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ヒマを迎えにいく。暮らしに休符をかんじる。

以前、何かの本で読んだ話。

インターネットやスマホの普及で、現代人は暇だと感じる時間が極端に短くなっているとのこと。

その時間は、数秒から数十秒。

昔は10〜30分単位で暇だと感じていたのに対して、今はもう1分ともたないそう。


ヒマに耐えきれない。この感覚はすごいわかります。

なんだか怖いんですよね、何もしていないヒマな時間って。


でも、最近はそれをぐっとこらえてでも、

本当に何もせずにただボーッとする退屈な時間、を意図的につくらないといけない

と思うようになりました。


そう思ったキッカケは、子供の頃から習慣だったメモや、上京してから6年書き続けていたライフログが書けなくなったからでした。

以前は何か街中で気づいたことがあればメモを取りアイデアをふくらませたり、どんなに忙しくても時間を作ってライフログを書いていたんです。

でも、気づいたら、それらがまったく書けなくなっていました。

書かないんじゃなくて、書けないんです。

なんか頭と心が疲れているというか、何も書きたい欲もアイデアもわいてこない。

そして、常に何かに追われているような感覚もありました。そんな事よりも何か有益な情報をインプットしないと!

気づけば、ゆっくり文字もかけなくなっていました。綺麗に文字を書くよりも走り書きで、とにかくインプット、インプット、インプット。


あ、これはヤバいなと。

自分の思いをゆっくりとノートに書き記す事もできないくらいに、「早さ」や「有益さ」に飲み込まれているな、と。

そう思ったので、意図的に何もしない時間をつくることにしました。


ちょっとした時間を「スキマ時間」と呼んで、仕事時間の補填にあてさせたり、自らのお金のために他人の時間とお金をかすめとっていく暇つぶしビジネスだったり。

色んな人に自分の時間が狙われている中で、何もしない時間を自分でしっかりとつくらないといけないなと思ったわけです。

退屈な時間をつくる、っていうのもおかしなことだけど。


以前、ミュージカルの先生に「休符は音がないんじゃなくて、そこに余白があるんだ。しっかり休符も感じろ」と言われたことを思い出しました。


しっかりと休符を感じる。

もしかして、ふだんの生活も同じなのかもしれないね。


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