生命の視点

生命。源。
ここに遍在し、遍満する生命。
それは、愛というもの。
愛でしかないもの。
現象界で何が起きていても、
人間の自分がどんな姿、どんな状況にいようと、
そのなかにあるのは愛でしかない。
人間が考える愛にみえないものであっても、愛にとっては、愛に戻るための機会でしかない。
この身体も愛により作られ、常に愛によって動かされ、愛が充満している。
 この身体をずっと細かく突き詰めると、
辿り着くのは、愛。
何を探求しようと、辿り着くのは愛。

ちゃんと、愛に辿り着くようになっている。

内臓、細胞、分子、原子、素粒子、、細かな点に向かっていく間にも愛に触れ、
最小のものに到達した瞬間にぱっと拡がる、無限の大きな、壮大な拡がりの愛。
愛でしかない、というところに辿り着く。
どんな道を辿ろうと、私たちは愛に辿り着くようになっている。
愛じゃない、愛なんてまったく見えない、と思える強固なものに囲まれていても、その固まりでさえも、
やっぱり、それは愛でしかないのがみえてしまう。
そこには愛しかないのがみえてしまう。

愛は、すべての本質。本当の自分の姿。
万象万物すべてが、この源、愛、生命のなかにある。
そのなかで、動かされている。
分離しているものは何一つない。
切り離すこともできない。

今、現象世界では分断、対立ということを急速に行われているかのようにみえるけれど、
それもまた、多くの人がこのことにより、
大元の、私たちの本質、本来の自分であるひとつ生命、ひとつ愛に戻るための機会だと思う。
私たち自身が、生命であることを忘れて、源、愛から分離した意識となったことで、外側に分離した現象を映し出しているということ。
誰がが仕掛けたこととしても、それはやっぱり自分の内側の状態が現れたものだと思う。
愛は、仕掛けた誰かを使って私に気づかせてくれている。
生命を生きよ、と
愛として生きよ、と
それが、本来のあなたなのだからと。

 生命として、
愛として存在する時、
人間の自分は、何をしても、どんな方法をとってもよい。
何でもいい。
それは、愛が動かしていることだから。



美鶴 mitsuru.🌈




みんなが、しあわせでいられる場を作って行けたらと思っています。どうぞよろしくお願いします。