旅と人生の記録、まとめてみた(4

改めていろいろ見直して見ることは今の人生にとっても有用だと、まとめながら気がついた。

若い頃は、ナポレオンヒルなどの人生啓発本などを読んで「人生に目的を持つ」ということで、手帳に目標をいろいろ書き出したりしていた。

そういったことも役立ったといえば、役立ったのだろうと思う。

やりたい、やるべきだと思ったことはだいたい実行してきたことが、まとめてみるとよく分かる。

ここからは、時間的にそれほど過ぎた感じがしない。

最近やったことという感じだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2002年8月 海辺の町に家を買う。

少し早いとは思ったが、昔から海が好きで、海に近いところに住みたかった。

思わぬ出会いで、実現した。

東京での仕事があったので、最初は別荘的に通って、古家の修復などしていた。

2002年11月 結婚

いわゆる出来ちゃった婚であったが、11月入籍。

この年は、家と家庭を持つという、次のフェーズに突入した。

これまでは、一人で旅をするように生きていきたいと思っていた。

いわゆるボヘミアンな、バックパック一つが全財産的な生活がベターだと思っていた。

家庭や固定財産を持つことに躊躇があったのだが、家庭を持つことも人生の重要な要素であるという、時期になったのだった。

現在は子ども3人になった。

一個人から社会人になり、家庭人、そして父親という肩書?が加わった。

実は今でも、肩書が増えることは荷物が増えるようで、抵抗感が少しある。

家庭を持ち、田舎生活を始めたことで、段々と東京での仕事も減り、田舎暮らしの時間が増えてきた。

ペンキ屋をやったり、土建屋をやったり、植木屋もやってみたり、田舎らしい仕事もした。

家を1軒を手で解体したり、大木をチェーンソウで二人だけで倒したり、ブロック塀を作ったり、現場スキルが向上した。
だからといって、それで収入を得るようになったわけではない。


2006年 自宅のすぐ近くの漁港で漁師となり船を持つ。

海辺の家は漁港の近くだったので、近所の人に遊んでいる船を使いたいと言っておいた。
ある日漁師から「漁師になりたいんだって」と声をかけられた。ここで断ったら船を使わせてもらえないと思ったので、思わずそうですと言ってしまい、流れで漁師になった。

現在も漁師をやっているが、閉鎖的な世界なのでいまだに馴染めない部分も多い。
漁師と言っても収入源は魚を獲って売るのではなく、釣り人に魚を釣らせる釣り船で収入を得ている。

普通の漁師とは雰囲気が違うのが好まれたのか、水族館の展示用の魚を釣ることに協力したり、芸能人が御忍びできたり、政府の高官や有名な企業経営者、学者、医者、芸術家など面白い方々が釣り船の顧客になってきている。


2011年3月 東北震災、原発事故。

2001年9月11日の貿易センターに飛行機が突っ込み、ビルが崩壊するテロの映像も、まるで映画みたいで現実味に欠けたが、この震災も、どこか現実味に欠けた感じがしてしてしまった。

人は想像を絶したものに出会うと、現実との回路を遮断してしまって、他人事とする保存本能が働くのかもしれない。


このころには海の生活だけではなく、友人と近くの山に行って山菜を採ったり、庭で原木シイタケを栽培したりしていた。
田舎生活を満喫しようとしていた矢先の出来事だったのだ。

原発事故による放射能の影響で、山菜を採らなくなり、栽培していた椎茸は放射能を測ったら40ベクレルも出たので、放棄した。

チェルノブイリを知っていたし、環境問題のことを仕事にしていたこともあって、現状には納得いかずにモヤモヤとしていた。
気持ちが落ち着かないまま、生活に追われてすでに8年が過ぎてしまった。
自分のことでもあるのに、他人事化してしまう。。何をか言わんやである。

このことは別稿で書きたいと思う。


2016年9月から民泊を始める。
世界でどんなに悲惨な出来事があっても、自分の生活は続く。

近所の別荘として使われていた家が、ほとんど使われなくなっていた。
持ち主とは面識があったので、いろいろ話して、管理をする代わりに釣り宿として使えるようにしてもらった。
しかし釣り客はほとんど泊まらず、民泊としても登録してみたら、海外からなど、意外にもたくさんのお客さんが来るようになった。

民泊は、旅に出なくとも旅の気分が味わえる、素晴らしいシステムだった。
そして今でも、民泊は続けている。

2016年11月 中国に写真家の友人たちと取材旅行。

中国に通って写真集も出している友人には、いつか一緒に取材旅行に行きたいと言っていた。
しかし言っているだけでは「いつかは来ない」と今回は決めたのだった。

四川省の奥地の少数民族の地を訪ねた。
久しぶりの中国だったが、各地の近代化の具合には驚きながらも、辺境の地はまだまだ変わっていない。
中国の広さを感じることができた。

主には大涼山地方で彝族(いぞく)の正月の写真を撮って歩いたのだが、写真を取ることを目的に旅をしたのは初めてだった。

この旅行のためにデジタル一眼レフを買ったのだが、今のカメラは優秀で、画角を決めれば思った以上にいい写真が取れてしまう。

帰ってきてから、撮った写真を銀座での写真展に出展した。
中国に通っている写真家たちが出展するのだが、写真家の友人にいい写真をえらんでもらって2点出したのだった。

写真の面白さに気づき、友人の写真家の主催する勉強会にも出てみた。

それでも上手な写真家をたくさん知っているので、なかなか写真家にはなれないでいる。

更に続いていきます。。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

7
埋没してしまいがちな記憶を、記録にしてみようとはじめたnote
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。