YPA大阪1期生公演「Life is the stage」の感動冷めやらぬうちに
「この世は舞台」
このセリフで幕を開けた。
今回の公演は、YPA大阪の生徒たち自身の物語だった。
語り部役の二人の女性の語りから物語は始まった。
「一人一人の人生が物語だとするならば、私たちはその物語の主役、ということになるのでしょう」
妙に心に迫るものがあった。
これらのセリフは語り部役をされていた、僕よりずっと年齢が上の二人の女性から発せられた言葉である。
一人はなんと僕の母親の友人。
もう一人は以前、映画のエキストラでご一緒した70歳の女性。
2人は歌やダンスや演技の合間に毎回登場し、YPA大阪の皆さんや舞台というものの魅力を語ってくれた。
一点の疑いもなく自分の言葉を信じ、年齢を言い訳にせず自らの生き様で体現している彼女たちから発せられたこれらの言葉は、まるで彼女たち自身のドッペルゲンガーかのごとく脳内に響き渡った。
そこから本当に、彼ら彼女らの物語が始まった。
他の生徒、もとい、パフォーマーたちが舞台に登場した。
まだプロではないかもしれないが、心を打つパフォーマンスをする人に対して生徒という呼び方をするのは失礼だと思った。
舞台は普段の練習風景だった。
「ここはもっとこうした方がいいんじゃない。」
「あそこの振り付けの練習一緒に付き合ってもらえる?」
そんな他愛もない日常の風景から突如暗転し、全員の時が止まり、一人にだけスポットライトが当たった。
時が止まった世界の中で、その一人が自分のこれまでの歴史を語った。
「マイケルジャクソンに感銘を受けた。高校では3年間ダンスに明け暮れた。でも、大学に入ってからはダンスに対して距離を置くようになり、気が付けば4年生。周りのみんなが就活をする中で、自分は心のもやもやした気持ちを払拭することができなかった。ダンスをしたい。悩んで悩んで悩みぬいた結果、YPAの門をたたいていた。」
僕と同じだ。
葛藤している。
普通に暮らしたいとも思う。
でも、自分を表現したいという気持ちや、誰かを本気で喜ばしたいという気持ち、普通ではない何者かになりたいという気持ちを、どうしても抑えることができなかったのだろう。
しかも、彼は僕よりもずっと大胆な行動をし、何倍もの葛藤を経験している。
今だって、YCAと比べてYPAの方が圧倒的にリスクは高い。
それでも彼は自分自身が表現をし、それに伴う一切の苦労も全て受け入れて前に進む覚悟をし、その覚悟を全身で表現していた。
その後も時が戻ってはまた止まるを繰り返し、時が止まった世界で4人の語りがあった。
本当はパフォーマー全員の語りを台本に入れたかったけど、時間の都合上5人までになったのだろう。
「小さいころからアイドルに憧れ続けていた。でもずっと行動できずにいた。」
「幼いころから表現者になりたいという思いをずっと、誰にも言わずに隠し通してきた。その思いに嘘をつき続けることができずに仕事を辞めて、YPAに入学した。」
「元々声優になりたかった。それが上手くいかなかっても自分の声は好きだから声を使う仕事がしたかった。」
「元自衛官。前からこの世界に憧れはあったけど、勇気がなかった。そんな時、テレビでサンボマスターさんの出来っこないをやらなくちゃを聞いて、運命だと思った。」
どの言葉も力強かった。
セリフや生き様がとてつもなく力強かった。
でも、力強いのは彼らのセリフや生き様だけではなかった。
彼らの放つ声や、彼らが作る表情と立ち居振る舞いそのものが、なぜかはわからないけど力強かった。
それは強い想いや生き様を持っている人でないと作り出せない物であることは間違いない。
それと同時に、想いや生き様だけではなく、表現者としての圧倒的な練習量をこなした人にしか作り出せない力強さだった。
彼らの圧倒的な表現力に心臓を素手で掴まれた。
(自分はこんなにも何かを努力したことがあるか?)
(誰かをここまで感動させたことがあるか?)
(自分の言葉で誰かをここまで勇気づけたことがあるか?)
どの質問に対しても答えは、「YesでもNoでもない」だった。
もしかしたら、正しい答えはNoだったのかもしれない。
でも、彼らの圧巻のパフォーマンスを見て、ネガティブな気持になることはできなかった。
自分ももっと頑張ろうという気持ちと同時に、自分だって彼らと同じように悩み、葛藤し、何とかして自分の道を切り拓こうと努力して前に進んでいる。
YCAに入学した時点で、彼らと似ているところもある。
それらの事実の方に目を向けて、彼らに負けないようにもっともっと自分も頑張ろうと思えた。
彼ら彼女ら5人のこれまでの歴史や葛藤が語られた後、歌とダンスのパフォーマンスが始まった。
曲は東方神起の「Share The World」。
「あの大空に届くまで 何度でも僕は行くんだ 今こそ超えてゆこう I believe 一つの明日へ」
彼らがなぜこの曲を選んだのかは明白で、おそらく考えるまでもないだろう。
前日も当時の朝もリハで何度も見させていただいたからわかる。
本番が最高だった。
僕は彼らが歌い、踊る様子を上手く表現する言葉を持ち合わせていない。
おそらく、自分自身が踊ったり歌ったりした経験がないことと、舞台やライブを見た経験、本を読んだ経験、映画を見た数、舞台や映画やライブの評論や口コミを読んだ回数などが圧倒的に不足していることが原因で上手く表現できないのだろう。
だから、言い訳がましいが下手なりに自分にできる最大限の言葉で表現させてもらう。
本当に率直な感想しか書けないが、「めちゃくちゃ上手かった。」
自分と同世代、または人によっては僕よりも10歳年下の高校生がこのパフォーマンスをしているという事実にはたくさん思わされることがあった。
そして、生の舞台、生の歌、生の踊りとはこんなにも迫力があるものなのかと完全に魅了された。
舞台を観に行くということを、彼ら彼女らが僕の一生涯の趣味の一つにしてくれた。
こんなに素敵なものを見せられたら、舞台の虜にならざるを得ない。
踊りの上手い下手に関しては一部の圧倒的にうまい人以外は、僕にはよくわからない。
第一線で活躍しているプロならどんなクオリティで踊り切り、どこに違いが生まれるのかもわからない。
ただ、歌に関しては少しだけわかる。
圧倒的だった。本当にあの空間に、そして彼らの歌声に飲み込まれた。
でも、時々声がかすれたりもしていた。
現役の第一線で活躍する人なら、要所でもっと圧倒的な声量を見せつけてくるんじゃないかと思ったりもした。
ただ、そこに妙なリアルを感じた。
彼ら彼女らは声がかすれるかもしれないことを分かっていながら裏声を使い、要所の声量が足りなくなる可能性もわかっていながら全力で踊っていた。
それが伝わってきた。
そこにこそ、「これは彼らの舞台である」ということを感じさせられた。
彼らは自分を表現するという人生の旅にゴールして、そこから余裕のパフォーマンスを僕らに見せびらかしているんじゃない。
僕やYCAの同期のみんなと同じように、今も表現の旅の真っただ中にいる。
気を抜けばすぐに消えてしまう。
自分たちは、「プロ野球のピッチャーが登板間隔を空けるかのように要領よく表現をこなしていたら、すぐにファームへ落とされ、誰の目にも止まらない。甲子園球児の毎日登板さながらに、理屈もへったくれもない全力表現をするしかない。」ということを本能的に理解しているかのようだった。
(うん。間違いなく、無駄に野球の比喩を使わない方が良かったとは思うが、使いたくて仕方がなかったので無理やり使った。YPAのみなさんごめんなさい。)
リハで最初にこの曲を聴いた瞬間の鳥肌は一生忘れないだろう。
あの瞬間の僕は間違いなく、人ではなく鳥だった。(表現ダサッ。)
「Share The World」を歌い踊り終わった後は、演技が始まった。
パフォーマーの女の子の一人が「YPAを辞めたい」と言い出した。
「全然上手くならないんだもん。どれだけ練習しても、理想には全然追いつけなくて、現実ばっかり見えてくるんだもん。」
そんな感じのセリフがあった。
「辞めたいなら、辞めれば。やる気がない人がいたって迷惑。」
気の強そうな女の子がそう言った。
この辞めたいといった子は、roseという歌を通して、自分の本当の心に気づき、仲間の支えのおかげもあって、もう少し頑張ろうと思い直す。
ここでは、軽い振り付けはあるもののダンスはない。
歌の持つ力だけでまっすぐに勝負をしにきていた。
歌詞が英語だから、終わってから調べるまでこんなにも内容とピッタリ合う歌詞だとは知らなかった。
でも、曲の雰囲気とちょいちょい聞き取れるloveという単語だけで言いたいことは全部伝わってきた。
夢を追うからこそ、辛い目にも会う。
でも、夢を追うからこそ素敵な仲間にも巡り会える。
彼女たちの舞台上で演出される友情や、友情を超えた戦友としての絆が全部“愛情”として歌を通して伝わってきた。
曲の雰囲気とちょこっと聞き取れた単語だけでこんなにも伝えられるということに、音楽が持つ力の大きさを身に染みて感じた。
女の子が辞めたいと言い出すこのお話は、もしかしたら努力する人や表現する人あるあるをただ舞台に落とし込んだだけかもしれない。
でも、僕的には本当にこれに似たやり取りがあったんじゃないかと思っている。
本当に胸にジンと来た。
もし違ったなら、それはそう思わせるほどの演技力だったということだ。
この演技は全体を通しても特に、”今の”彼女たちにしか絶対にできない演技だった。
似たような役柄の誰かを演じる機会はこの先もしかしたらあるかもしれない。
でも、あくまでも自分自身として、自分をあそこまで表現する機会というのは、おそらくこの先もうないだろう。
あったとしても、今ほど全力でもがき、自分を信じれなくなりそうになりながらも、何とか強く自分を信じて日々がむしゃらに努力する日々というのは、もう二度とやってこない。
プロになってからの努力と、何者でもない自分が何者かになろうとしてする努力ではまた全く違ってくる。
プロさながらのパフォーマンスをする、まだ何者でもない彼女らの、今しかできない本気の表現を近くで感じ取ることができて本当に良かった。
この演技のパートが終わったら、次はチャラい恰好をした3人が出てきて何やらコメディっぽいやり取りをする。
流石にあの感動的で迫力満点の舞台でコメディっぽいやり取りをしても笑いは起きないのだが、やり取り自体はとてもおもしろく、変な奇を衒ったボケもしていない。
ここにコメディとコントの違いというものがあるとは思っている。
コメディもコントもどっちも笑いを大切にしているが、見て心の中で微笑むだけでもよいのがコメディであり、声に出して大笑いすることが求められるのがコントだと思っている。
また、笑いが主目的ではないのがコメディであり、笑いが主目的であるのがコントだとも思っている。
そこではコメディ調で進めてはいるものの、あくまで内容としては自分がYPA大阪に入学した理由や、親への感謝などを語るものだった。
徹底的に今回の公演というのは、自己表現がテーマとなっているのだろう。
それに、単なる自己表現だけでなく、パフォーマーたち全員になるべく多様なパフォーマンスを経験させることと、見てくれるお客さんを飽きさせないだけのパターンを用意するのを大切にしてたのだろう。
こんなガッツリコメディまでできるということに、YPA大阪のみなさんの表現の幅を思い知らされた。
このチャラい3人のやりとりの最後の、「ミュージック、落とせ!!」というセリフでまた曲が始まる。
そこからがまた凄かった。曲はLet`s ride。
先ほどは歌だけで踊りがなかった。
今回は反対に踊りだけだった。
曲がかかった瞬間のセンターの男の子(以前、映画のエキストラで一緒になった男の子)の踊りがあまりにも激しかった。
曲自体も思いっきりヒップホップというかレゲエというかそういった曲で、THE・男と言った感じ。
もちろん女性も踊っていたが、曲のイメージとして、何かをぶっ壊したり、殴り合いの喧嘩でもしに行くかのような曲だった。
何を表現するために選んだ曲なのかは作家さんあるいは演者さんたちに聞かないとわからない。でも、何となくの想像はできる。
一つは、様々なジャンルのダンスや表現をするため。
もう一つは、舞台の自由さや可能性の広さを表現するため。
そして、そういった目的意外にもやはり何かをぶっ壊してやるという彼ら自身の気持ちも表現されていたんだと思う。
これまで抑圧してしまっていた自分の内なる表現欲求や、社会のしがらみ、自分の将来への不安、そう言ったものを全部ぶち壊してやるという気持ちが表現されていたように感じた。
そして、それは決して自己完結ではなく、我々が抱いている不安や葛藤、日頃のストレスなども全部ぶち壊してくれた。
自分が表現してそれで満足して終わりではなく、彼らは毎回観てくれた観客の心に必ず何かの変化をもたらしてくれた。
それはすなわち本物の表現者だということなのかもしれない。
踊りが終わったら、次はまた演技が始まった。
次は、ヒーローのお話だった。完全にコメディだった。
でも、本当に温かった。
彼ら彼女らが全力で演じていることはもちろんわかるし、でも同時に彼ら彼女らがコメディを楽しんでいるのもすごくわかった。
これに関してもコントではなく、コメディだった。
レッドレッド、グリーングリーン、ピンクピンク、ブルーブルー、ご都合戦隊強引ジャー
吉本の舞台だと感じた。随所に強引ジャーらしい無理やりかつ、面白いと呼べるのかはわからない小ボケがたくさんあった。
でも、これはコメディだから。あくまで表現をしたい何かがあって、その表現の形としてコメディ、すなわち笑いの形態の一つを選んだというだけだから。
彼らは、「舞台ではこんなことまでできてしまう」ということを表現するためにヒーローの物語を選択し、舞台や自分たちの持つ可能性をもっともっと表現するために、ものすごく都合の良いヒーローであるご都合戦隊強引ジャーを演じることを選んだのだろう。
本当に、あぁ舞台ではこんなに強引なことまでできてしまうのかと思わされた。
自分自身が物語を書いてゆくうえでの勉強にもすごくなったし、舞台上での魅せ方(演出)や舞台とはこういうものだというのを教えてもらった。
彼らが舞台の持つ可能性の大きさを表現してくれたおかげで、自分自身がこれから実現しうることの可能性の大きさにも気づくことができた。
あの舞台では笑い声は起きない。
でも、間違いなく面白い。
笑える。
笑い声は出ていないけど、笑える。
別に彼らのヒーローものの演技を見て声に出して笑うわけではない。
でも、ずっと口角が上がっていた。
彼らが全力でコメディを今やってくれているんだと思うと、別に笑い声なんか出なくても、ストーリー自体のおかしさに入り込み、見終わった時に、あー何だか面白いものを見せてもらったなーという気持ちになった。
YCAに通っているために笑い声には敏感になっていた。
でも、鼓膜に届く笑い声だけではなく、観客一人一人の頭や心の中に響いている笑い声まで聞き取ることができるかどうかが、一流の表現者には必要だと学んだ。
強引ジャーの次はまた踊りだった。
マイケルジャクソンの曲で恋を表現していた。
踊りが本当にカッコいい。
もう、ほんっっっとうにカッコいい。
むしろ女性の方がカッコ良かった。
シンプルにダンスに魅せられた。
激しいダンスとかは、テクニックというよりかは表現力って気もしたけど、この曲に関しては、THE・テクニックという感じだった。
もう書きすぎて僕の語彙力が限界を迎えてきている。短いけど、こんなくらいで。とにかく踊りが最高すぎた。
そして踊りが終わったら、最後に舞台上にパフォーマーが全員上がった。
そして、一人一人が自分の夢を語った。
「世界一のダンサーになる」「唯一無二の表現者になる」「僕はヒーローになる」「ミュージカルの主役をする」「自分の番組を持ちたい」、、、、
たくさんの夢が語られた。
どれもこれも僕にとってはすごく衝撃的だった。
「島田紳助さんを超える話術で日本中を笑わせる」「ゆずやいきものがかりみたいに歌で日本中を感動させたり、元気にする」「フェデラーみたいなテニスで世界を股にかける」
僕も昔はこんな夢を抱いていたが、いつのまにか全く口に出さなくなっていた。
確かにこういう夢はもう現実問題叶いっこない。
叶いっこない夢を見ることにエネルギーを注ぐのは、エネルギー効率的に考えて理に叶っていない行動だ。
脳細胞の片隅に追いやって、忘れてしまったかのように毎日を過ごすことは生物としての環境適応本能であり、生きていくために無意識レベルで行われる合理的反応だとも言える。
でも、自分自身の心に聞いてみた。
(実際に彼らの表現を見てどうだった?)
(あの頃のあの感情を思い出してみてどうだった?)
恍惚とした幸せな感情や、全身をほとばしる熱いパトスしか出てこなかった。
あの感情は忘れたくて忘れているわけではなかった。
生物として無意識に行われる合理的反応が必ずしも幸せに直結しているわけではなかった。
生物が無意識で行う反応の多くは自分を守るためか、原始的なレベルでの食欲と性欲を満たすためのものでしかない。
小さい頃に抱いていたあの素敵な輝かしい夢は、今の自分を守ってはくれず、お腹も満たしてくれないし、性的緊張状態からも解放してはくれない。
現実的な短期的目標の方が安心して生きれるし、お金に直結するし、そういった目標を語る方が女にも好かれる。
だから、脳細胞の片隅に追いやって忘れたかのように過ごしていただけだ。
でも、僕たちはより高次元での欲求を持っている。
自分自身を表現したい。誰かに認められたい。誰かを笑顔にしたい。
そういった欲求を抱いていて、それらのほぼ全ては幼いころに抱いていたあの夢たちと繋がっている。
もちろん、現実を直視せずに夢ばっかり語っている人間はバカだ。
でも、バカみたいに全力で夢を追いかける彼ら彼女らの姿は、現実を見て上手くバランスを取りながら安定的に幸せに生きようとしている人間よりも何倍も輝いて見えた。
輝いているとか、熱く燃え盛っている、などの表現は適切ではないかもしれない。
もちろん素敵に見えた。その意味では光輝いて見えたのだが、彼ら彼女らを表すのに適した言葉は「爆発」だ。
岡本太郎の「芸術は爆発だ」という言葉そのままだが、彼らが歩む人生そのものが芸術であり、彼らが舞台上で見せるあの表現力はまさに爆発だった。
自分自身を全身全霊で表現し、人々に向かって、そして己自身に向かって己をぶつけていき、己という存在を宇宙に向かって解き放つ。すなわち己という存在を爆発させる。それこそが芸術である。
彼らは今まさに全身全霊で己を表現し、爆発させていた。
もちろん単なるバカや、夢を追っている自分が好きなだけの人を見ても魅力は感じない。
だから、彼らはバカみたいに全力で夢を追いかけてはいるけど、現実を見たうえで、待ち受ける困難も覚悟のうえで夢に全力で挑んでいる、本当の意味の賢さを持った人たちなんだろう。
彼らの舞台を観て、彼らと同じような生き方をしようと思ったわけではない。
今から全てを投げ打ってダンスや歌や演技に挑戦しようとまでは思っていない。(ちょっとだけ思ってしまってはいる。)
自分はおそらく今後も会社員として働いてある程度安定した生活をしながら、こうやって何かを書くつもりだ。
また、収益目的ではなく自分自身の表現欲求を満たす目的や、文章で表現する幅を広げるための経験の一つとして、趣味で何か舞台に立ったりはすると思う。
でも、その生き方に全力で胸を張ろうと思うし、これまでは脳細胞の片隅に追いやって忘れてしまっていた夢のことも堂々と語るようにする。
今となってはもう叶いっこない夢をそのまま追いかけるわけではない。
あくまで、自分には今もその夢があり、その夢に少しでも近づいたり、違う形でその夢を実現したりするためにも、その夢を平気で口にしようと思った。
彼ら彼女らの様に、自分自身の生き様を舞台であり、芸術であると捉えて、それを自分なりの形で爆発させたいと思う。
自分の夢を語った後は本当の最後に最後。
最後はAIのHappinessを歌って終了だった。
これに関しては想像がつくだろう。
みんなのあの歌唱力で楽しそうに歌っている様は言うまでもなく、歌詞の通り、会場中に幸せが広がっていた。
個人的に歌唱力激推しの2人の女性がいるのだが、その2人がこの曲においても魅せ付けてくれた。
上手い歌ってのはそれだけで聞きにきて良かったってなる。
しかも、プロの歌手のライブを見にきたわけではなく、自分たちと同じようにまだ何者でもなく、必死にもがいている同期がこの圧巻の歌唱力で歌っていると思うと、とても胸にグッときた。
もっと聞きたかったけど、終わりがあるから良いということも理解しているので、少し名残惜しく思いながらも、幸せを噛みしめて終演を見届けた。
以上が、公演を観た感想でした。
めちゃくちゃたくさん書いているけど、まだもう一つだけ書きたいことがあります。
それは、挨拶と態度に関して。
彼ら彼女らは本当に挨拶や態度が気持ちよかった。
やっぱりこれが本来の社会や組織のあるべき姿だと思った。
藤井はだいぶちゃんと挨拶する人間だが、まだまだあのレベルでやってるかと言われると、スイッチが入った時しかやってない。(スイッチが入った時の藤井のハキハキしていることったら、えげつない。藤井よりもハキハキしている人間がいるなら出てきてみろと思うぐらいにハキハキしている。)
それに、「自分はちゃんと元気よく挨拶やってます」で自己完結してしまっている部分があるので、自分だけでなくもっとみんなで士気を挙げていけるようでないといけないとも思った。
YCAの同期はみんなすごく挨拶してくれる。
一方で、会社員には挨拶できない人間が本当に多い。現在は新卒で入った会社から転職して正社員型派遣という非常にややこしい形態の仕事をしていることもあり、今までに4社ほど経験してきたけど、そんなやつばっかりだ。
相手によって挨拶の仕方を露骨に変える人間とかも普通にたくさんいる。
社会に適応してゆくうえで、そういった環境に慣れることもまた必要ではあるけど、慣れすぎて本来あるべき姿を見失うのはあまり良くない。
YPAのみんなのように、あんなに気持ちの良い返事と素直な態度でいられたら、誰でも一緒に頑張ろうってめっちゃ思う。
わかったら大きな声で「はい。」
音声チェックが終わったら「ありがとうございます。おねがいします。」
わからなかったら「ここはこうした方がいいですか?」
などの言葉をハキハキと大きな声でしっかり伝えられる様は見ていてとても勉強になった。
しかも、みんなリハのマイクチェックの段階からめちゃくちゃ全力だった。
みんながみんなこんな風に前向きなチームであれば良いものが作れる。
逆に言うと、そうでないといいチームもいい作品も作れない。
それを改めて痛感させられた。
自分ももっと頑張るぞ!
以上が、藤井がYPA大阪のリハと公演を観て思ったこと色々でした。
本当はもっといろいろと思っていたりもするけど、藤井の言語化能力では、自分の脳内にまだまだたくさんある感情や学びを言葉にしきれず、ここまでしか書けませんでした。
後、一度きりの舞台かつ東京校も終了したとはいえ、書きすぎるのも無粋だと思い、書く内容をセーブしたりもしました。
今回、エラい長文になってまでYPA大阪のパフォーマーの皆さんの公演を見た感想を書かせていただいたのには理由が3つあります。
1つ目の理由は、この感動をきちんと書き留めておかないともったいないと思ったこと。
また、書き留めておくことで自分の文章での表現力や舞台での演出力の向上にもなると思ったので書きました。
2つ目は、もっと多くの人にYPAの魅力を伝えたかったこと。
こんなにも素敵な舞台の存在をもっと多くの人に知ってほしい。
来年の卒業公演や、来年度の学園祭にはもっと多くのお客さんに集まってほしいと思い、書きました。
3つ目は、YPA大阪のみなさんにある想いを伝えたいということ。
YPA大阪のみなさん
「一緒に何か作りませんか?」
小さな小屋を借りて、チケットを死ぬ気で手売りしてやるのでもいい。
いつもの教室でセットを組んで配信するのでもいい。
みなさんの公演を観て、書き手としてじっとしてはいられなくなった。
YPA大阪のみなさんと仕事がしたい。作品が作りたい。
YCA大阪の同期にも素敵な仲間がたくさんいる。
もし、在学中に一緒に何か作品を作ることができるのなら、藤井が信頼を置く最高の仲間を誘って最高の脚本や演出をさせていただきます。
だから、一緒に何か作りませんか?
僕たちに何か書かせてくれませんか?
少しでも興味を持っていただけたら、まずは気楽にお話しさせていただけたらと思っています。
実は明日YPAのみなさんとお会いする機会があるので、その時にでも。
YPA大阪の皆さんのファンです。
素敵な公演を観せていただきありがとうございました。
藤井
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