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キリスト教と仏教 『デジタル社会の罠』から脱線して思ったこと

  ユダヤ=キリスト教・・・宇宙世界の起源や終末
  仏教・・・個々の生の苦しみからの解脱を説いた

 苦しみは自分の枠にとらわれた欲望によって生じるものであり、ゆえに我執を離れよ、が仏の教えという。しかしそれならばなぜ、私という個人の苦しみを、仏教ではなくキリスト教が救ったのだろう。答えは簡単、「出会ったから。」である。
 私にとって仏教は、幼少よりごく身近にあった。しかし常にその性質は集団的であり、社会的だった。私は個として仏教に出会わなかった。私個人の苦しみを救うものとしての仏教に出会わなかった。

 人との出会いがそうであるように、教えや学問との出会いも、コントロールできるものばかりではない。そして意図せずして出会ったものが、私たちに大きな影響を与えることがある。

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