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人生について

私の親戚には恋多き女性が何人かいて、子供がいて離婚したあとにひょこっと彼氏ができて一緒に暮らしていたりする。
私は夫と死別してまだ1年もたたないが、絶対新しい出会いはないだろうと思っている。
 世間体などは気にしてないが、単純に私は他人と暮らすことに向いてないし、社会不適合者らしい部分を必死でカバーして帰った家では自然と元の廃人に戻ってしまう。それを家族に容認させるのは忍びないけど、私も家でまで畏まってたら別の精神疾患が開眼してしまう。

一応弁解しておくと、私は精神疾患界ではかなりおとなし目な方で、もっというと精神疾患患者として堂々と薬をもらえる範囲ですらない。精神疾患患者とその手前では大きく世間の捉え方は違い、精神疾患の1歩手前の者は
「5、6倍くらい努力して健常者との差を縮めればいんじゃね?」
みたいに思われるのだ。我々にとって全力で前もって準備し、ピリピリしながらなしとげたことは、健常者にとって普通のこと。下手に努力したことを言おうものなら
「そんなんで努力したとか言うなんてどんだけ甘えてんだ」
と、すぐ帰宅して倒れ込みたいほど疲弊した状態で詰られるのだ。
それがいやなら、世間という表舞台にいるときはへらへら笑っているしかないのだ。ヘラヘラしてれば難しいことは言われなくなるし、取り敢えず「感じが悪い」とは思われにくい
「真面目にやれ!」
と叱られたら「真面目ですよ~」とへらへらするのだ。どんなに泣き崩れそうに傷ついていても、人前ではヘラヘラする。これが精神疾患手前のグレーゾーンの生きる道。

あ、そうそう、冒頭に話した再婚すぐできた人たちはガチな精神の人である。多分。
本当に偏見であるが、男性は女性に混じりけのないわがままを言われると、聞かずにはいられない本能があるように見える。
その人たちはかなりわがままで、男女逆であのふるまいをしたら、クズ認定必須な自分勝手さである。
ただ、わがままを息を吐くように自然に申し出ている。
これはもう才能である。
ちなみにブ◯でデ◯である。

 以前、「精神疾患だったり体が弱かったりする者は長く生きられず淘汰されてきたが、今は弱い個体も擁護されて生きられてしまうのでそれゆえの悲劇がある」
ときいたことがあるが、心の弱ったときにこれを思い出すと、マジで私なんか生まないでいてくれたり、物心つく前に過酷な場所に放置してくれれば無駄に生きて苦しまなかったのに、幼くして亡くなる命と私の命を今すぐ取り替えたい……と果てしない妄想に入ってしまう。

でも、妄想のあとに生きていくしかない現実を思い出してしまうので、そんなとき、少しでも良かった思い出は「ボーナストラックだったのだ」とおもうことにしてる。
一番大きかったボーナストラックは旦那にであって一緒に過ごしたことだ。でも終わってしまった。これからは等身大の私のつまらん曲を奏でなければならない。
旦那を亡くしたセレナーデ
グレーゾーンのエレジー


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