ナインストーリーズ 笑い男

ナインストーリーズ 笑い男

p92 《笑い男》
一九二八年、私が九つのときである。私は〈コマンチ団〉という団員の一員で、団結心のきわめて旺盛なメンバーであった。

p202《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
わたしの両親は一九二八年の初頭、まだ冬の季節のうちにりこんしたのであるが、当時わたしは八歳で、母はその同じ年の晩春にボビー・アガドギャニアンと結婚した。一年の後ボビーは、例のウォール街の株価の大暴落で、自分の持物も母の持物も一切を失ってしまったが、どうやら魔法の杖一本だけは手元に残ったものと見える。

p95《笑い男》
笑い男は、金持ちの宣教師夫妻の一人息子で、まだいたいけなところに、中国人の山賊どもに誘拐されたのであった。その金持ちの宣教師夫妻が(宗教上の信念から)息子の身代金を払うことを拒んだとき、山賊どもはひどく腹を立て、子供の頭を大工が使う万力で挟むと、把手に力を入れて、右の方へ何回か頃合いの程度にねじったのだ。まだ誰もが味わされたことのないこうした目にあった子供は、大人になると、ヒッコリーの実のような形の頭をして、髪の毛がなく、鼻の下には口がわりに大きな楕円形の穴が開いているといった顔になった。鼻は肉で蓋をされた二つの鼻腔というにすぎない。したがって、笑い男が息をするときには鼻の下の不気味な穴が、巨大な空胞か何かのように(と、私には想像されたのだが)膨らんだり縮んだりするのだった(この笑い男の息の仕方を、団長は言葉で説明するよりも、むしろ実演してみせた)

p97 《笑い男》
まもなく笑い男は、定期的に中国の国境を越えてはフランスのパリに入り、そこで、国際的にも有名な探偵でもあるとともに、機知に富んだ結核患者でもあるマルセル・デュファルジュの面前で、その天才的な手腕を、あざやかに、ただし控え目に発揮しはじめた。

p242《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
私の生涯で最も幸福だった日は、もうずいぶん昔、わたしが十七歳の時でした。その時わたしは母と待ち合わせの昼食を共にしに行くところでした。母はその日長い病気の後のはじめての外出だったのです。わたしはうれしくて、うっとりした気持ちで歩いて行くと、ヴィクトル・ユゴー街-これはパリの通りの名前ですが-そこへさしかかったときでした、いきなり鼻がなんにもない男とまともにぶつかってしまったのです。

p96 《笑い男》
知人たちは彼を避けた。ところが、奇妙なことに、山賊どもはこの笑い男を自分たちの本拠にそのままとどめておいたのである。-ただし、彼がその顔を、芥子の花びらで作った薄紅色の薄い仮面で包むという条件をつけてだが。その仮面は、山賊どもの目から、彼らの養子の顔を隠してくれただけではない。それはまた、彼の所在をわからせてくれるよすがともなった。つまり、その仮面のせいで、彼は阿片の匂いをふりまいて歩いたのだ。

p61、62 (ゾーイー)
ゾーイーの顔が、完璧な美貌というに近いことは私も認める。そうだからして、れっきとした美術品の場合と同様で、臆面もなく麗々しい、たいていはうわつらだけの賛辞を招き易かったことも勿論である。けど、それはまた、数えきれない毎日の脅威-自動車事故だとか、鼻風邪だとか、朝飯前の嘘だとか-そのどの一つにぶつかっても、豊かに恵まれた彼の美貌は、1日のうちに、もしくは一瞬のうちに、そこなわれたりすさんだりした筈だということにもなるのではないだろうか。それに反して、飽くまで減りもいたみもしないままに、先ほどはっきり過ぎるほどはっきりと匂わせた通り、キーツのいわゆる「永遠の喜び」を与えてくれるものは、彼の顔全体に-とりわけその目に焼きつけられた正真正銘の才気である。この目に表れるエスプリは、しばしば道化役のつける仮面のように、人の心を捕え、時にはあれよりはるかに人の心を掻き乱すことも珍しくなかった。

p98 《笑い男》
まもなく笑い男は、世界一の資産家になった。その大部分を彼は、ある地方の修道院の修道僧たちに、名前を秘して寄付したが、それはドイツの警察犬を育てることに一生を捧げたつつましやかな修行者たちであった。

p225 《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
三人目の生徒は聖ヨセフ修道会の修道女で、名前はアーマ。トロントの郊外にある修道院付属小学校で「料理と図画」を教えていると書いてあった。

p168 (キャッチャーインザライ)
僕がベーコン・エッグの卵を食ってると、スーツケースやなんかを持った二人の尼さんが入ってきて-たぶん、ほかの修道院かなんかに移る途中で、汽車を待つんだろうと僕は思ったけど-カウンターの、僕の隣の席に腰を下ろしたんだ。

p170、171 (キャッチャーインザライ)
とにかくさっき言った二人の尼さんは、僕の隣に座ったんで、僕たちの間でなんということもなく話が始まったわけだが、僕のすぐ隣に座った人は、麦わらのバスケットを持ってたよ。ほら、尼さんや救世軍の女の人たちが、クリスマスの頃に金を集めるのに使う、ああいう奴だ。よく、大きなデパートやなんかの前の街角に立ってるじゃないか、とくに5番街あたりのさ。とにかく、僕のすぐ隣に座った人が、そのバスケットを床に落としたんだよ。それで僕は手をのばして、それを拾ってやった。そして、慈善事業やなんかのお金を集めて歩いているのかって、彼女に聞いたんだ。彼女は違うと言った。旅行カバンに荷物をつめた時、どうしても入らなかったので、持って歩いているんだというんだな。この尼さんは、人の顔を見て微笑するその笑いが実にいいんだよ。鼻は大きく、それにあまりチャーミングとはいえない鉄縁みたいな眼鏡をかけてんだけど、その顔が実に優しいんだな。「もしも寄付金を集めていらっしゃるのなら、僕も少し寄付をさせていただこうと思ったんです。」僕はそう言った。

p111 《笑い男》
そしてポケットから蜜柑を取り出して、それを空中に投げ上げながら歩いて行った。三塁のファウル・ラインの中ほどまで行ったあたりで私はくるりと向き返ると、メアリ・ハドソンをみつめ、蜜柑を握りしめながら、後ろ向きに歩きだした。

p256、257 《テディ》
テディは頭の大部分を引っ込めたが「ほんとにうまく浮いてるなあ」と、後ろを向き返らずに言った。「面白いよ、全く」
「テディ。これが最後だぞ。三つ数えるからな、そしたらおれは-」
「オレンジの皮が浮いてるのが面白いんじゃない」とテディは言った。「オレンジの皮があそこにあるのをぼくが知ってるってことが面白いんだ。もしもぼくがあれを見なかったらぼくはあれがあそこにあることをことを知らないわけだ。そしてもしもあれがあそこにあることを知らなければ、そもそもオレンジの皮ってものが存在するということさえ言えなくなるはずだ。こいつは絶好の、完璧な例えだな、物の存在を-」
「テディ」マカードル夫人がシーツの下で身動きの気配すらみせずに口をはさんだ「ブーバーを探しに行ってくれない?どこへ行ったの?あの子?あんなに日焼けしてるんだもの、今日もまた日差しの中でうろうろしてるんじゃよくないわ」
「ちゃんと体は包んでるよ。ぼくがオーバーロールを着せといたから」とテディは言った「もう沈み出した皮もあるぞ。あと3、4分もしたら、皮が浮いているのはぼくの頭の中だけになる。こいつは実に面白い。だって、ある見方からすれば、そもそもオレンジの皮が浮かぶというのはぼくの頭の中から始まったことだからだ。もしもぼくが最初からここに立っていなかったならば、あるいはぼくが立っているとこへ誰かが来て、ぼくの首をちょん切るようなことやったとすれば-」

p113《笑い男》
いつもの席に着くと団長はハンカチを取り出して、片方ずつ順々に洟をかんだ。その様子を私たちは、まじまじと、見世物でも見るような興味さえ混えて見守っていた。洟をかみ終ると団長は、ハンカチをきちんと四つに畳んで、もとのポケットにしまった。それから「笑い男」の次の一コマを語って聞かせたのである。それは最初から最後までで、せいぜい五分くらいしかかからなかった。

p281 《テディ》
彼は片方の腰を浮かせて、薄黒くなったのを丸めたなんとも見るに耐えないハンケチを取り出すと、洟をかんだ「物がどこかでおしまいになるように見えるわけは、ほとんどに人がそういうものの見方しか知らないからなんだ。しかし、だからといって本当に物がそこでおしまいになることにはならない」テディはハンケチをしまうとニコルソンの顔を見て「ちょっとあなた、片方の腕を上げてみてくれない?」と、言った。

p57(ゾーイー)
彼女がいくたびか鼻をかむ15分ないし20分のシーンがこの映画にはあるのですが、そこのところをなんとかしたらよかったのではないかと彼女は申すのであるけれども「なんとかしたら」というのはつまり、「かっとしたら」という意味であろう。ひとが鼻をかんでいるところをいつまでも見せられるのは、よい気持ちのものではないと申すのである。

p 174(ゾーイー)
最初は断片的に、ついでは全面的に、彼の注意は、いま5階下の向かい側の路上で、作者や演出家やプロデューサーによって妨害されることなしに演じられている、一場の高貴な情景に惹かれていった。私立女学校の前に、かなり大きな楓の木が一本立っている-この幸運に恵まれた歩道の側に立ち並んだ4、5本の街路樹のうちの一つであった-が、そのときちょうど、7、8歳の女の子がその木の後ろに隠れたのだ。女の子はネーヴィ・ブルーの両前の上着を着て、アルルのヴァン・ゴッホの部屋のベッドにかかっている毛布によく似た色調の赤いタモシャンター(訳注スコットランド風のベレー)をかぶっている。好都合なゾーイーの位置から見ると、彼女のタモシャンターは、実際、絵具を落としたように見えなくもないのだ。女の子から15フィートばかり離れた所では、彼女の犬が-緑の革の首輪と紐をつけたダックスフントだが-革紐を長く後ろにひきずったまま、主人を見つけようとして、においを嗅ぎながら、やっきとなってその辺をくるくる駆け回っている。別離の苦悩が彼には耐え難いのだ。そのうちにとうとう彼も主人のにおいを突きとめたけれど、そこへいくまでの時間が短きに失せず、長きにも失しない。再開の喜びはどちらにとっても大きかった。ダックスフントが、かわいい叫び声を上げ、続いて嬉しさに身をよじりながら頭を下げ下げにじり寄ってゆくと、女主人は、彼に向かって何事かを大声に叫びながら、木のまわりにはりめぐらされた針金の柵を急いで跨いでいって、彼を抱き上げた。彼女は彼らだけにしか通じない特別な言葉で数々の賛辞を与えてから、やがて彼を地面に下ろし、紐を拾い上げると二人は嬉々として、五番街とセントラル・パークがある西の方へ歩いていって見えなくなった。反射的にゾーイは窓のガラスとガラスを仕切っている横木に手をかけた。窓を開けて身を乗り出して、小さくなっていく二人の姿を見送ろうと思ったのかもしれない。だが、それが葉巻の方の手だったために、ちょっとためらっているうちに機会は過ぎてしまった。
「チキショウ、この世にはきれいなものもありやがるわい」彼は言った「本当きれいなものだ。脱線するのは、ぼくたちがみんなバカだからさ。いつも、いつも、すべてを薄汚ないエゴのせいにする」ちょうどそのとき、彼の背後で、フラニーが虚心坦懐に鼻をかんだ。そんなに形がよくて華奢なつくりの機関にしては、思いがけなく大きな音であった。ちょっとたしなめるような気配を漂わせて、ゾーイは彼女を振り返った。
クリーネックスをいくつにも畳んでいたフラニーは、ふとゾーイーを見ると「あら、ごめんなさい」と、言った「鼻をかんじゃいけないの?」
「君の話はすんだのか?」
「ええ、すんだわ!ああ、なんていう家だろう。鼻をかむにも命がけだ」
ゾーイーはまた窓の方へ視線を戻した。そして校舎のコンクリートブロックが織りなしている模様を目で追いながら、しばらく葉巻を吸っていたが「二年ほど前にバディがなかなか含蓄のある話を聞かせてくれたことがあるよ。はたして正確に覚えてるかなあ」そう言いさしたまま言いよどんだ。で、まだクリーネックスをいじくっていたフラニーも、彼の方に目を向けた。ゾーイーが何か思い出そうとして苦労してるように見えるときには、その様子がきまって彼のきょうだい全員の興味の対象になったものである。彼らにとって、それは娯楽的価値さえ持っていた。彼が思い出せずにいるようなのは、たいていの場合、見せかけだけで、彼が「これは神童」のレギュラー解答者として過ごした五年間、これは明らかに彼の人間形成期だったわけだが、そのころ彼は、心からの興味を持って読んだり聞いたりしたものならほとんど何でも、即座に、そしてたいていは言葉通りに、引用してみせることができる、いささかバカげた能力を持っていたけれど、それをひけらかすよりはむしろ、同じ番組に出演している他の子供たちがやるように、眉間に皺を寄せながら時をかせいでいるような様子を見せる、そういう習慣が身についたのが、そのまま今に持ち越しているのである。今も彼の眉間には皺が寄っていた。だが、彼はこんな場合のいつもの例よりはいささか早目に口を開いた。昔馴染みの共同解答者フラニーに、自分の芝居を見抜かれたことを察知した、とでもいった格好である。「バディが言うにはだな、人間、咽喉を切られて丘の麓に倒れていて、静かに血が流れて死んでゆくというときにでも、きれいな娘や婆さんが、頭の上にきれいな壺をきちんとのせて通りかかったら、肩肘をついて身を起こして、その壺が無事に丘を越えてゆくのを見られるようでなくちゃだめだ、と、こう言うんだ」彼はこの話を繰り返し考えていたが、そのうちに「ふん」と鼻を鳴らして「あいつがそれをやるところを見たいもんだよ、チキショウメ」と、言った。そして葉巻を一口吸った。

p115 《笑い男》
それから数分経って、私が団長のバスを降りたとき、真っ先に目に映ったのは、街頭の柱の根もとにひっかかったまま、風にはためいている一枚の赤いティシュ・ペーパーであった。それは芥子の花びらで作った誰かの仮面のようであった。

笑い男 完

次のテディでとりあえずナインストーリーズは終わりですʕ⁎̯͡⁎ʔ༄
しかしその後ろにはフラニーとゾーイーもキャッチャーインザライもこのサンドイッチマヨネーズ忘れてるもハプワースも控えているのでまだまだ続きますポ
気分的にはこの次はサンドイッチに行こうか思っております。最後はフラニーとゾーイーに集結する感じの流れで終わるんがいいかなーと思うんで
とりあえず今日のとこはおつぽ٩( ᐛ )و

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