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都市生活者の系譜 ―佐野元春私論

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1999年から2000年にかけて、雑誌「デマゴーグ」に連載した評論。雑誌は創刊から3号までで廃刊になってしまったので、連載も3回で終了したが、本来20回分ほどあるものを今回not… もっと読む
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#邦ロック

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(28) まごころがつかめるその時まで

消された夢の行方前回でこの論考はひとまず終わっているのだが、最後に『SOMEDAY』という曲について少し話をさせて欲しい。 佐野元春の先鋭的なファンであった十代の頃、僕はこの曲が好きではなかった。それはこの曲があまりに安直に「いい曲」として認知され、「佐野の代表曲」として扱われることへの反発だった。確かに『SOMEDAY』はいい曲かもしれない。だが、佐野の本領は知的でかつクレイジーなロックンロールにこそあるのであり、そうしたスピード感、疾走感を理解できないヤツらが『SOMED

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(27) 都市生活者の系譜

都市生活者の系譜結局、佐野元春が長い時間をかけて築き上げたもの、勝ち取ったものとはいったい何だろう。そして僕がアーティストとしての佐野を追い続けた結果として手にしたものとはいったい何だろう。 端的に言えばそれはビートの解放だったのではないだろうかと僕は思う。あるいはロックンロールの再発見と言い換えてもいい。ロックンロールという名の下に、幅広い音楽的、文化的バックグラウンドの中からコンテンポラリーな問題意識に呼応するものを選び出し、因襲的な共同体によって疎外されていた新しい世代

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(26) 太陽

ジャムバンドの影響アルバム「THE SUN」は前作「Stones and Eggs」から5年ぶりのオリジナル・アルバムとなった。2001年から始まり、断続的に2003年まで足かけ3年に亘ったレコーディングでは、アルバムに収録された以外にも多くの曲が録音されたことが窺われるが、その中から厳選された14曲が、新たに設立されたDaisyMusicレーベルからの最初の作品としてリリースされることになった。 アルバムの名義は「佐野元春and The Hobo King Band」であ

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(25) ヒナギクはせつなげに風の中

コピー・コントロールをめぐる問題この時期、日本の、いや世界の音楽業界を揺るがしていた大きな問題があった。それはCDの違法コピーだ。 それまでもアナログ盤のレコードやCDをカセットテープやミニディスクなどにコピーして(「落とす」と称された)楽しむことは広く行われており、僕たちの世代では友達とテープに落とす目的でCDを貸し借りしたり、レンタルCDを利用することは当たり前だった。 しかしこの時それが大きな問題になったのは、PC(パソコン)の普及によって、CDからPCへのデータの取り

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(24) 変容する世界

光―The Lightレコーディングが思うように進まなかった2001年の9月、アメリカで乗っ取られた旅客機がニューヨークのワールド・トレード・センターに衝突するテロが発生した。この事件は、その全容が明らかになるにつれ、世界に大きな衝撃をもたらした。 東西ドイツの再統一やソビエト連邦の解体などに象徴されるように、長く世界を規定してきた二項対立的パラダイムの最上位のレイヤーとしての東西冷戦は終了したが、それは決して平和で安全な世界の到来を約束しなかった。政治思想の違いよりは宗教的

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(23) 正史と裏面史

アニバーサリー・イヤー翌2000年は佐野にとってデビュー20周年のアニバーサリー・イヤーになった。まず1月に2枚組のアルバム「The 20th Anniversary Edition」が発売されている。これはデビュー曲『アンジェリーナ』から最新の『INNOCENT』まで32曲をおさめた集大成的なベスト・アルバムであり、初期の曲を中心に、例えば『アンジェリーナ』や『SOMEDAY』、『Rock & Roll Night』といった、ある意味でアンタッチャブルなスタンダードにも大胆

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(22) 時代と切り結ぶ意志

時代と切り結ぶ意志引き続きアルバム「Stones and Eggs」について考えてみよう。 このアルバムが、トータルにバランスの取れた会心の名作か、佐野自身の内発的な動機だけに基づいて、100%のアーティスト・エゴを出しきって制作されているかと問われれば僕は首を傾げざるを得ない。ここにはあまりに生硬で完成を急がれた言葉と、何かに対する配慮、あるいは何かの制約の下で制作したかのような不自由さが色濃く感じ取れる。 優れた表現者は時代と切り結ぶべき宿命を負っている。何が今、最も問

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(21) ホットスポット

ありがとう1999年3月、赤坂ブリッツでひとつのライブが行われた。「driving for 21st, monkey」と名づけられたそのショーは、佐野元春がファンクラブのメンバーのために行ったプレミアム・ライブだった。 僕はアーティストのファンクラブというものが一般的にどんな活動をするものなのか寡聞にして知らないが、佐野元春のファンクラブは参加者に何か特別で具体的なメリットを与えるものではなかった。それは会報を発行して佐野の支持者にある種のフォーラムを提供してきたし、ある時期

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(20) ロックンロールの成熟

奇妙な相似1997年にリリースされたアルバム「THE BARN」は、アメリカン・ルーツの強い影響を受けたアーシーなサウンド・プロダクションと、表現者としての佐野元春の認識の深まりを感じさせる落ち着いたトーンの曲作り、そしてプレイヤビリティの高いホーボー・キング・バンドの演奏で、それ自体非常に完成度の高い名作となった。 しかし、一方でこの作品はウッドストック・レコーディングという特殊要因に動かされた一回性の強い作品で、特にサウンド的には前後の作品との脈絡からかなり突出しており、

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(19) 交差点

ウッドストック1997年8月、佐野元春は新しいバンドのメンバーとともにアメリカに渡った。新しいバンドとはアルバム「FRUITS」のレコーディング・セッションを通じて集まり、「International Hobo King Tour」、「Fruits Tour」そして「Fruits Punch」という3回のツアーを経て佐野との紐帯を強めてきた「International Hobo King Band」(後に「Hobo King Band(HKB)」に変更)。プレイヤビリティの高

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(18) 色とりどりの果実

International Hobo King Tourハートランドを解散し、これまでとは違ったミュージシャンたちと始めたレコーディング・セッションは丸1年にも及んだ。佐野元春はその中で徐々に新しいアルバムの姿を見出して行ったに違いない。1995年11月にはアルバム「The Circle」以来2年ぶりになるシングル『十代の潜水生活』をリリースし、翌年1月には2枚目の先行シングル『楽しい時』をリリースするとともに、レコーディング・セッションの中からコア・メンバーとして固まりつつ

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(17) ロックンロールの帰還

転機佐野元春が1993年11月にリリースしたアルバム「The Circle」は何かの「終わり」を強く印象づける作品だった。「探していた自由」も「本当の真実」ももうないのだと言い切って見せたそのアルバムは、佐野が「イノセンスのドグマ」に明快な別れを告げようとしていることを示していた。それをポジティブに受け止めるのであれ、ネガティブに解釈するのであれ、ともかくそこには確かにひとつの時代の終わりがあった。 佐野元春はそれに続いて10年以上にわたって活動をともにしてきたバンド、ザ・ハ

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(16) ハートランドからの手紙

新規巻き直しの時1994年4月、アルバム「The Circle」リリースに伴うツアーを終了した佐野元春は、それまで10年以上活動を共にしてきたバンド、ザ・ハートランドの解散を発表した。 僕はデビューからロックンロール・ナイト・ツアー、アルバム「No Damage」までを佐野元春の活動の第一期だと考えているが、だとすればこの「The Circle」というアルバムは、渡米、アルバム「VISITORS」から始まった長い第二期の終わりを画する作品だったと思う。その間、佐野は自らの成長

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(15) 透徹した視線

「イノセンスのドグマ」の超克無垢さは失われるものではなく、人生の重要な局面で円環を描きながら繰り返し立ち現れて行く。アルバム「The Circle」で佐野元春は、「無垢」の本質をこのように看破し、描写することによって、イノセンスとそこから派生する「自由」や「真実」に対する希求が次第に自己目的化し、自身を成長から疎外してその表現の手足を縛って行く「イノセンスのドグマ」を超克しようとしたのだった。 いうまでもなく、イノセンスはどこか遠くにあるのではない。「自由」や「真実」にしても