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私設「つぶやき」


「飯塚 幸三」(いいづか こうぞう)


「少し前」ですが、


この「名前」を「聞かなかった日」は、

なかったですね。

皆様も

よくご存知だと思われますが、

2019年4月に起こった

「池袋暴走事故」の「加害者」で

あります。


現在「90歳」と

「高齢者ドライバー」だったんですね。


「被害者」は、

「2人」が死亡。

「9人」が重軽傷を負う、という、

凄まじい「事故」でありました。


僕も、


「ハンドルを持つ仕事」をしているので、

どうしても、「事故のニュース」には

「目」がいってしまいます。


「加害者」に、


「禁錮5年」の判決が確定いたしました。

「控訴」はしなかったんですね。


亡くなられたかたは、

「お母さんと幼い娘さん」

「この世」に残されたご主人が、

「愛する妻と娘」を

同時に失ってしまう気持ちとは、

どんな気持ちでしょうか?


「どんな事故」であっても、

「被害者」「加害者」のあいだには、

「不幸」しかありません。

「飯塚氏」への

「世間のバッシング」も

「僕のような人間でも手に入る情報」でも

「相当なもの」が伺えました。


「飯塚氏」は「通産省の元なんかの院長」で

「勲章」をもらえるような人

だったそうです。


ん〜……

何でいただいたんだったかな……

なんか、「ハカリ」にまつわるもの。

(小学生か。)(笑)

いろいろ読んだんですけどね。(笑)

「計測の分野」でなんか「すごい人」

らしいですわ。(笑)

(「ざっくり」のさらに「上」やな。)(笑)

「マスコミ」が言ったのでしょうか?

「世間」が言ったのでしょうか?

「飯塚氏」は、

「上級国民」だったんですね。


「妬み」や「便乗」で

「飯塚氏」の親族まで

「炎上」や「誹謗中傷の被害」は及び、

あっという間に、「この世の地獄」を

味わったことでしょう。


細かく「記事」を読んでいくと、

「アクセル」と「ブレーキ」の

「踏み間違い」ではないか?

というところに、

「焦点」が当てられたんですね。


本当に、「この手の事故」は

多くなりましたね。


「飯塚氏」は、

「車の不備、不具合」をまず、

訴えたんですね。

「車のせいだ。」と。


「世界に名だたる『日本車』」

ですからね。


当然、その「車メーカー」も

「異例の反論」を示したそうです。


恥ずかしながら、

僕も、バスの運転手さん時代に、

「アクセル」と「ブレーキ」

「同時に踏んだ」ことがあります。(笑)


「慌てていた」んですね。(笑)

さいわい、「お客さん」が乗ってない、

「車庫」での出来事だったのですが、(笑)

(ロクでもない運転手だね。)(笑)


「ブレーキ」を踏んでいるから、

当然、「バス」は動かないんですが、

「アクセル」も一緒に踏んでいるため、(笑)

「ウワアアアアアアアアアッッッッ!!!」

と、「エンジン」も回転するわけですよ。

(笑)

ここで、大事なのは、

「思い込み」なんですね。

「ブレーキを踏んでいる」と

決めつけているから、

「減速するだろう」

「動かないだろう」

と思うんです。


ですが、実際は、「アクセル」も

一緒に踏んでるものですから、


「えっ?えっ?何っ?どしたんっ?コレ何?」

なんですよ。(笑)


「そんなもん」なんですよ!(笑)

(アンタだけや。)(笑)


「車」は「よっぽど」でないかぎり、

ましてや、「日本車」ですから、

「滅多なこと」では壊れません。


「急に不具合が生じた」なんて、

もってのほかです。


「車」は「運転」したようにしか

「動きません。」


そして、89や、90歳などといった

「高齢者」なら、

一度、「アクセル」を

「ブレーキ」と思い込み、

強く踏み込んでしまうと、

「車自体」が「ものすごく揺れる」と

思うんですね。すると、さらに、

「その揺れ」で踏み込んでしまうと思います。


「一般道路の交差点」へ、

「時速96キロ」で侵入したそうです。


「裁判」では、

「車の不具合」や

「アクセル」「ブレーキ」の踏み間違い

に「焦点」が当たっていたのですが、

もちろん、そうでしょう。


ですが、

「一番の過失」は、

「何で免許を返さなかったのか」


だと思うのです。


「飯塚氏」はご自身のまわりのかたにも

「そろそろ返そうか」などと

言っていたそうです。


「お年寄り」には、「切実な問題」

なんですね。

「飯塚氏の事故車の写真」を見ると、

「割と大衆車」なんですね。

僕は、いまだに「原付」なので、

「大衆」にすらなれないんですけど。(笑)

「体臭」はしますけど。(笑)

「体重」は「多め」ですけど。(笑)

(💢アンタのハナシはどうでもええっ💢)


(笑)


「上級国民」でありながら、

あのクラスでの車をお持ちで、

まあ、「飯塚氏本人」を見ても

「アメ車のマスタング」乗り回すような

カンジにも見えないので、(笑)

いやらしいハナシ、

「お金」は持ってらっしゃると思うんです。


何で、

「運転手」雇ったり、

「タクシー」で移動しないんですかね?


おそらく、「あのお歳」ですから、

「お金を使わない」んですね。

「ケチ」なんです。


「他人様のお金の事情」まで

口を出すようで、

申し訳ないのですが、

「お金」は「愛」ですから。

「愛」をケチるから、

「出し惜しみ」するから、

こんなことになるんです。


また、僕が、

バスの運転手さん時代のハナシですが、(笑)

僕が住んでいる「県」では、

「免許証を返納」すると、

「証明カード」がもらえるんですよ。

それを、「バスの運賃の支払い」の時に、

「提示」すれば、

「バス代半額」なんですね。


少し「顔見知り」のお客さんで、

「愛想のいいおじさん」が、

僕のバスで降りる時に、

「へへっ!ついにコレにしたよっ!!」

と、「照れ臭そう」に言うので、

「うおっ!お疲れ様でしたっ!(笑)

せいぜい、

『バス』を使ってやってください!!」(笑)


コレが「普通」なんですよ。

確かに「田舎」では、

「車」は「必須」です。

その「おじさん」は、

「迷い」や「不安」があったことと思います。

ですが、

「他人様に危害を加えること」を考えたら、

「ご英断」だと思います。

「上級国民だから」と、

「まわりのお付きの者」が

いいように「言ったり」

「やったり」

しているのではないか?など

思われがちですが、

僕が思うに、「飯塚氏」は、

「単」に、

「ご自分の納得感」に「忠実」なのでは

ないのかな、と思うんです。

「ハカリで勲章もらえるような人」は

「ハカリで測ったような人」じゃないと、

いただけないと思うんです。

「1ミリのズレ」も「許されない」んですよ。


「踏んでないと言ったら踏んでない」

と、「思い込み」をずらすことが

できないんじゃないかなぁ?と思います。


まあ、僕の「安直な考え」ですので、

(笑)

本気で読まなくてもいいんですけど、(笑)


「戦時中」も経験されて、

「勲章」もいただいてるような、

「ガチの昭和人」ですから。


「勲章」は、

「ちゃらんぽらんないい加減な人」は

いただけないですからね。


「興味深い」「考えさせられる」記事を

発見しましたので、

「ものすごいヒマな人」はご覧ください。

その「上級国民」になるには、

「並々ならぬ努力」があったものと

思われます。


「豊かさ」を追い求め、

「物質的な豊かさ」よりも、

ただただ、「ご自分の納得感」を

「豊かさ」と勘違いしていたのでは

ないでしょうか?

それは、ただの、

「不安感を自分の納得感だけで満たす

ワガママな人間」です。


「飯塚氏」は「控訴」はしませんでしたが、

「最後」まで「被害者の御遺族」に

「踏み間違い」を認めなかったんですね。


「『自分自身の過失だと思う』の一言が、

そのたった一言だけで、

どれだけ、私達遺族が救いになったか。」


と、

被害者のご主人はおっしゃっていました。


僕がもし、「飯塚氏」に伝えれる言葉

があるとすれば、

「あなたは、あなたのやったことで、

まだ、『被害者』を増やすつもりですか?」

なんですね。


「過失を認めること」で、

「ご主人」は前に進むことが

できると思います。

「飯塚氏」に「納得感」があるのなら、

「ご主人」にも「こんな状態」でも

「納得感」が得られなければ、

「生きる価値」を得ることが

できないと思うんです。


「立場」

「経験」

「知識」

「功績」

「人間性」

そんなもの、「全部」ひっぺがえして、

「魂」から、

「オマエの魂は

オマエに何と言っとるんだ!!」

なんですね。


「車」は、

「動かしたようにしか、動きません。」

「人間」は、

「思ったようにしか、動きません。」


なにも、「ラブストーリーの熱いセリフ」

だけが、

「愛の言葉」じゃないと思うんです。


「間違いを認めて、

ごめんなさいと、謝ること」


「血のにじむような思い」をされて、

「勲章」をいただいたのかもしれませんが、

「公表」されるかどうかは、

わかりませんが、

「勲章」は「返納」されることに

なるのではないか、と言われています。


そもそも、「勲章」をいただけるような

「人間性」ではなかったんですね。


「たくさんのお金」を使って、

「いい大学」に行って、

「いい会社」に入って、

「輝かしい功績」を残して、

「素晴らしい人間関係」を結んで、

「飯塚氏」の

「この世での最大の課題」は、

「獄中の中」で、

「間違いを認めて、謝ること」という、

「保育園でならうようなこと」を

思い知らされなければならないんです。

「そんなお金」があるなら、

「地元の子供会」でも

「寄付」されたほうが、

よっぽど、「愛あるお金の使いみち」

だと思うんです。


おそらく、

「まわりの人の意見」で、

「控訴」しなかったのだと思います。

「最後」まで、

「過失を認める言葉がない」という

「態度」は、

もう、「そのまんま」ですよね。

「悪い」なんて思ってないんですよ。

「コレを言ってください」

「コレは言わないでください」

の「人間関係のやりとり」に

どこに、

「自分の意思」や「愛」が

あると思います?

仮に、

「スミマセンデシタ、ゴメンナサイ」

と「他人にけしかけられた言葉」

で言われても、

「こころ」には届かないものです。


「被害者のご主人」は、

それでも「気丈に」

「交通事故を減らす活動」に

「一生懸命」携われているそうです。


「そんな理由」で、

「強く」も「気丈」にも

なりたくないですよ。


「がんばってください」というのですら、

「胸が痛みます。」


「高齢者の車の運転」は、

このままでいくと、

「◯◯歳になったら、全員

車に乗らないでください」に

なってしまうんですかね?


「踏み間違い」から、

「車が止まるまで」は、

「たったの10秒」だったそうです。


「免許」を返納するか、しないか、

「車」に乗るか、乗らないか、

「間違い」を認めるか、認めないか。

たったこれだけの

「愛の無い選択ミス」で、

「世界」は全然違うんです。


「コロナ」だろうが、

「交通事故」だろうが、

それは、

「ただの外側の問題」であって、

「選ぶ人間」に、

「大きな問題」があるのだと思います。


最後に、亡くなられた

「奥様」と「娘さん」の「ご冥福」を

「こころから」お祈りいたします。



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