自己紹介と作曲家としての3つのキーワード

みなさま、どうぞ宜しくお願い致します。

経歴としては、実験映画の研究所、美大の映像演劇学科を出た後に、IAMASという情報芸術の学校にて作曲家の師に出会ったことがきっかけで美術から音楽に転向しました。
また、僕は今35歳ですが、音楽を始めたのはこの5-6年ほどです。ということで年齢と知識や技術、その他があんまりつながっておりません。みなさまどうか色々ご教授頂けましたら嬉しいです。

作曲家としての3つのキーワード

手続き
丸投げ
言葉

手続き
僕の作曲では、いくつかの段階において手続き的な手法を用いています。
ここでの「手続き」というのは「こうしたらこうすると決める」ぐらいに広く考えて頂けたらと思います。
例えば楽譜を作る際に、元となるなんらかの情報ソースを決まった法則で音符の選択に利用する、といったやり方が挙げられます。具体的には、文などの言語情報を音符などの音楽情報に変換したり、特定のアルゴリズムを用いて変化する1と0の情報の遷移を音楽情報に変換する、などです。
これは、楽譜を作成する際のことですが、違った段階としては楽譜に書いてある作品固有の記号のリアライズの方法を提示することも手続き的な要素と言えると思います。もちろんこのような事柄はほとんど全ての作曲家が行うことではありますが、特段僕が話題にしたいのは、「その手続きを定めること」がその音楽にとって何が大事なのかを定めることだと考えている、ということです。

丸投げ
もう少し良い言葉が見つかると良いのですが、これは楽譜において演奏家に抽象的な情報を提示する、ということです。(図形楽譜などを代表的なものとしてご想像頂けたらと思います)
しかし例えば、デュオの曲でそれぞれのパート譜しかなく、それぞれの速度、タイミングは自由、といったやり方も含まれます。そういったある種の「丸投げ」なやり方をする理由は二つあります。
一つ目は、演奏家が「自分の音楽」として活き活きとした時間をつくるための実験。もう一つは、僕がエクリチュールを学んでおらず、詳細な記譜が不可能だからです。
同時にこのやり方は作曲家と演奏家が共同で音楽をつくる、ゆえに出来る特殊なあり方でもあります。
(西洋音楽以外の多くの音楽、あるいはその他のジャンルの芸術において、構想と実行が分業されていないものの方が多いことと思います)
僕はまずはじめに小規模の個人映画を作ることから作品作りを始めましたが、それでも撮影は多くの場合被写体との共同作業であったり、少なくない他者との関わりの中で制作が進みます。その後には美術作品を制作していましたが、中でも面白かったのは共同制作でした。一人では発想しえないアイディアが「相談」の中から生まれてきたのです。このような経験の後に作曲をはじめた故に僕は、自分でも想像しえない音楽が聴きたくて、「丸投げ」な作曲をしています。ただし同時に「この音楽の世界観」を伝えることで、演奏家が、より自由に解釈出来るのではないか、と考えてそのやり方や指定の度合いの実験をしているところです。(ここでもその音楽にとって何が大切なのか、が大事になるように思っています)

言葉
僕は色々な方法で言葉を音楽に用いてきました。音符に変換したり、発音記号を用いたり、、。そのように言葉に執着してきた理由は、まずは言語の(特に日本語の)記号が僕にとって親しみのあるものだったからです。ソルフェージュを学んでおらずとも、「あ」と書いてあればaという発音は頭の中でイメージすることができました。また、音響詩に対する親しみも根底にありました。
またもう少し個人的なことですと、ある時に読んだインディアンの逸話の中に、通過儀礼として「自分の歌を見つける旅に出る」というものがありました。それがなぜかずっと印象に残っていて、「自分の歌を探したい」気持ちから「言葉」に執着しているように思います。
また、声明やグレゴリオ聖歌が言葉の抑揚に端を発することへの自分なりの応答をしてみたい、ということでもあります。

自己紹介ついでに最初の映画作品と今年4月の作曲作品のリンクを貼っておきます。

https://mediainteraction.tokyo/portfolio/iroiro4performer-tp-sop-goto-ten/


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