【小説】ユビキタスとスピリタス-2

 会社員——厳密にはアンドロイドだが——彼女を誘うのに、男は日を選ばなかった。平日の白昼堂々、お互いにスーツのままで甘味と暴食の楽園に殴り込んだ。彼らの姿を見て、店員は一瞬不思議そうな顔をした。場と時間との親和性の無さ、それから、片方が機械であることからであるのは、男にも手に取るように分かった。

「別に、君のせいではないよ」
 席につくなり、男は彼女に言う。
「いかにアンドロイドが普及した現代であっても、払拭できない違和感を持ち続けるものなんだ。それが、人間が人間である証明であるから」
「そうだったんですね」
 ユビキタスが「そう」と指したのは、店員の反応の件だった。「気づきませんでした」

 ユビキタスは、微笑を浮かべたまま、面接でも受けるのかと言わんばかりの美しい姿勢で座っていた。そのテーブルに、ケーキ、ケーキ、ケーキと、様々な種類のケーキを配膳していく。

「たくさん色があって賑やかですね」

 最後の皿にもケーキを載せて、男は席についた。

「君も食べてよろしいのだよ」
「私は食べられませんので。スピリタスさまが頂いてください」
「そういえばスピリタスだったな」

 言いながらフォークを手に取った。一度両手の平を合わせて小さく頭を下げる。それから、手近にあったチーズケーキにターゲットを定めた。

「君と食事するにあたって、総務部長と少し言い合いになってな」
 男は一口頬張って咀嚼、飲み込んでから続きを言う。
「アンドロイドが飯なんか食うか、と。だから言った。飯じゃなくてスイーツパラダイスだと」

 ユビキタスが何も言わなかったのは、その高度な矛盾を処理しようとして、動作が重くなっていたからである。
 男はチーズケーキを食べ終わって、次はショートケーキを食べ始める。

「人の食い物が、同じように血肉にならないとしても、体験はAIの学習として重要なことだ」
 チョコレートケーキ。
「最新鋭のバージョンと業績を比較されるかもしれないって言うのに、スイーツパラダイスも知らないで仕事して勝てるはずないでしょうって」
 フルーツタルト。
「スイパラを知ってるAIと、知らないAIだったら、知っている方に仕事をさせたいと思わんかね」
 シュークリームも交えて。
「俺はそう思いますがね」
 そしてティラミス。

「よく食べますね」
「随分人間みたいな感想だ」男は指を舐めた。「良い傾向じゃないかな」

 端に追いやられていたコーヒーを取った。一口飲んで、大きく息を吐く。

「俺は《オタク》なんですよ。ユビキタス」
「オタク」

 ある特定の文化や趣味に強い関心を持つ人々を指す。アニメやマンガ、ゲーム、映画、音楽など、ある特定のジャンルに対して非常に熱心であり、詳しい知識を持っている。

「——そう。だから、まあ、スイパラは比較的馴染み深い。ほら、コラボとかよくやるから」
 コースターにイラストがあったり、作品に登場するキャラクターをイメージしたメニューだったりである。
「マナーの悪い客がフードロスを大量に出して帰るのが知られてるな。勿論、俺はそんな客じゃないし、こうやって普通のメニューであっても全部綺麗に食べて帰る模範だ」

 テーブルを埋め尽くしていたケーキは半分ほどになっていた。男のペースはスタートから変わっていない。時間を考えると、もう一回取りに行っても余裕がある程だった。当たり前だが、ユビキタスはそれらに手を付けてはいない。初めから何も変わらない。一ミリも動かず、完成された美しい姿勢を維持し続けている。

「だから、もし俺がラーメン屋によく行く奴だったらラーメン屋に連れて行った。ファミレス常連客だったらファミレスに」
「では、スイーツパラダイスには、それなりの頻度で行かれるのですね」
 男はまあ、と淡白に返した。

「でもまあ、こんな美人だから——」
「美人だと、スイーツパラダイスに行くのですか」

 男はユビキタスから目を逸らして、明後日の方に視線を向けた。

「俺はオタクだから、女の子とは関わりが薄くてね」
「女性のオタクの方もいらっしゃいますよ」
「そうじゃなくて——何と言えば良いやら」

 男は空になった皿の上を、フォークで静かに突いた。

「《デート》というものがよく分からないんだ」
「デート」

 2人または、グループで一緒に過ごす時間のこと。カップル同士の恋人同士のデートが一般的な意味ですが、友達同士のデートであっても使用される場合がある。
 デートの形式は人によって異なり、一般的——世間でいうところの「王道」は遊園地、映画鑑賞、カフェ巡り、コンサートなどが挙げられる。デートは、相手との会話や、相手を理解することを目的としているが、その時間を相手と一緒に楽しむことも重要な目的になる。 また、デートは新しい関係を感じるための一歩ともなり得る。大切なことは、相手とのコミュニケーションを大切にし、したがって楽しい時間を過ごすことだと言える。

「分かりやすい解説だった」
 男は苦笑していた。ユビキタスは、そんな彼の表情など気にせずに、くすっと笑う。
「では、これはデートなのですね」

 男は頭を抱えた。その重みで、テーブルのケーキに頭を突っ込みそうな勢いだった。間一髪で左手が間に合う。

「サラッと殺しに来るな」
「救急車を呼びます」
「呼ばなくて良い」

 ユビキタスは、いつもの柔和な表情が崩れて真剣な表情だった。本気で男の身を心配している。自分のこめかみに指をあて、通信を試みているように見えた。脈を取るだとか、応急措置を取るだとか、そういった手段は取らないらしい。アンドロイドに言うのも酷な話か。機械の腕力で人間に何か害を生じさせてしまう危険性より、早急かつ確実に救急車を呼ぶほうが賢明ではある。

「男とすれば、綺麗なお姉ちゃんに介抱されたいんだが——」
「どちらに連絡すればよろしいですか」
「デリヘル呼んでって話になっちゃうだろ。大丈夫だよ」

 男は、窓の桟に肘をついた。
「本当、美人だよなぁ、君は」
「はい」ユビキタスの返事は早く、爽やかだった。「2世代前ですので」

 男は首を傾げた。
「最新版のは、可愛くないのか」
「可愛い、という表現は個人の裁量によりますので、何とも言えませんが——今新しいモデルは、中立(ニュートラル)を主として設計されています」
「中性的、とかそんな感じなのかな」
「いいえ。そもそも、人間の見た目をしていません。限りなく人間に近い外見は、私のバージョンで最後になります。新しいものは、マネキンのような、いかにも無機質といったものになります」

 男は、素直な反応を示す。
「何でまた。綺麗なほうが良いだろうに」
「いいえ」ユビキタスは、穏やかな表情に戻っていた。「アンドロイドはあくまで社会の歯車であり部品、皆様の人生に、影響力が強くてはいけないのです」

「美しいものは、心を動かしますから」

 この時点でユビキタスはきっと、自分の運命を分かっていたのである。

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