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「タバコ」

美術教師、心が折れて、恩師に再会する。

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その絵画教室は川沿いにあった。
私は小学校3年生の頃からそこへ通い出した。
それからは、県外の美大に行くまで、毎週、時には毎日、通っていた。
先生は30過ぎで、かつては教師をしていたらしいが、教師を辞めて絵画教室を開いている。理由は知らない。
私が強烈に覚えているのは、タバコの匂いだ。
私が石膏のデッサンと格闘しているとタバコの匂いが流れてきて、私は顔をあげる。先生は窓を開けて外を見ながら、よくタバコを吸っていた。
私はそのタバコの匂いが好きだった。

当時いじめられていた私にとって、その絵画教室は逃げ場だった。
よくサボってアトリエを尋ねると、先生は迎え入れてくれて、嫌なことを話すといつも「絵を描け」と言った。私はいつも泣きながら絵を描いた。
私は先生のことが好きだったが、先生には奥さんが居た。
私はやきもちを焼いたが、奥さんはそれに気付いているようで、いつも一枚上手だった。

ついに気持ちを伝えることはなく、私は美大に行き、一人暮らしを始めた。
それなりに悩んだが、結果から言えば、当たり前のように絵を仕事にすることを諦め、当たり前のように教師になった。

それ以降、絵を描くのを辞めた。

美術部の顧問となった。教師を続けていたある日。
ある女子生徒がいじめられていることを知ったが、私は何も行動できず、見て見ぬフリをした。
その子は私に助けを求めていたのだろうが、私はそれを無視した。
そして私は、学校を辞めた。

フラフラと川沿いを歩いていた。
もう何も考えることが出来なかった。
道を歩く人のタバコの匂いがして、先生のことを思い出した。

実家へ戻り、先生と近所の居酒屋でお酒を飲んだ。
先生は焼き鳥を頬張りながらやたらに嬉しそうだった。
奥さんは亡くなっていた。私の心は黒く濁った。
先生に「どうだ、絵は描いてるのか」と聞かれ、変に誤魔化した。
私のことを見ないで欲しかった。
先生は「明日、うちに来い」と言った。

久しぶりに絵画教室のあった川沿いのアトリエに行くと、そこはほとんど変わっていなかった。
そのうち小さい子が絵を描きに来た。
私にやきもちを焼いているようで、笑ってしまった。

その子が帰ってから、私はタバコを吸った。
先生も「一本くれよ」と一緒にタバコを吸った。
先生は咳き込みながら涙目で吸っていた。
私は、それを見て笑っている内に、泣いてしまった。
先生に全て話すと、先生は真っ直ぐ私の目を見ながら「絵を描け」と言った。

私は、家に帰ってから、ものすごく久しぶりに絵を描いた。
私は女子生徒の家に行き、彼女と話した。
私の家で、絵を描かないか、と誘った。が、来てくれるかはわからなかった。

数日後。彼女は家に来た。
「学校は?」と聞くと「サボった」と答えた。
それから、私たちは絵を描いた。
私は窓を開けて、タバコを吸いながら、彼女を見ていた。
彼女はふと顔を上げて「くさい」と言った。

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読んでいただきありがとうございます。血が沸騰していますので、本当にありがとうございます。