100回の記念大会の甲子園を見て思ったこと。不確かなものに向かって努力する大切さ。
史上初の東北勢優勝か、2度目の春夏制覇か。
どちらが勝っても偉業達成となる100回目の甲子園の決勝戦は大阪桐蔭高校の2度目の春夏連覇で締めくくられた。
これまで劇的な勝利を続けてきた金足農業も奮闘するも、大阪桐蔭には及ばず東北の悲願はならなかった。
甲子園を見て、いつも思うのは、当たり前の事だけど、どの高校も勝ちに来ているという事。
「甲子園出場したけど、僕らの実力だったら多分ここらへんまでっすよねぇ。」
なんてとこは多分どこにもないと思う。
傍から見たら結構な実力差で、それがやってる本人たちが仮に分かってるとしても、勝つか負けるか、それはやってみないと分からない。
きっと今まで負けてきたチームは皆もちろん優勝するつもりできているはず。
全国優勝を夢見て日々特訓し、県の予選を勝ち抜いて地区の代表になって、ただ、それでもどこかで負ける。
最後まで勝ち続けられるのは、たった1チーム。
それ以外のチームは例外なく負けていく。
たった1チーム、それも強いチームしか夢は叶えられない。
じゃあ負けたチームのやってきた事は無駄だったのか?と言うと、決して、そんなことはない。
もちろん今頑張ってる本人たちからしたら、結果が全てだと思う。
そんなきれいごと言ったって勝てなかったじゃないか、と。
でも、だからといってそれまで歩いてきた道程が無駄だったという事には決してならない。
勝つか負けるか、それはやってみないと分からない。
不確かな事に対して自ら勝ちを掴みに行く姿勢。
これにはとても意味がある。それは何も高校野球に限ったことではないけれど。
連日、最後まで諦めずに戦う高校球児たちを見ながら、ふと「自分はそんな思いで今過ごしてるだろうか」と思ってしまった。
いつからか確実に「かち」の見えるもの、そんな事しかやらなくなってしまったなぁと思う。
それが100%間違いだとは思わないけど、少しでも無駄を感じると途端に立ち止まってしまう。
「これ、やっててどういう意味があるんですか?」
「本当に結果は出るんですか?」
盲目的になるのもよくないけど、うだうだ考えて進まないのも考え物だ。
取捨選択ももちろん必要だけど、腹くくってとりあえず1つの事にしがみつくのも大切な事だと思う。
ふと、佐藤大地さんのブログ「人生かっぽ」のこの記事を思い出した。
「やりたいことをやりたいようにやろう」と考えるから、人生は苦しくなる。
http://www.jinseikappo.com/entry/FreeExecution
時間は有限。正解求めて吟味しているほど、時間はない。
自分の心が「これだ!」と決めたなら、まずはそれに取り組む。
何かを選びとる力。そして、その選んだものを正解にする力、しようとする力。足掻く事。
今の自分に足りないものはこれだ、と自分よりも一回り下の高校球児に教えられたような気がしました。
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