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『Sing a Simple Song』 10

     6(承前)

「あんたは何を言うてんねんな」
「あの日、ぼく、ちいちゃんにひどいことを……、絶対に言っちゃいけないことを言ったんだ。ちいちゃんの詩がみんなにほめられたことがくやしくて、飛べるわけなんかないって、鳥と結婚したいなんてバカじゃないのって、ちいちゃんに言ったんだ。あの日、ぼくね、友達にバカにされたんだ。車椅子の子とデートなんだろって、結婚するんだろって、みんなの前でバカにされて……それがくやしくて、はずかしくて、いつもいつも迎えに行くのはめいわくなんだよって、ちいちゃんに言っちゃったんだ。ちいちゃんは、泣いてた。すごく悲しそうな顔して泣いてた。きっと……それがショックでちいちゃんは……。だから……ごめんなさい。おばさん、ごめんなさい。ぼくのせいなんだ……ぼくのせいで、ちいちゃんは……」
 それ以上は言葉にならずに、ひっくひっくと嗚咽の声を上げて、あふれる涙もそのままにただガクリと頭を下げる。
「あほやなあ、あんたは……。そんなことでずっと一人で苦しんでたんかいな。おいで」
 そう言って、すっと近づくと、清江おばさんは拓真を力強く抱きしめる。
「千津が亡くなったんは病気のせいよ。ほら、何年か前にあの子、腸捻転のおっきい手術したん知ってるやろ? もう身体全体の機能が弱ってしもてるから、いつ再発してもおかしくないとは言われてたんよ。たまたまタイミングが悪かったんか知らんけど、ちょっとショックなこと言われたくらいで、生死にかかわる病気になるなんてことはないわ。あほなこと思たらあかんえ。それにな」
 と、少し身体を離すと、清江おばさんはいたずらっぽく笑って見せる。
「思い詰めてたあんたには申し訳ないけど、あの日の千津は、すごい幸せそうやってんえ」
 ほら、これで涙拭きよし……と、おばさんはティッシュを二枚ほどとって、まだえぐえぐと泣き続ける拓真に手渡す。
「あの日はな、歌うたいはる恭二さん言う人が、千津のこと送ってくれはったんよ。てっきりいつもみたいにたくちゃんが送ってくれるもんやとばっかり思ってたら、シュッとしたイケメンが現れたからうちもびっくりやったわ。うちが帰る6時過ぎまで、千津の面倒よう見てくれたみたいで、最後は抱っこしてそのソファまで運んでくれてな、すっかりお姫様待遇よ。ほら、千津、あの人のことが好きやったやん? もうすっかり乙女の顔して、恭二さんとあそこ行ったのとか、何をお話ししたのとか、夢中で話してくれてさあ、あの子のあんな幸せそうな顔見たん、ほんま久しぶりやったわ」
 そう言って目を細めて、清江おばさんはちいちゃんの遺影を見つめる。
「たくちゃんと喧嘩しったって話も、ちょっと聞いてはいたんや……。落ち込んでたら、恭二さんが優しくなぐさめてくれた言うてた。あの子、たくちゃんのこと、心配しとったんやで。たくちゃんのお兄ちゃん、すごくしんどそうやったって。何か嫌なことあったんかな?……って」
「ぼく……謝りに行こうと思ってたんだ。次の日、ちいちゃんに謝りに行くつもりだった。なのに……」
「なあ、たくちゃん、奄美のユタって知ってるか?」
 拓真は黙って首を振る。
「うちらのルーツが奄美大島なんは知ってるやろ? ユタっていうのは、神様のお告げを聞いて人に教えてあげる、占い師みたいな存在やねんけど、うちのお母ちゃんのおばあちゃんが有名なユタやったみたいでな、どうも千津はその才能を受け継いでたみたいやねん」
「才能? 占い師の?」
「占い師というか、巫女さんみたいな感じかな。人の心とか、ちょっと先のことが分かったり、鳥やチョウチョとお話しすることもできたみたい」
 きらめく神秘的な眼差しで、チョウチョを一心に見つめていたちいちゃんの様子を、ふと思い出す。
「なかなか表にあらわれへん、人の心の本当の輝きっていうもんを、あの子は瞬間的に察してたみたい。いつも言うててんよ、たくちゃんのお兄ちゃん、こんなとこ連れて行ってくれはった、こんなこと言うてくれはった……って、嬉しそうに。たくちゃんのお兄ちゃん、ほんま優しいなあって」
「ぼくは、優しくなんかないんだ。ちいちゃんのお迎えに行くの、じゃま臭いって思ったこともあったんだ」
「ええんよ。そんなん、当たり前のこと。そんなこと、誰かて思うのよ。たくちゃん、あんたはええ子やなあ。千津の言う通り、あんたはほんまに優しい子やわ」
「ぼくは……優しくなんか……」
 一度止まった涙が再び溢れてくる。でも、今度の涙は、胸を刺すような痛みのない、温かい涙だった。
「たくちゃん、改めましてやけど、今までほんまにありがとうな。いろいろやりたいこともあったやろに、千津の面倒よう見てくれて、ほんまありがとう。このまま……このままずっと、穏やかな幸せが続くと思っとった。まさか……まさかこんなに早く、あの子がいいひんようになるなんてなあ……」
 おばさんにまた抱きしめられる。微かに震える身体から、大きな悲しみが伝わって来る。
「千津……千津……なんであんたはこんなに早うに……千津……」
 ひそめた泣き声が、切々とアパートの部屋に響く。キッチンの窓から差し込んだオレンジの陽光が、ちいちゃんの写真に触れてキラキラと輝いている。

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