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不倫女の末路

アラフォーバツイチのさくらです。

今日は私の叔母の話をします。

叔母は長く職場の上司と不倫をし、完全に婚期を逃しました。30半ばまで独身。あの時代だと珍しい。

不倫を精算後、

バツイチ子持ち男性とお見合い結婚しました。公務員でTHE真面目。「いい人なんだけど。」言われそうな気弱な男性です。

連れ子さんは小学生だったはず。叔母は専業主婦になり、姑、夫、連れ子との同居をスタートさせました。

田舎の大きな家。

写真はイメージです

田畑、山も持っている。本家だ、分家だ、近所付き合いだがうるさい古風な地域です。

そこに平日は姑と2人きり。

この姑さんがかなりのくせ者で、

相当いびられ叔母はすっかり疲弊するも、夫は我、関せず。

前妻さんはお子さん2人を置いて家を出ているあたり、同じ目にあったんでしょう。この男性は同じ轍を踏んで、バツ2になったわけです。

数年で離婚。

実子はできませんでした。

その後、若くしてを患い、手術と抗がん剤治療で幸運にも完治。その後、まともに働かずで。

叔母は実母を引き取り、介護しながらの2人暮らしを始めました。孝行娘ともとれますが、その実は、

実母の年金で生活するためです。


認知症があり、後に寝たきりになった祖母の介護は大変だったろうとは思います。

ただ第三者目線から見ると、

完全に共依存でした。


だってもう祖母は家族の顔も分かんないんです。自宅で過ごせて嬉しいとか、本人は判断できる状態にない。施設に預けたって良かったんです。

叔母は実母の年金で暮らすという経済的なメリットを享受するとともに、実母の世話をするのが生き甲斐のようでした。

喜びという意味ではなくて、存在理由があることにホッとするみたいな。伝わるかな?叔母は仕事もしてない、社会と繋がりがない、独身で子供もいない。

叔母にとって実母が、唯一の自分を必要としてくれ、自分が役に立っていると思える存在。

祖母が亡くなってから叔母は

生活保護に。

確かに大病を患って、抗癌剤治療中は働くことは不可能でしたが、今は完治しています。普通に1人で出掛けるし、家事もできる。

働けるやろ?

思いますけどね。自立するほどは無理でも、少しでも働いて、生活保護費を減額できるくらいには。

でも、不倫をし、バツイチ子持ち男と結婚し専業主婦になり、姑いびりに耐えられず離婚し、親の年金で暮らし…マトモな職歴は遥か昔。

そんな叔母が頑張れるバズないんですよね。

いつか役所の生活保護科に本当は働けることがバレるんじゃないか?怯えてて、病院通いを頻繁にしたり、ハローワークにいったふりしたり。

そんな叔母に一時期、私は子育てを手伝ってもらってたんです。研修医の頃、外科など帰りが遅くなる忙しい時だけ。

その時に垣間見たおぞましさ。

  • 私の息子たちに「ばあちゃん」と呼ばせる。

  • 私に「貴女は娘みたいなもの」と繰り返し言う。

  • 私の家に身を寄せていることが役所の生活科にバレても良い(むしろバレたい)。

もし生活科にバレたら、生活保護が取り消される。そうなれば、「さくらちゃんのために(せいで)こうなったんだから、一生責任を取ってもらうしかないよね。」と考えているようでした。


叔母は私と住んでる間、自由に使えるお金は増えるし、姪の子供に「おばあちゃん」として懐かれ寂しくないし、保育園にお迎えさえ行けば、私が帰宅して作る夕食を一緒に食べられるし、最高ですよね。

結婚も出産・子育ての苦労も体験せず、医者の娘と可愛い孫を棚ぼたGET。

これ以上、深入りされたら危険と判断し、叔母には自分の家に戻ってもらいました。

それから数年後のある日

叔母「あんたのお母さんに貸したお金を代わりに返してくれない?」

叔母「あんたが中学の時に買ってあげたコートの代金を返してくれない?5万円なんだけど。」

こんな連絡ばかりよこすので連絡先はブロックしました。

私は若くしてお金の怖さ、血の繋がりなど糞食らえな人間の業の深さ、色々と経験しすぎちゃったな。

みなさんはないでしょ?叔母から「あんたの親に貸した金を返せ。」言われたこと。

叔母が金さえ手に入れば、私にどう思われても良い。

と割りきった瞬間ですね。

まぁ医者家系でもないのに、民度の低い血筋なのに医者になると、親も親戚もみな私を

金づる

として認識するってことですわ。

あー私が男性医師だったら、関わる女という女にこういう目で見られたのかもな。

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