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5回の脱臼が教えてくれたこと

#たすけてくれてありがとう

近しい存在だからこそ、感謝は常にしていこう。

感謝を込めて、怪我について語りたいと思います。

小学校1年生の秋か冬、どちらか忘れましたが私は記憶にある怪我で初めて

「右肩肩関節脱臼」をしてしまいました。


なぜ、右肩を脱臼してしまったのか。

それは、完全に自業自得なのですが、家のリビングでチョロQで遊んでいた際にテレビ台の下にチョロQが入ってしまい、チョロQは巻いた分だけ走るおもちゃであることからテレビ台の下に入らないよう、阻止しようと勢い余って頭からダイブ(ヘッドスライディング)をしてしまったからです。


・脱臼ってどんな怪我?

脱臼とは、簡単に言えば関節が正規の場所から外れてしまうことです。
肩であれば内側に外れたり、外側に外れることがあり、治す際もハメ方が違ったりします。より詳細に把握したい方はこちらのサイトから理解を深めてください。

私は人生の中で脱臼以外にも普通の骨折や肉離れなどを経験してきたのですが、正直脱臼が一番痛かったです。

具体的に肩が外れているので、痛くていつも通りに真っ直ぐ立って歩くことは困難で、前かがみで左手で右手を抑えて、猫背が悪化したおじいちゃんみたいな姿勢でしか歩けませんでした。


また、病院に行くために車に乗せてもらったりすると、走行中の段差などで揺れるたびに振動が右肩の痛みに繋がり、その間も前かがみの姿勢を保っていても痛みが走るものでした。

病院についても、まずは内側か外側かどちらに外れたのか、レントゲンを撮影して確認しなくてはならず、痛い中、動かすことが困難なのに行けるところまで動かしたりして撮影しなくてはならないという点も辛いところでした。


ですがそんな一番痛かった脱臼でも、最も痛いのは元に戻す時です。

それはなぜかというと、一度外れてしまった肩関節を元の位置に戻すために、医師が腕を持って関節がはまるように動かすからです。

なので当時、小学一年生なので約7歳の少年が感じる痛みでは想像を絶するものでひたすら泣いていたのを覚えています笑


またこの脱臼というのは、反復性になる人が多く、一度なると何回も同じ箇所を脱臼しやすくなってしまう怪我で、捻挫癖と同じ感じと思ってもらえたらイメージがつきやすいと思います。

そして、医師に肩をハメてもらっても、内出血や外れやすくなっていることから2〜3週間三角巾で固定し経過観察し、日常生活へ戻ることができます。


・二度あることは三度ある!?

脱臼は反復する人が多い、私も例外ではありませんでした。
現在に至るまで、初めての脱臼を含めて右肩を計5回脱臼を経験しました。


初めての脱臼以降の脱臼エピソードは、友人に話しても割とウケたので原因を全部話していきたいと思います。


・2回目の経験

2回目の脱臼は、小学校3年生の時でした。

私は2限と3限の間の休み時間に友人と当時ハマっていたドラゴンボールごっこという名の格闘ごっこをしていました。

この時のことをあまり覚えてはいませんが、確か技の名前を言って、相手である友人がそれをかわし、友人の攻撃を受けて床が滑りやすかったためか滑ってしまいました。

その時、『あ、これ右から落ちる!』瞬時にそう思いました、でも時すでに遅く脱臼してしまいました。

病院に向かう際に、先生方が呼んでくれたのは、母とタクシーでした。

そこは病院行くのに救急車じゃないんかい!と1人でツッコミを入れていたのを覚えています笑


・3回目の経験

3回目の脱臼は、小学校4年生の時です。

現場は自宅でした。

当時、野球を始めたことも影響しており、野球にハマっていました。

その中で、自宅の一室にネットが張ってあり、そこにプラスチックのボールを投げられる環境がありました。

ですが、何を血迷ったのか、過去に2回脱臼しているのにも関わらず、壁の上の方にボールを当てて跳ね返ったボールをジャンプしてとる練習、というより遊びを1人でやっていました。

ジャンプごとぎで外れないだろ、私は左利きだったのでボールを取るのは逆の右手になり、ジャンプして右手を精一杯伸ばして捕球を数回行い、もうちょっとやって終わろうと思って実行に移りました。

ここで見事に脱臼しました。病院へはたまたま家に母がいたため、車で連れて行ってもらいました。


・4回目の経験

4回目の脱臼は、少し間が空いて高校1年生の時でした。

高校でも野球を継続しており、現場はオフシーズンである冬のグラウンドでした。

これまで野球をしてきて、ダイビングキャッチをしても外れたことがなかったことから割と気軽に頭から飛び込んでいたことが原因になりました。

練習内容として、私は一塁手を守っていたことから内野手という枠で、守備範囲を広げるための一塁と二塁の間に立ち、交互にノックが打たれるので、走ってそれを捕球するという練習でした。

私は、守備範囲(打球を処理できる範囲)が比較的狭いタイプであり、精力的にこの練習に取り組んでいました。

ただ、練習なので、取れるか取れないか、ギリギリの所にしかノックがきません。

そこで、取れるか取れないかは関係なしにダイビング、要は飛び込むことは必須であり、私もしていました。

しかし、数回行ったのち、この打球なら飛び込んで取れると思い、飛び込んだ際に脱臼してしまいました。

しかも、飛び込んで右肩に強い衝撃が加わって脱臼したのではなく、打球を捕球した際に打球の威力が強く、打球にグラブが押されて関節が内側にずれてしまったのです。


これには、自分自身の脆さに嘆きました笑


大変だったのはこれからで、今回も母の車で病院に向かったのですが、日曜日であったことから救急病棟、緊急で空いている病院でしか診察してもらえなく、あろうことか救急では専門医が少ない場合が多くて、私の場合肩周りに筋肉がつき始めていたことからもその場にいる医師では関節をハメられないとなり、要は病院をたらい回しにされました笑

次の病院は、これまでお世話になっていた総合病院に救急で向かい、ハメてもらいました。

ただ脱臼の状態で長時間放置すると治らなくなると聞いたことがあったので、約3時間ほど立ってはめてもらえたので当時は恐怖と不安でいっぱいでした。


・5回目の経験

5回目の脱臼は、また少し間が空いて大学1年生の11月頃にしました。


現場は、またもや自宅でした。


その時は日曜日で土日に講義があり、前日に一睡もせず講義の予習を行い、講義を終え帰宅して全てを済ませて21時に就寝しました。

ですが時刻は24時頃、「なんか、いってえな?」と思い、ふと起きると仰向けで右手を伸ばした状態で、脱臼していました。

流石にその時間から車を出すのはめんどくさいとなり、救急車を呼んでもらい病院に向かいました。

結果として、3回目の脱臼から全身麻酔を行っており、5回目も同様にハメてもらいました。

これが、私の初救急車の経験です笑


・全5回を総括して

これまでの全5回の脱臼を知って頂いてわかってもらえたと思うのですが、ついに私の脱臼癖は寝て起きたら脱臼してた!?レベルになっていたのです。


・このままでいいのか?

スポーツ選手で脱臼癖がある人の中には、自分で直せる人が稀に存在します。

ですが、そんな痛くて怖いこと私にはできません。

そんなこと言っても、またいつ外れるかわからない。運動しなくても外れる体であると自覚した時に流石に、1人になった時、1人暮らしを始めたりして助けを求められない…

そんなことを思いながら、経過観察の診察を受けていました。

その中で、医師から「肩が外れにくくなる手術とかどうですか?」と提案されました。

私の経験では、物心つく以前に手術を経験していたそうなのですが、記憶がないため恐怖や不安を率直にその時は感じました。

手術をすれば簡単には外れなくなることはわかっていました。

ただ、手術をするとリハビリ次第ではありますが、肩の可動域が狭くなってしまう要因があり、大学で一度やめた野球を草野球としてまたやろうと思っていた頃だったので迷ってしまいました。

このままではいけない。

そう思いながらもなかなか踏み切れませんでした。


・決断をする。

これまでの経験を思い返し、怪我をした時いつも親が送迎してくれて、医師が治すために精一杯頑張ってくれている。

この事実を思い返して、これから成人して大人になるのに、周りにお世話になり続けるのはカッコ悪くないか?そう思うようになりました。

親的にも、独り立ちするのにこの先1人でいる時に脱臼したら、誰もサポートができないし救ってあげられないことから、大学の春休みなら長期で休みだし、手術をしたらどうか?という話になりました。

結果としては、ここで手術を決断し、1月の中旬に手術を行いました。


・手術を終えて

生死を左右するものではないのですが2時間ほどで終わると告げられていた手術が、少し伸び、3時間ほどかかったそうです。

行ったのは、正式名称は覚えていませんが「肩関節脱臼関節鏡視下手術」だったと思います。

そこで、「鏡視下バンカード修復術」という下関節上腕靭帯が正常な位置に戻すために骨に穴を開けてアンカーを打ち込み、靭帯を引っ張り上げるような感じの手術でした。

具体的に医療を学んでいる身でないため、詳細が知りたい場合は個人でネットで検索してみてください!

それから約一ヶ月、右腕を固定し、術後三ヶ月から軽い運動を許され、半年で何をやっても良い許可が出ました。

痛みももちろんあったのですが、徐々に引いていき、今では支障なく生活できるまでになりました。


・振り返って気づき、感謝したい

この経験から、不安なく生活できることは当たり前ではないことと何事も怪我や病気をすれば、周りのサポートやそれを治すために医師が関わってくることです。

私は、おそらく割と恵まれた境遇で育ったと思います。

なぜなら基本的に何不自由なく、食べたい時に食べさせてもらえ、学校で必要ならお金を出してもらい、夢を追いかけるために趣味(野球)までお金を出してもらっていたからです。

だからこそ、周りにいる家族の存在は当たり前であり、なんとも思っていませんでした。

でも、脱臼をした時、いつも親が病院まで送迎してくれ、経過観察の診察では会社に半休や有給をとって付き添ってくれたから、手術の費用やリハビリの送迎をやってくれたから不安なく生活できる今があるのだと思いました。

もちろん、医師も治してもらった人はそれぞれ違いますが、私という怪我人のためにもっと重要度が高い患者さんがいる中、治すために尽力してくれたり、その医師の限りある勤務時間のうちの数時間を何度も頂いていること、手術をしてもらったこと、これ以上大人になる上では、あまりお世話にならないようにならなければならないと思いました。

でも、関わってくれたおかげで今がある。

私の今を作るために、またこれまでの怪我で治すために関わってくれた方々には感謝しなくてはならないと思いました。


次は、家族を私がサポートできるようにならなければならない番です。


恩返しは必ず遂行する。

そしてサポートなどの繋がりに感謝を忘れない社会人になりたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

(写真:                                <a href="https://www.photo-ac.com/profile/200890">チョコラテ</a>さんによる<a href="https://www.photo-ac.com/">写真AC</a>からの写真)

Thank you!!