僕らと過ごした日々は彼の人生のハイライトとしてこんなに組み込まれていたのか。

そう思うと、泣かないけど嬉しくなった。

いろんなことがあった。

競技自体はあまりにハードだった。

みんなでどれだけトレーニングしただろう。

地獄のマシン「エルゴ」

スクワットの筋肉的な辛さと、マラソンの心肺的辛さを同時並行で体感する殺戮兵器。

1番辛いのはたぶん、マシン自体の辛さもあるけど、それで高い結果を求められるところにある。

プロ野球選手やアメフト選手、軍隊のトレーニングにも用いられるこのマシン。

これがある日には1日が憂鬱だった。

特に1時間漕。

1時間もあのマシンを漕ぎ続けるのは狂っている。

それをみんなちゃんと言われた通りやったり、ちょこまかサボったり誤魔化したり。

サボることも誤魔化すこともあったけど、みんな頑張った。

勝ちたくて頑張った。

マシンも辛いが、ボート自体はそれ以上に辛かった。

手にマメもできる。

マメはすぐ潰れる。

潰れたマメは絆創膏、テーピング、気合い、感覚麻痺でフタして何とか漕ぎ続けた。

麻痺した感覚が戻ってしまったら最後、また練習に戻るのが辛い。

雨が降った日には雨や練習場所の海水が皮膚に入ってきて拷問のごとく痛い。

マフィアに捕まって秘密を吐かされているわけでもないのに、どうしてこんな痛みに耐えるんだろう。

まるで手の爪を剥がされて、酢に手を突っ込まれているかの様だ。

そんなことしたって、何も吐く様な秘密なんてありやしやいのに。

痛い上に身体が辛い。

筋肉も、心肺も、毎日毎日限界まで追い込んだ。

毎日40kmはボートを漕いだ。

練習に少し慣れてきた頃には練習の強度を上げた。

奴隷だろうか。ここは地下監獄だろうか。

何も考えずただ肉体労働をこなして、それが地上に住む誰かの電力にでもなっているのだろうか。

時にはそんな風に、試合で勝つためであることも忘れて、余計な思考を捨てた奴隷になることでしか辛い練習を続ける術を持ちえなかった。

体だけでなく、心もやられる。

ボートは難しい。

オールを水面に擦ることなく、バランス良くスーッと進むことは本当に難しい。

何をやってもなかなか上手くならない。

上手くいかない時は、時にはクルーとも仲が悪くなる。

お前のキャッチが遅すぎるねん

お前のフィニッシュが短すぎるねん

スライド焦りすぎやねん

もっと腕の力抜いて焦げよ

ちゃんと全力出して漕がんかい

そんなボート用語や根性論をそれぞれがぶつけ合う。

イライラした感情が声にこもる。

何のために練習してたんだっけ?

勝ちたかったんだよな?勝ちたいのは、勝つことを通して、みんなと最高の青春を味わいたかったからだよな?

なんでわざわざみんなと歪み合いながら、こんな辛いだけで、上手くもならないスポーツ続けてたんだっけ?

そう思うことの方が遥かに多かった。

ボート部での4年間の練習は楽しくないことが90%の日々だった。

それでも4年間続けてこれたのは、みんなと遊んだり、喋ったり、ふざけたりする日々が楽しかったから。

このみんなともっともっと思い出を積み重ねて、積み重ねた思い出の一つ一つをもっと素敵なものにしたかったから。

その思い出の数々が同期の結婚式には、写真でたくさん飾られていた。

同期だけで出た試合。

ボート部で初めての賞状。

その試合前の、マネージャーと船も全部ひっくるめて組んだ円陣。

あの時は船がうまく進む感触を何度も味わった。

先輩の卒業式で披露したパーフェクトヒューマン。

あいも変わらず、自分達の代は独特でシュールなことばかりした。

みんなで行ったセブ島卒業旅行。

キラキラが詰まっていた。

全員が集まったのは後にも先にもこれが初めてかもしれない。

でも、この日を境に改めてみんなが最高の仲間であることと、例え10年、20年、30年会っていなくても、いつでもまた再開できる仲間であることを、言葉にせずとも確かめ合えた。

他にもたくさんの写真と思い出が飾ってあった。

今はもうみんな社会人になってしまった。

会社というまとまりの歯車になってしまった。

気を抜くと直ぐ、毎日生きることだけのために過ごしかねない。

でも忘れたくない。

写真に収めたくなる様な毎日を

どんな日々も自分の行動次第でキラキラと輝く毎日になることを。

自分が輝けば、同期のみんなも輝いて見えることを。

離れていても、一緒に練習することはなくなっても、今もまだみんなとの思い出の日々は続いていることを。

こらからも、もっともっとフォトグラフィックな毎日を過ごしていきたいな。

(フォトグラフィックな、なんていう形容詞はございません笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?