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【SFホラー】デス・クレーター/隕石孔の怪物

【あらすじ】

 首都圏を恐怖に陥れた広域指定暴力団・盟心會と凶悪半グレ集団・東京紅蓮隊ぐれんたいとの抗争は、双方の主要幹部のほか、合わせて五〇〇人を超える構成員の検挙によってひとまず収束した。
 このうち長期刑が確定した二〇〇人の無法者たちが収監されたのが通称“クレーター監獄”…

…九年前、埼玉県内に大型隕石が墜落し、直径約十キロのクレーターが形成された。その内側は放射線に汚染され荒廃した窪地と化したため、政府はクレーター壁をコンクリートで補強し、除染を兼ねて凶悪犯対象の収容施設として活用した。
 これが“クレーター監獄”である。

 盟心会と東京紅蓮隊は、治安当局が半ば黙認する中、クレーターの穴底で、百対百の抗争を再開する。
 しかし、激化する闘いは、隕石が運んできたモンスターを地下の眠りから覚醒させることとなった。モンスターは男たちを襲い、強制的に遺伝子を書き換えていく。
 異変を察知したものの状況を掴めない警察当局は、一斉検挙まで盟心会に潜入して情報収集を行っていた虚井刑事(主人公)を再投入することを決心した。


1.潜入

 歓迎されない空気はすぐ分かる。
 子どもの頃の学校の教室、初めての職場、会食やパーティー、親族の集まりですら…
 私が店に入ると、いつもの冷ややかな空気を感じた。
 早い時間で客の入りは少なく、ガールズバーの着飾った若い女性キャストたちは、カウンターの中から中途半端な笑みを浮かべた。
 私は隅の席に座ると、「悪いけど、佐知子と話したいんだ」と手近なキャストに頼んだ。
「ちょっと、店に来るなんてどういう気?」と佐知子が割り込むように目の前に来た。「それに、本名で呼ばないでよ!」
「ああ、すまん。話をしたかった。仕事で明日早くに出る。しばらく帰れない」
「何その雑な説明。ふざけないで!こっちのバイトが終わるまで待てないの?こんなとこで話なんかできないわ」と佐知子は身を乗り出し、押し殺した声で囁いた。
 視線を感じたので目を向けると、数人の客がこちらをチラチラ見ている。私が見返すと、彼らは目を伏せた。
「それに酒を一杯、飲みたかった」
 佐知子はため息をついた。
「こんなとこで飲まなくたって…
 で、どこ行くの?」
「ちょっと耳貸してくれ。…“クレーター監獄”って知ってるか?」
「嘘っ、また潜入?」と佐知子の顔が険しくなった。
「もうやめてよ」と私の側頭部を横切る傷を指先で触った。銃弾が頭蓋骨を滑った跡だ。「この前、死にかけたじゃん」
 私は三年間、広域暴力団“盟心會”への潜入捜査に従事し、二次団体“鴉氣がき組”若頭補佐の地位まで駆け上がった。
 一次(親)団体である盟心會の若頭をこの傷と引き換えに敵の襲撃から守った功績は、出世に大きく影響した。
「やめなかったら、ここで叫ぶわよ?“皆さん、この人は暴力団員に化けた組対そたい刑事デカです!”って」
「構わない。バレたらダメな相手はみんなクレーターの中だ」
 半分嘘だが、半分は本当だ。
 盟心會は昨夏、凶暴な半グレ集団“東京紅蓮隊”との血で血を洗う壮絶な抗争に突入した。
 今年に入り、双方の主要幹部と、合わせて五〇〇人を超える構成員が逮捕され、特に量刑が重い二〇〇人が“クレーター監獄”に収容され、その他も懲役刑に処された。
 私の生殺与奪に関わる盟心會の幹部連中は、みなクレーターの中におり、塀の外の周辺者、関係者らも連絡が一切取れない。
「それに、埼玉のクレーターでしょ?今は刑務所って言うけど、あの近くに友だちがいて、その子に聞いたけど、あれ怪しいよ。隕石っていうより、原発事故の跡地みたいな処理されたと思ったら、凶悪犯を閉じ込めるとか…」
「ああ、分かってる」私は佐知子の頭を撫でてやった。
 音楽しか聞こえない。
 周りを見ると、カウンターの中のキャストたちは宙を眺め、客たちは黙って下を向いている。
「邪魔したみたいだ。そろそろ行くよ」と私は佐知子に別れを告げた。「ありがとうな。お前の顔を見れて良かった」
「気をつけてね。龍司たちのおかげで新宿も平和になった。感謝はしてる」
 佐知子は腕を組んで背を向けた。

2.墓標

 潜入捜査に復帰する計画はなかったし、二度と御免だった。
 顔をどうやって整形するか、佐知子や医者と相談して決めたところでもあった。
 あの写真を見なければ断っていただろう。

「これを見てちょうだい」
 暴力団対策課潜入捜査班付きの卯月うづき理事官が、見慣れない赤表紙のファイルを広げた。“特定秘密”とスタンプされている。中身は衛星写真と英文資料だった。
「本来、あなたには見せられないモノだけど、先方がエージェントとの情報共有を認めたのよ。しかも積極的にね…」
「先方って?」
「ラングレーよ」
 なるほど、CIAか。
 画像の出元は国家偵察局NROだろう。解像度が異常に高い。
「エージェントって何?」
「あなたよ」
 卯月理事官はにらみを利かせると、有無を言わせぬ勢いで喋り続けた。
「時系列でいくわよ、まずこれ。盟心會と東京紅蓮隊はクレーターの中で抗争を再開した」
 赤外線写真を見ると、数十個の赤い楕円が集まり、くっつき合い、もつれ合い、渦を巻いている。所々楕円から突き出しているのは腕や脚だろう。その周辺に同じ数ほどの倒れた人がたの影が散らばっていた。
 人がたは青く、中にはうすピンクのものが混じっている。
「赤いのがヤツラか。青いのは冷たくなってる?“道具ドーグ”なしで殺し合いか?」
「そうみたい。最近はこうよ」
 次は光学写真だった。
 均等に地面を掘り返した跡が見えた。次々に増えて最新の写真ではざっと八十。
「まさか…」
「ええ、墓ね。全部、盟心會側」
「ステゴロにしても、半グレのガキどもにやられっぱなしか?信じらんねえ」私は呟いた。
「それにしても…どうやって墓穴掘ったんだ?」
「農作業の道具は与えてるわ」
 ヤクザが“道具ドーグ”と言う場合、普通は拳銃を意味する。
「…しかし、なんでまたアメリカさんはこんなものを?それに、俺らも空撮してたんじゃないの?」私は率直に尋ねた。
 理事官は口を曲げて嫌そうな顔をした。
「塀に設置した監視カメラじゃ目が届かなくて、正直知らなかった。あそこは外周以外の施設は整備中なのよ。で、肝心なのはこれ」
 私は覗き込んだ。
 拡大画像も添付されている。
「なんだ?黒い鳥、カラスか?いや、ちょっと待て。デカすぎるな。動きが速すぎてぶれてんのか」
 私は顔を上げた。
「なあ、なんだコレ?」
「知らないわよ。だから見てきて」
 卯月理事官は腕を組んだ。
「これ一枚しか撮れてない。なぜ先方がこの影をここまで気にするのか不明。あたしたちもドローンやヘリを飛ばしたけど不明。もちろん画像のノイズの可能性はある。彼ら、懲役どもは何か見てるかも。あなたは何か見て来れるかも。長くて三日。それ以上は入らなくていいわ。いずれにしても、塀の中の抗争でバタバタ死んでる時点で異常事態よ」
「ヤクザと半グレの潰し合いは想定済みでしょ?それより、あそこは隕石が墜落した跡だろ?こいつが隕石にくっついて来たエイリアンだったら?」私は写真をつまんでぶらぶら振った。
 卯月理事官はこれ見よがしに顔をしかめ、鼻の頭にシワを寄せた。
「そのときは援軍を送るわ」

 そんな上司とのやり取りがあって、佐知子に別れを告げた日の翌朝、私は車を飛ばして“クレーター監獄”に向かった。
 正式名称は“埼玉刑務所”。
 隕石衝突の衝撃波が造り上げた直径約十キロの円環状のクレーター壁がコンクリート補強され、高さ五メートルほどの絶壁となってそびえ立つ。
 間近で見ると壁は左右に果てしなく、地上の行き止まりのようだ。
 壁の外に建てられた詰め所で最後の打ち合わせを行い、囚人服に着替えた。
 出入口は三重構造になっており、第一、第二の鉄扉が轟音を立てて閉じると、第三の扉がクレーター内部に向かって開いた。
 振り返り仰ぎ見れば、歩哨に立った刑務官たちが塀の上から見下ろしていた。コンクリート塀がそれだけ分厚いということでもある。

 目の前に広がるのは、鬱蒼とした雑木林だった。下草が生い茂り、ブヨが飛び交っている。
 日差しを遮っているのはクヌギやコナラといった木々のようだが、隕石で焼け野原になって九年そこそこにしては植物の成長が早すぎる気がした。
 盟心會のアジトの場所は分かっている。その方向にヤブをかき分け進んでいった。

 三十分以上歩き続けると、開けた野原に出た。
 地面がデコボコに掘り返されており、すぐに気付いた。例の墓場だ。
 真新しい墓穴の前で、一人の男が背を向けていた。
 男は、私の気配にぎょっと振り返ったが、すぐに笑い出した。
「てめー!どこほっつき歩いてやがった?こっちの生き残りは五人だぞ?」
 彼の名は、鬼柳一穂きりゅうかずお
 盟心會の若頭であり、私の四分六しぶろくの兄貴だ。

3.襲撃

 盟心會の松羽まつば会長を始め、先に逝った者たちへ手を合わせ、形ばかりの弔いを済ませると、鬼柳に連れられて盟心會のアジトに入った。
 鬼柳は、「うん、うん。分かってた。虚井うろい龍司は、いつか来ると俺は思ってたぜ!」と私の肩を乱暴に叩き、嬉しそうに鼻をこすった。
 吹けば飛ぶようなプレハブ小屋だが、そこそこの広さがあり一応サッシ窓が四方に付いている。
 生存者は五人。
 直参では若頭の鬼柳と舎弟頭の薮下の二人が生き残った。薮下は、“隼田はやた組”の組長でもある。
 えだの者としては、隼田組で薮下のボディーガードを務める万城と、同じく隼田組の金田という若い者がいた。
 私が所属する鴉氣組の受刑者は親分を含めて全滅だった。
 五人目は、盟心會の親分だった松羽憲一の出身母体、“松羽組”の組長代行を務める岩蔵だ。
 岩蔵は、鬼柳とライバル関係で火花を散らした経緯がある。その因縁なのか、不機嫌な顔で私を怒鳴りつけてきた。
「なんやワレ!今さらどの面下げてノコノコと!」
「申し訳ありません。脳の血管が切れて八王子の医療刑務所におりました」と私は神妙に頭を下げた。
 医療刑務所や脳梗塞は嘘だが、脳神経外科に罹って入院したのは本当だ。
「それのせいか?」と鬼柳は私の側頭部の銃創を指さした。彼だけが多少心配そうな顔をしている。
「ボケ!血管の一本や二本どないやっちゅうねん!こっちはようけ若い者のタマ取られてんねんぞ?ワシかてこのざまや」
 岩蔵は不器用に包帯を巻いた左手を見せた。何本か指が欠けたようだ。
「まあまあ、兄弟。ここはシャバとちゃうねんぞ?虚井かて捕まっとったんや。来とうても来れんやろ」と薮下がなだめた。
「それに、アイツらに喰われる前から、兄弟はエンコ飛ばしとるやろが」
「なんやとワレ!」
 岩蔵が薮下に掴みかかるのを鬼柳が止めようとした。
「やめんか!岩ちゃんも、なあ!なあっ!
…こら!あんまし舐めた口聞いてっと先にぶち殺すぞ?」
 そこに、手製の棍棒を構えた万城が、「若頭かしら、どいつにぶち込んだらいいですか?」と加勢にやって来た。
「この人数で喧嘩してる場合じゃねーだろ。あんたら馬鹿か?」と、つい私が苛立つと、万城が矛先を変え、「てめぇ新参者が、のうのうとウタってんじゃねえ!」と怒鳴り始めた。
 その時、見張りに立っていた金田が手をバンバン叩きながら、大声を上げた。「…本当。本当なんだから!聞いて下さいよー!アイツら、紅蓮が来た!カチコミに来やがった!」
「飛んで火にいる、やな!」と岩蔵が吠え、鬼の形相で私をにらみつけた。「虚井!ええとこ来た!」
「こっちは六人!返り討ちすんぞお!」鬼柳も仁王立ちになって棍棒を掴んだ。
 プレハブの狭い開き戸で押し合いへし合いしたかと思うと、あっという間に全員が表に飛び出していった。
 この五人が生き残った理由がよく分かる。
 滅法強く、そして容赦ない。
 私が彼らの後を追うと、すでに棍棒で頭を割られた襲撃者が何人か転がっていた。

 私はいつものようにステゴロだ。拳にも自信はあるが、私の自慢はツルツルに鍛え上げた鋼鉄の脛だ。
 目の前に紅蓮が二人、迫ってきた。顔面への左ジャブ一発で動きを止めると、右ローキックで一人目の膝を潰した。二人目はカーフキックで脛骨を横からへし折った。
「龍司!鈍っとらんの?」
 万城が嬉しそうに声をかけてきた。「しゃけど気ぃつけよ!コイツら噛みついて来よる」
 確かに、さっき倒したうちの一人が歯を剥いて足首に噛みついてきた。私は踵でそいつの顎を踏み砕いた。
 岩蔵が手を喰われたのは本当らしい。
 襲ってきた紅蓮は十人ほど。私も紅蓮を相手にするのは初めてではない。
 だが、ヒヤッとするような違和感と不気味さを感じた。
 武器がないからといって、歯を使うのは異常だ。
「あっちに援軍や!」薮下が叫んだ。
 見ると、さらに十人が林から飛び出してきた。
 私は三人目の横っ腹にミドルキックを見舞って体を二つ折りにさせると、次に備えて息を整えた。
 が、襲ってこない。
 新手の十人は、転がっている仲間を抱え上げると逃げ出した。
「クソ!火つけられた」と金田が叫んでいる。
 振り返ると、アジトのプレハブが火を吹いて燃えていた。
 紅蓮の狙いはこっちだったようだ。

4.怪物

 日が沈む前にプレハブ小屋は燃え落ち、その前に木材を積み上げて焚き火にした。
 小屋の中から救い出したのは日本酒の一升瓶が三本だけだった。明日の朝、焼け残った食料を探すことにしたが、のぞみは薄い。
 男たちは、地面にどかっと座り、一升瓶に口をつけて酒の回し飲みを始めた。
「美味い。どっから仕入れたんですか?」と私が聞くと、薮下がニヤリと笑った。
「うちのネットワーク舐めたらあかんでぇ」
 武闘派の隼田組は大阪を本拠地にしつつ、硬軟両用の“さかずき外交”で北関東に進出し、老舗の博徒系組織を傘下に収めた。
 三次団体の協力者か、土建絡みの企業舎弟が埼玉刑務所に潜り込んでいるのだろう。
「もっとえーえもん持ち込んだったでえ!」
「ようやっと虎の子の出番やな?」
「おう。明日ヤツらの息の根止めるぞ!」と鬼柳も笑った。
「どことは言えんが、コルトガバメントを埋めてある。十丁やったかな?」
 M1911自動拳銃。数日前に盟心會の武器庫にガサを打ったところ、拳銃が大量に押収されたと聞く。
 その残りの一部がここに持ち込まれたということか。
「言うてもええやろ。鴉氣組の親分の墓の中に隠してんねんぞ?虚井の親やないか」
「うん。…龍司すまんの。こんだけ穴掘ったら目立たんやろ?木は森に隠せっちゅうてな?」と岩蔵は見渡すばかりの墓の群に手を振った。
「鴉の親父、若いころピストル大好きやったし、悪い気せんやろ。なぁ?」
「しかし、どこやったかな?」薮下が首をひねる。
「え?」
「鴉の親父さんな、どこ埋めたかな?」
「…え?」
「そやから…」
 岩蔵と薮下は顔を見合わせ、どちらともなく「まあ、明日考えよか?」と言うと、いい気分に酔っ払った様子でごろりと横になった。
 刑務所の中で拳銃をぶっ放されては治安機関の面目丸つぶれだ。私は、十丁の拳銃が鴉氣組組長の遺体とともに行方不明になることを祈った。
 酒を取りに炎の中に飛び込まされた万城と金田は火傷を負い、さすがに疲れ果てて先に寝ていた。
 皆、私と違ってボロボロだ。

若頭かしら」と私は鬼柳に話しかけた。「紅蓮隊のことなんですが…」
「アイツらのことは、暴走族だった頃から俺は知ってる。…が、なーんか変だよな?」
「はい」
「暴走族のくせに刃物や金属バット使って抗争して、毎年誰か死んでた。ヤクザの“族狩り”も返り討ちにするヤバい喧嘩チームだった。だが、今のヤバさは別モノだ」
「噛みついてくるとか、人間捨ててる感じがキモいすね」
「あの組織の生い立ち知ってるだろ?」
「確か、一九九八年生まれの同窓が固まって作ったとか」
「そう。バイクで走るのをやめても引退しないでマフィア化していった。中心にいたのが、善堂って野郎だ」

「呼んだか?」

 闇が膨らみ、その一部が黒い塊となって音もなく地面を滑り、鬼柳の隣に座った。
 私は訳もなく汗が吹き出し、鼓動が速まるのを感じた。
 そいつは、金糸の刺繍が入った真っ黒なパーカーを着ている。頭に黒いキャップを被り、その上にパーカーのフードを被っているので、夜目には顔が見えない。
 体がでかい。そして、そいつの周りだけ空間が歪んでいるような、酷くいびつな輪郭を持っていた。
「紅蓮の善堂か…」鬼柳が呟いた。
「そろそろ、ひれ伏していいんだぜ?」善堂が静かに言った。
「誰に?」
「鈍感だな。あの御方の存在を感じないのか?分からないか?俺らにも父なる存在ができた」
「お前がアタマじゃねーのか?手打ちは条件次第だ」鬼柳は冷静に返した。
 拳銃のことを気取られたくないのだろう。あえて下手に出ている。
「あの御方に土下座すんのに条件なんかあるわけねーだろ?」
「ガキが!口のきき方がなってねー」
「腐れヤクザよかこっちが立場上なんだよ」
 善堂は甲高い金属音で嗤うと、「てめえら救えねえ肉饅頭だな!」と吐き捨てた。
 煙を上げていたプレハブ小屋が、“バリバリ”という轟音とともに吹っ飛び、鉄板を突き破って黒ぐろと瘴気をまとった何者かが現れた。
 善堂のでかさどころではない。二メートル以上ある。
 そいつは焚き火を踏み散らかし、火の粉が飛び散る中、万城と金田に鉤爪を突き立て軽々と抱えると、とんでもない歩幅で跳躍して森に消えた。
 その後ろを善堂が、高笑いをしながら付き従う。
「なんだ!あの化け物は?」
 さすがの鬼柳が口をあんぐり開けた。
「俺が追っかけます!」
 私は怪物を追って飛び出した。

5.恐怖

 追跡は難しくなかった。
 クレーターの底地は、隕石の衝突による高温高圧で一旦粉砕され水飴のように溶解してから平らに固まり、その上に人工的に盛土造成を行ったため、土壌が浅く障害物やでこぼこが少ない。
 灌木や下草が踏み倒された跡に沿って走ればよかった。
 だが私は丸腰だ。反撃されたらひとたまりもない。
 私は雑木林の奥深くで立ち止まり、しゃがんで肛門の中から万年筆状の金属カプセルを引っ張り出した。
 卯月理事官を通じて支給された公安部の特殊機材だ。GPSの他、撮影や録音の機能が付いている。
 任務はヤクザの抗争に巻き込まれることではなく、情報収集だ。なるべく音を立てないように、慎重に進んだ。
 だが、雑木林に差し込む月明かりが複雑に重なり絡み合う影を作り、それらが眩惑するようにうごめいた。
 不気味な影がちらつく暗がりに分け入って進むにつれて息が苦しく足が重くなっていった。
 周辺を警戒しようと懸命に見回すが、視界が狭く暗くなっていく。頭の中で血管がドクドクと音を立て、吐き気を感じた。
 有毒ガスの可能性も考えたが、私の本能は別のことを叫んでいた。
 “捕まる前に逃げろ”と。
 だが、どこへ?
 足が言うことを聞かず、荒い呼吸だけをしながら動けなくなった。

「ビビってやがんな?」
 耳もとで邪気をはらんだ囁きが聞こえた瞬間、圧倒的な重力にのしかかられ、私は地面に膝をついた。
「跪いて頭を下げろ」
 金属を引っ掻くような耳障りな声。善堂だ。私の前に立ちはだかった。
 後ろから腰と頭をがっちり抑えつけられ、私は四つん這いになった。背後に怪物モンスターがいる。
「あの御方を受け入れろ」
 そのモノは頭の上で、喘息患者のようにヒューヒューと、しかし力強く呼吸をしている。
 私の膝と膝の間からズルズルと地面をのたくる音が大きくなり、這いつくばった目の前に、棒状の何かが伸びてきた。
 金属製の槍の穂先のようだが、うろこ状にヒビ割れて、その隙間から熱気と白い湯気を発し、ピンク色に湿った肉らしき体表が見える。
 穂先は私の目の前でうねうねと動き、ゆっくり視界の下方に消えた。
 次の瞬間、私の下半身を貫くような衝撃が襲った。
 あの怪物の肉の穂先が、私の肛門に突き刺さろうとしている。
 私は暴れ、絶叫し、怪物の侵入に抗った。
「受け入れろ」と善堂は繰り返した。
 灼熱の槍が直腸にめり込み、下腹部でメリメリと音を立てた。私は「やめろ!」と哀願しようとしたが、声にならず悲鳴を上げた。
 怪物の爪が、容赦なく尻と背中や肩の肉に食い込み、私はさらに泣き叫んだ。

 その時、続けさまに銃声が鳴り、私は突き飛ばされた。
 腹ばいになった私のすぐ上で、弾丸が空気を切り裂く“バン!”という衝撃波を感じた。
 かろうじて顔を向けると、鬼柳と薮下、岩蔵の三人が拳銃を構えて飛び込んでくるところだった。

6.磔刑

 岩蔵と薮下は勢いを緩めることなく突っ走り、地面に突っ伏した私を飛び越え、口汚く怒鳴り散らして怪物たちに襲いかかった。
 暗い中で目まぐるしい動きだった。左手を喰われた岩蔵は善堂に、隼田組の若い者二人を連れ去られた薮下は怪物に立ち向ったようだ。
 鬼柳は踏み止まると、かがんで私の体を仰向けにひっくり返し、「龍司、生きてるか?」と私の肩を揺さぶった。
「クソ!ケツが痛え」と私はうめいた。
「なんだ。馬鹿野郎!ケツの穴なんざ元々あんだろ。泣き入れんじゃねえ!」と鬼柳は容赦なく顔を殴りつけてきた。
 気合クンロクを入れられて私は正気に返り、なんとか立ち上がった。
 怪物の恐ろしさは体感した。いま立ち向かわなければ全滅だ。
「すんません!俺にも拳銃チャカください。あの化け物のケツを蜂の巣にしてやる」
「よしっ」と鬼柳はコルトガバメント一丁と予備マガジンを私に差し出した。
 鬼柳は岩蔵の援護に走り、私は薮下の方に向かった。
 茂みの中から発砲音と薮下の悪態が聞こえた。私は誤射を避けるために身をかがめ、ゆっくり近づいた。
「叔父貴、俺です。虚井です」
「そっち行くぞ!伏せろ!」薮下が怒鳴った。
 私が横っ飛びに転がるのと同時に、茂みを突き破って黒い怪物が現れた。そこに薮下が銃弾を浴びせた。
 私も側面から銃撃に加わった。
 だが、怪物の動きは俊敏だった。四肢の爪を立てて立木を駆け上がり、樹から樹へと跳び移って、また茂みに飛び込んだ。
 茂みの中から悲鳴が上がった。
 私は立ち上がって銃を構えた。
 だが、茂みの中から現れたのは薮下の異様な姿だった。
 手足を大の字に拡げて持ち上げられている。薮下の体ははりつけの状態で背後から怪物に掴まれているのだ。怪物が発する澱んだ瘴気に包まれ宙に浮いているかのようだった。
 その股の間で、怪物の長い尻尾がうねうねと伸縮したかと思うと、硬い鱗に覆われた穂先が薮下の肛門に“ドスッ”と音を立てて突き刺さった。
 薮下が絶叫し、怪物が咆哮した。
 根本にいくほど太く醜悪にささくれだった尻尾が、ズルズルめり込んでいく。薮下の尻から粘液がだらだらと漏れだした。
「ギャー!虚井…撃て!撃たんか!」
 悲鳴の合間に薮下が叫んだ。「早よ撃て!撃たんかい!ボケ!」
 私は薮下に当たらないよう、彼の膝の間を狙って撃った。
 怪物は銃声に反応して飛び退った。強靭な尻尾を一振りし、薮下の体を投げつけてきた。
 私は回転しながら飛んできた薮下の巨体を受け止め、ふっ飛ばされたが、慌てて跳ね起きて怪物を銃撃した。
 だが、怪物はあっという間に雑木林の奥に走り去った。

 そこに鬼柳と岩蔵が現れた。
 岩蔵は真っ青な顔で、首のあたりを手で押さえている。そのままドウッと倒れた。白目をむき首から出血している。
「善堂にやられた。喉笛狙って噛んできやがった」
 鬼柳は岩蔵の呼吸に耳を寄せ、脈を取ったが首を横に振った。「善堂は仕留めたが…クソ!二人がかりで相討ちとはな」
 薮下の心拍も弱々しかった。抱きかかえ、励ましながら彼が息絶えるのを見守るしかなかった。
 怪物に連れ去られた薮下の配下の二人を探したが、見つからなかった。生存は絶望的だと思うしかない。
 私は善堂の死体を見に行った。

 善堂のパーカーを引き剥がした。
「どうなってんだ?」私は息を呑んだ。
「そいつ、ガタイが変だろ?整形ってレベルじゃないと思うんだよなあ」鬼柳が話しかけてきた。「力も強いし、動き方が人間じゃねえぞ」
 四肢の骨が暴れるかのごとくいびつに成長していた。体表は黒っぽく硬化しつつ鱗状にひび割れている。
「あの化け物のパチモンみてーだろ?」
 私は死体のズボンを脱がせ、尻を剥き出しにした。
「ケツはもういいだろ?気色わりーな!」鬼柳がつばを吐いた。
「見てください」
 私は指し示した。
「うえ!ケツの穴がボッコボコじゃねーか!見せんなよ、そんなもん」
「それからこんなのが…」
 私は木の枝を使って十センチほどの尻尾を持ち上げた。

7.援軍

「あの化け物はなんだって…」
 私は、奇形の死体を見下ろして絶句した。
「あの尻尾をぶっ刺して体の中からいじくってんだろーな。変態な趣味してやがる」
「そんなことが…」
「できるんだろうよ。問題は、どこのどいつが、ってことだ」
「やっぱり隕石…」
「俺もそう思う。どう考えても、ありゃ埼玉育ちじゃねーだろ?」
 その時、“ドフドフドフ”という重苦しい音が響き、空気が動いた。
「また、なんか来やがったな」鬼柳は夜空を見上げた。
 風が吹き下ろし、樹木が揺れ、木の葉や枯れ枝を巻き上げた。頭上にヘリコプターがいる。
 ずんぐりと不格好な黒い影が木々の隙間を縫うのが見えた。
 前後にローターが付いている。
「チヌークですね。古い型ですが、自衛隊の輸送ヘリです」
「ここに何の用だ?」
「空挺かもしれませんね」
 偵察にしては、機体がでかすぎる。人員にしろ装備にしろ、そこそこの物量を運んでいるはずだ。
「クーテイ?」
「ヘリからパラシュートで降下するんです。化け物退治に腰を上げたのかも…」
 私が送った画像や音声データに反応したとすれば、辻褄が合う。
 実際に降りてくるとすれば警視庁の特殊急襲部隊SATだろう。治安出動の場面でもなければ、自衛隊は表に出られない。
 鬼柳は口を曲げていまいましげな顔をした。
「だとしたら、ボケっとしてらんねえぞ。化け物ぶっ殺すのは俺らだ。警察だろが自衛隊だろが、先を越させる訳にいかねぇ」
 “本気か?”と聞くだけ野暮だ。
 鬼柳は自分でかたきを仕留めるつもりだ。ヤクザの理屈としては正論だ。
「こっちは親父も兄貴、弟、子分もみんな殺られちまった。あの化け物があっちの頭だって言うなら、そいつを取る。“返し”が取れねえなら、もう死んだも同じじゃねーか。そうじゃねえ、俺らは生きてんだ!すぐ準備して追うぞ!」
 鬼柳は拳銃と予備マガジン、コンバットナイフなどを地面に並べ、装備をより分け始めた。
 私は言葉に詰まった。
 ふと鬼柳の手が止まり、視線が鋭くなった。
「おい、龍司!まさか、てめぇイモ引くってのか?」
「いえ、違います」
 そうではない。
 クレーターの怪物の存在が明らかになった以上、私の任務は終わりなのだ。ここから先に進む意味はない。
 盟心會と東京紅蓮隊との抗争は事実上収束した。怪物はいわば部外者だ。
 それに、鬼柳は私が盃を交わした兄貴分であり、職務の一線を越え、体を張って守ったこともある男だ。正直、無駄に死なせたくはない。
 だが、ここに留まるよう鬼柳を説得できるのか。今の鬼柳に損得勘定は通用しない。
 かたや私は潜入捜査を暴露することができない。基本中の基本である守秘義務に反するし、言えば、鬼柳に殺される。
 むしろ、怖いから行きたくない、と言う方が自然なのだろう。その場合でも、怒り心頭に発した鬼柳に撃たれるおそれがある。
 かといって我が身可愛さに、目の前の銃を奪ってそれを鬼柳に向けるようなことが私にできるのか?
 私の保身をさて置いても、鬼柳を一人で行かせれば見殺しにするのと同じことだ。
 堂々巡りを必死で考えていると、鬼柳が“ふーっ”と息を吐いた。
「まあ、ついて来いとは言わねーけどな」
若頭かしら、いや兄貴」
「なんだ?こんな時だ。本音、言っていいぞ」
「俺、刑事デカなんです」
 鬼柳は、「おいおい!」と言って笑い出したが、すぐに冷ややかに表情を消した。「本当か?お前、潜入エスだったのか?」
「はい」
 鬼柳はコルトガバメントを握り、マガジンを叩き込むとスライドを引いて装弾し、銃を私に向けた。安全装置も解除したようだ。
「あの化け物は警官デコスケの飼犬か?てめぇ知ってたのか?」
「いいえ」
「じゃあよ、今さら塀の中の俺らに何の用があんだ?」
「俺の仕事は特定抗争の拡大阻止です。今回は、何者かが抗争に介入した、って言うんで情報収集に来ました。あんな化け物だとは知りませんでしたが…」
「塀の中まで御苦労なこった。…それで?また高みの見物か?」
「いや、俺もわからなくて…」
 私に向けられた銃口が下がった。
「まあ、今回の抗争じゃあ民間の人を何人も巻き沿いにしちまったからな。紅蓮に聞き分けがありゃ、こじれる前に手打ちにしたかったぐらいだ。刑務所ムショに放り込まれたのにも文句は言えねえ。だが、あの化け物は別だ」
 鬼柳は立ち上がり背を向けた。
「俺は行くぜ。“虚井龍司”はどうする?」
 私はコルトガバメント二丁と予備マガジン、コンバットナイフを掴むと立ち上がった。
「俺も行きます」

8.血盟

 怪物が進んだ方角から、目的地の位置は大体の予測ができた。クレーターの中心部だろう。偵察衛星の画像でも、その近くに東京紅蓮隊のアジトがあった。
 隕石が衝突すると隕石本体は砕け、圧力と熱で溶けて拡散する一方、地殻の反動で中心に盛り上がった部分ができる。これを中央丘というが、埼玉クレーターには中央丘の真ん中に直径二メートルほどの貫通孔があるらしい。
 周辺の放射線量が基準値を超えているため専門家は立ち入っていないが、前例のない現象に関心を持った海外の宇宙惑星科学の研究者がドローンによる調査を行った。しかし、通信障害やドローンの故障が続発し、深さが三十メートル以上ある、ということの他は何もわかっていないという。
 だが、怪物の存在を前提にするならば、そいつが侵入時に開けた突入孔という可能性がある。

 中央丘の周辺には樹木がなく、直径が百メートルほどの空き地になっていた。
 その上空にCH−47チヌークがホバリングしていた。
 私と鬼柳が灌木に隠れて状況を見ていると、チヌークの後部ハッチが開き、SATらしき濃紺の隊服の者たちが姿を見せた。
 高度を下げているので、ラペリングで降りるようだ。彼らはロープを投げ降ろし、素早く懸垂下降を始めた。

 最初の隊員が降り立つ寸前、中央丘の真ん中から異形の者たちが湧き出てきた。
 もはや人間らしい輪郭を喪失した者たちが、四つん這いのまま転がるように走り出した。地面に引きずるくらい長い尻尾を生やした者さえいた。
 怪物を受け入れ、奇形と化した紅蓮隊の生き残りだ。穴から吹き出したのは十匹ほどだった。
 先頭の一匹が隊員に襲いかかると、あっという間に残りの者たちがロープをよじ登り、チヌークの後部ハッチになだれ込んでいった。
 “タタタ!”という短機関銃MP5の発砲音が繰り返し響いたが、襲撃の勢いは止まらない。
 私たちは飛び出し、SAT隊員が襲われて転がりまわっているところに駆けつけようとした。
 だが、縦穴の中から、節くれだった長大な前腕が伸び、かぎ爪が地面に喰い込んだ。
 あの怪物が巨体を持ち上げ、姿を現した。
 鬼柳は穴から上半身を出した怪物に発砲しつつ、躊躇なく距離を詰めていった。
 私はSAT隊員の腕に噛み付く、かつて人間だったモノを渾身の力で蹴り上げ、四五口径の銃弾を何発も撃ち込んだ。体勢を立て直した隊員もプローンポジションで連射する。
 まず“一匹”始末した。
 目を上げると、空き地の外れでチヌークが雑木林に突っ込むのが見えた。爆音とともに炎が上がった。
 SAT隊員はそちらに駆け出した。私は振り返った。
 視界に飛び込んできたのは、鬼柳が抑え込まれ身動きもできず這いつくばった姿と、その背後で背中を丸め、荒い息遣いでよだれを垂らし、腰を持ち上げた怪物の姿だった。
 怪物はうめき声を上げると、勢いよく腰を沈め、尻尾の先端を鬼柳の肛門に突き刺した。
 鬼柳は声を上げなかった。
 鬼柳は土下座の姿勢から歯を食いしばって顔を上げた。血走った目と目が合った。
「おどれ、逃がすかボケ!」と鬼柳は吠えると、コンバットナイフを逆手に握って振り上げると、おのれの腹に突き立てた。
 刃は直腸に潜り込んだ怪物の尻尾を貫いたに違いない。耳をつんざく悲鳴を上げた。
 怪物は逃れようと暴れたが、鬼柳は大地に根が生えたかのごとく怪物を串刺しにして、びくともしなかった。
「龍司!来い!」
 鬼柳は微笑んだ。
 私は構えたコルトガバメントを左手に持ち替え、右手にもう一丁握ると、怪物の頭に両の拳を突き立て全弾撃ち尽くした。

9.エピローグ

 “カラン…”という音を立てて店に入った。
 あれから佐知子はガールズバーを辞めてスナックで働いてるという。
 この店のはずだが、姿が見えない。
 私は顔に貼り付けた笑顔を絶やさぬよう注意ながら、佐知子の本名を言わないようにしながら、大切な人の消息を探ろうとした。
 カウンターの隅に身を小さくし、黒ずんだ肌を見せないように気をつける。
 店の者が近づいてこないので、ひび割れた声でビールを頼んだ。
 なぜか全身がむず痒い。
 尻の出っ張りに手を伸ばし、あんまり引っ掻くと血が滲んで瘡蓋ができるのに、などと反省しながら爪でゴリゴリと掻きむしることを止められないのだ…


― 完 ―



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