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兄という存在

おはようございます!

今日は兄の結婚に伴って両家顔合わせというものがあって、総勢15人くらいの大所帯での食事があるのですが、多分その顔合わせにみんな緊張していたんだろうと思いますが、昨日の夜には父からも母からもおばあちゃんからも連絡があって、歳を重ねると逆に子供のようにわかりやすく行動とかに出るんだなと思ったwataruです。


まあそれにしてもみんなあまりにも落ち着いていない感じだったので、緊張が何か悪い方向にいかなければいいなとは思いますが、今日は一日目を光らせておこうと思います。


ということで本日は「兄という存在」というテーマでお話しをしていこうと思います。


というのも今日のブログの冒頭でお話しをしたように、今日は僕の兄の結婚に伴った両家顔合わせが行われる日で、結構しっかりとした社会的な行事ということもありたくさんの大人が緊張しているんですが、、、まあそれは一旦置いておいて、僕は兄の結婚、顔合わせに伴って手紙を書いて渡すことにしたんですね。


というのも今から2、3ヶ月前くらいに父と兄とお嫁さんとご飯に行くことがあって、その時に父の方から結婚祝いのプレゼントを渡していたんですが、その時に僕の方からは何もプレゼントを渡せていなくて、まあ何か大きな物とかを貰って手荷物になるくらいなら手紙とかで簡単に持ち歩けるものにした方が個人的にはありがたいなと思ったので、手紙を書くことにしたんですね。


まあ実際書いてみると分量もそれなりにあって、昨日の夜中の1時間くらいはその手紙を書くことにあててしまっていたくらい気持ちのこもった手紙になったんですが、実際に手紙を書く際に兄との思い出や幼少期の記憶とかを思い出していたんですが、僕にとっての兄という存在がいかに大きいものだったのかを改めて痛感したんですね。


というのも僕と兄は本当に幼稚園とか小学生とかのすごい小さい頃からずっとサッカーをしていて、それこそ学校が始まる前に家の近くで父と兄と3人で朝練とかもしていたし、かなり前向きにサッカーにのめり込んでいるようなそんな毎日を幼少期や学生時代には過ごしていたんですね。


なので、僕にはいつも自分より足も早くてサッカーも上手い兄という存在が常にいたし、”どうやったらこいつに勝てるんだ!?”というようなことばかりを考えていたような気がしていて、今思うとお兄ちゃんというような柔らかい感じの兄弟関係というよりも、ライバルというような絶対に負けたくない、超えていきたい存在という感じのギラギラしてる感じの方がイメージ的には近かったと思うんです。(僕からの一方的な目線ですが、、、)


なので学校の成績は兄よりも絶対にいい成績をとってやろうと思っていたし、サッカーでも兄よりいい成績を残してやろうと思っていたし、なんなら一緒に朝練をする時とかには兄よりも長くリフティングを続けてやろうとか、一対一で絶対に抜いてやろうとか、本当に何かにつけて勝負を挑んできては負けて、でも大口を叩いてくるようなそんなめんどくさい弟だったんだろうなと思います。


ただそんなめんどくさい弟にも、真正面から戦いに乗ってきて実力で唸らせていた兄に今はとても感謝していて、そうやって強い兄でいてくれていたからこそ、自分の届かないレベルの強さを見せてくれていたからこそ、自分もその基準に追いつこうとしてかなり成長していたと思うし、高い基準に引き上げられてそれなりにサッカーも上手くなっていったんだと思うんですね。


という感じで、僕と兄との幼少期や学生時代の記憶を思い返して手紙を書いていたんですが、やっぱり僕の中での兄という存在はすごく大きくて、僕のこういうブログのように毎日着実に努力をできるようなところとか、とりあえずやってみるとか、なんとかなるでしょというような楽観的な部分とか、そういう性格的な部分にも元を辿れば兄の存在が大きく関わっているような気もしました。


ということで本日は「兄という存在」というテーマでお話しをしてみました。

もう今やITの時代で文字を書くこと自体しなくなっている人も多いかもしれませんが、昨日の夜中手紙を書いていてやっぱり直筆で書く手紙にはそこに感情や気持ちなどの目に見えないものも乗っかっているような気がして、すごく人の温かみを感じられるいい物だなあと改めて思いました。

ではまた!



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