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京町家と看板、茶色い思い出

遅ればせながらインスタグラムを始めた。デジタルは苦手で、何を投稿したらいいのか、さっぱりわからない。でも、何かテーマがある方がいいなと考え、京町家と看板を紹介することにした。
和菓子屋の看板、布団屋の看板、蕎麦屋の看板。うーむ、茶色い。茶色過ぎる。古い木だから当然だが、いくら何でも渋すぎないだろうか、これ。
試しに、#京都でインスタを検索してみると、花や紅葉、スイーツなど、夢見るように華やかな色彩がこぼれ出た。やっぱり、きれいなものはいいな。眺めるだけで癒される。

しかし、私は生来の頑固者。当分、茶色い看板を撮り続けるであろうことが、自分でもわかっている。理由を考えているうちに思い当たった。私は「思い出」を集めているのだ。

どこのまちもそんなものだと思うが、京都のまちは変貌が著しい。古い京町家が次々なくなり、あっという間にマンションやホテルになる。空き家と思われる京町家がある日取り壊され、全く別の建物に生まれ変わる。
働いている時はそんなこと、別に気にとめなかった。まちや家が住む人たちの都合で姿を変えるのは当然のことだ。別に自分の暮らしが不便になるわけではない。

しかし、会社を辞め、子どもが独り立ちした後、私に押し寄せてきたのは猛烈な孤独感であった。ふと気がつけば、「寂しい寂しい、寂しいな~」と口ずさんでしまっている。特に夕方、太陽が沈みかけた頃の落ち込みがひどい。自分でもちょっと怖い感じがする。

そんな毎日を静かに支えてくれているのは「思い出」だ。

実は、私はきれいな景色に目がない。仕事でばりばり稼いでいた時、美しい景色見たさに色々な所を旅行した。真っ青なハワイの海、絵本のようなイギリス・コッツウォルズのまちなみ、穂高連峰を望む長野県の上高地。それらの景色は疲れた私の心を慰め、また頑張って働いて休日に旅をしよう、と、前向きな気持ちにさせてくれた。旅行のたびに私は感激し、夢中でデジカメのシャッターを切り続けた。あの写真は一体どこにいったのか。

今、私の孤独を慰めてくれているのは、通勤や取材の時、歩きながら無意識に眺めていた、あるいは疲れてお茶を飲みに入った記憶がある京町家のお店である。辛かったことも、悲しかったことも、心躍るようなことも、すべてこのまちなみと結びついている。短時間でも毎日のように繰り返し目にすることは、一度旅行で訪れるのとは比べ物にならないほど、大きな影響を心に与えるらしい。

だから、見慣れた京町家や建物がなくなると、自分でも驚くほどうろたえてしまう。京都観光ブームとそれに続くコロナ禍で、私の思い出の場所は次々に消え、姿を変えた。そのたびに衝撃を受け、また寂しくなる。それなら、私の思い出の場所を、自分のスマホを使って記録しておこうと思ったのだ。

そもそも私は子どもの頃、京町家と呼ぶのもはばかられるような、小さな長屋に住んでいた。路地奥にある、木と土でできた古い建物。冬は猛烈に寒く、夏は畳の上を蟻がはい、米びつの中に子ネズミがいたことも一度ある。この家も茶色かった。
いわゆる「陰キャ」で、キラキラした出来事とは無縁だった少女時代。私を守り、育んでくれたのは、間違いなく古くて茶色い長屋である。

ここまで書いた時、我が家のキジトラ猫が「にゃおう」と抗議した。
「茶色茶色って、こきおろすなよ。僕の毛皮も茶色のしましま。でも、つやつやで、こんなにあったかいよ」


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