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2023年5月「三億円事件」現場探訪

ゴールデンウィークの五連休だがどこに出かけてもババ混み必定。天気もいいのでヴェスパでそのへんを走りまわって、以前から行ってみたいと思っていたところを訪ねてみることにした。行きたいところはいくつかあるが、まずはここ、東京都府中市の三億円事件現場である。

三億円事件は1968年12月に起こった現金窃盗事件で、工場従業員の賞与資金を運ぶ現金輸送車が、銀行から工場までの道筋でニセの白バイ警官に停止させられ、クルマごと奪い取られた事件である。犯人は今日に至るまで逮捕されておらず、盗まれたカネも返ってこなかった未解決事件だ。

現場は府中刑務所の北側を走る通称「学園通り」と呼ばれる片側1車線の道路。ここでニセ警官は「支店長宅が爆破され、このクルマにもダイナマイトが仕掛けられている」と申し向けて銀行員らをクルマから降ろし、自ら運転席に乗りこんでそのまま走り去ったというのである。

その現場の現在の姿がこれである。

府中刑務所北側の学園通り。三億円事件の第一現場。

カーブミラーのあるあたりが事件現場らしい。ここで現金輸送車(実際には支店長車)である黒塗りの日産セドリックがニセ白バイのニセ警官に停止させられたのである。ニセ警官はダイナマイトをさがすふりをしてクルマの下にもぐり、そこで発煙筒を焚いて「危い! 逃げろ!!」と銀行員らを退避させてから、まんまとクルマごと現金を持ち去ったという。ここが「第一現場」と呼ばれている。右手の白い壁の向こうは府中刑務所である。

ニセ警官がクルマを乗り逃げしたのだから、現場には当然ニセ白バイが残された。ニセ白バイは盗難バイクを白く塗ったもので、クッキー缶やメガホンを装着してそれっぽく偽装してあった。そして、軽自動車用のボディカバーをひきずっていた。

犯人はこの場所のすぐ近くにニセ白バイを停め、ボディカバーをかぶせて隠していた。事件直前、そのカバーをはずして発進するはずがどこかが引っかかってうまくはずれず、しかたなくひきずったまま現場までバイクを走らせて来たものと思われた。

三億円事件の第三現場。第一現場の500メートルほど東。

ここが、犯人がバイクを隠して用意していたと思われる場所である。当時は広大な空き地であったらしいが、今はすっかり宅地化されている。なぜここにバイクを隠していたのがわかるかといえば、カバーをかけられた不審なバイクの目撃証言があることに加え、犯人がここまで乗ってきたと思われるトヨタカローラが半ドアでワイパーも動いたままここに乗り捨てられていたからである。ここは第三現場と呼ばれている。

現金輸送車は国分寺駅ちかくの銀行からここまで国分寺街道を南下、現在の明星学苑前交差点を西に向って右折し学園通りに入った。犯人は銀行ちかくからカローラで現金輸送車を先導または尾行し、現在の東八道路あたりから現金輸送車といったん別れるかたちでショートカットになる裏道に入って、先ほどの空き地でカローラを乗り捨てた。このカローラはもちろん盗難車である。

そのうえで、ここに隠しておいたニセ白バイに乗りかえるため、かけておいたカバーを急いではずそうとしたがどうしてもうまくはずれなかったのだろう。めちゃ焦ったと思う。犯人はそれまで着ていたレインコートを脱いで白バイ警官の制服姿になったあと、やむなくボディカバーをひきずったままバイクで裏道から学園通りに出て現金輸送車を猛スピードで追尾し、停止させたのである。

さて、現金輸送車を奪った犯人は、学園通りをそのまま西に進み、府中街道を右折して北に向かった。ほどなく現在の東八道路を越えたあたりでさらに右折、今度は東に向かう。このあたりには武蔵国分寺跡があり、当時はうっそうとした森と墓地のある、昼なお暗いあまりひと気のないところであったという。その武蔵国分寺跡の現在の様子がこんな感じだ。ここが第二現場と呼ばれている。

三億円時間の第二現場。武蔵国分寺跡の七重塔跡ちかく。

現在では墓地が移転し、公園ぽく整備されているが、よく晴れたゴールデンウィークの昼前だというのに家族連れがひと組いただけで、他には人通りもあまりないようだった。閑静な感じは写真からもわかるのではないかと思う。まあすぐ近くに武蔵国分寺公園というちゃんとした公園があるからかもしれない。

さて、犯人はここに逃走用のクルマ、もう一台のトヨタカローラを隠していた。ここに現金輸送車である黒塗りのセドリックを乗りつけ、たぶん大急ぎで現金の入ったジュラルミンのケースをセドリックからカローラに積みかえたと思われる。もちろんこのカローラも盗難車。

三億円といえば全部一万円札で用意したとしてもジュラルミンケース3つ分、かなりの分量と重量である。当日は激しい雨が降っていたということだから、積みかえるだけでもかなり骨の折れる作業だっただろう。

第一現場からこの第二現場までは2km足らず。ヴェスパで走ったらすぐだった。犯人は事件から10分か15分後くらいにはここにたどり着いてクルマを乗りかえているが、警察は盗まれた黒塗りのセドリックを血眼でさがしており、犯人は捜査網をやすやすとくぐり抜けた。

さて、現金をカローラに積みかえた犯人はそこからどこに消えたのか。ここから逃げる際、犯人は第二現場近くで接触事故を起こしそうになって「濃紺のトヨタカローラ」が目撃されているが、このカローラが発見されるのは翌年の4月になる。

三億円事件の第四現場。小金井本町住宅駐車場。奥から二番目の区画らしい。

ここが第四現場、JR武蔵小金井駅から北に1kmもない交通至便な団地である。濃紺のカローラはこの団地の駐車場にカバーをかけた状態で放置されていた。

後の航空写真などでの検証から、事件の翌日にはすでにここに乗り捨てられていたらしいが、だれもが「だれかのクルマなんだろう」的に見過ごした結果、第一現場や第二現場から5km弱と至近であるにも関わらず、4ヵ月ものあいだ発見されなったのである。所轄の署長は責任を問われて処分されている。気の毒な話だ。サラリーマンはつらい。

濃紺のカローラには現金を格納していたジュラルミンケースが残されていた。犯人がどこで現金をジュラルミンケースから抜き取ったのかはわかっていない。もちろんここでそれをやった可能性もあるが、団地の駐車場で人目に立つことを考えれば、どこか他のところで抜き取りないしは移しかえをやり、最後にクルマごとここに遺棄したと考えるのが順当かもしれない。

これが残された最後の痕跡である。いくつかの団地が集まった団地コンプレックスみたいなところだが、建て替えが進んでいるらしく広い敷地では工事が行われており、この駐車場付近もいずれ大きく変わってしまいそうな雰囲気だった。

かなり入念に準備され、デザインされた犯行だし、地元によほどの土地勘がないと実行はむずかしい。特に国分寺街道から学園通りにショートカットする裏道とか、府中街道から武蔵国分寺跡に入って行く道とか、スマホもカーナビもない時代にこういった生活道路を迷いなく走るには相当な慣れが必要だろう。実際にヴェスパで走ってみてよくわかった。

犯人については諸説あるがそれはいろいろ本でも読んでもらうとして、ここでは明らかになっている関連現場だけをヴェスパでサクッとまわってみたのだが、いまふつうに人が住み、往来している場所で、50年以上前にこんな事件があったわけで、土地に歴史ありというか、歴史は「場」を介して現在につながっているんだなということを強く実感した。

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