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となりの鼓動を抱きしめる


 ぼくたちは歩いていました。細く、長い一本道を歩いていました。周りの景色はみえません。遠くもみえません。どこに続いているのかわからないのです。懐中電灯が手もとにありましたが、壊れてしまっているようでつけることができません。どうしようかとぼくたちは迷いましたが、この道を進むことに決めました。なにもみえず、そもそも道なのかもわからない、得体の知れないこの先を、ぼくたちは進むことに決めました。五感はとっくに閉ざされてしまっているのでした。わかるのは、ぼくたちがここを歩いているということです。ぼくの他にもうひとり、確かな息遣いが存在するのです。だからぼくは大丈夫だと思いました。大丈夫なんだと思えました。となりから心臓の音がきこえるので、大丈夫だと思いました。五感以外のなにかで、ぼくはそれを感じているのでした。生きているひとだ、そう思いました。なぜか血液の流れも感じとれます。ぼくと同じように、ふつふつと、血が流れるのを感じとれます。動脈と静脈が機能しているのがわかりましたが、あまり正常とはいえないようでした。でも生きている、それだけでぼくはうれしいのでした。ぼくが守ってあげなくちゃ。使命感に駆られるのでした。手をつながなくてもぼくはそのひとの存在を感じることができるのが、とてもうれしく、自慢したいくらい誇らしいのでした。
 ぼくたちは歩いていました。

「やっべ、喰われた」
「主語」
「蚊」
「それ単語」
「わかるだろ。痒い」
 とても仲のいい双子のきょうだいがいました。兄の名はリュウ、弟の名はイオです。リュウは自分の頭のなかを伝えることが得意ではありません。突拍子もなく言葉を放つので、よく誤解を招く性格でした。イオは冷静でしっかり者です。イオのサポートでリュウは周りの友だちと調和がとれます。言葉にはしないけれど、リュウはいつもイオに感謝しています。イオのほうは生まれつき心臓が弱いので、いつもリュウがそばにいます。それを煩わしいとばかりに悪態をつくイオでしたが、本心ではありません。イオはリュウを頼りにしているし、リュウもイオを頼りにしています。リュウはイオが大好きで、イオもリュウが大好きです。
「手」
「やだ」
 ふたりは歩いていました。細く、長い一本道を歩いていました。周りの景色はみえません。遠くもみえません。どこに続いているのかわからないのです。日常では滅多に活躍することのない懐中電灯を、キャンプという一大イベントにはしゃいで持ってきていたはいいものの、壊れてしまったようです。落としたらあっけなく壊れてしまいました。とてもあっけなく。おじいちゃんのお古だったからかもしれないとふたりは思いました。ふたりは携帯電話を持っていません。ちょっと歩くくらいだからと、テントに置いてきてしまったのでした。どうしようかとふたりは迷いましたが、この道を進むことに決めました。
「手」
「いーやーだー」
「なんでだよ。はぐれんじゃん」
「はぐれない」
「あの頃とはちがうだろ」
「あの頃って、どの頃?」
「どの頃って、どの頃だっけ?」
「聞いてんのおれ」
「だってー、」
「埒があかない」
「じゃあ手つなご」
「だからやだって」
「はぐれんじゃん」
「だー、もー! お前はほんっとうるさい」
「手つなげばうるさくしない」
「うるさい。手つないでも。お前の心臓はずっとうるさい」
「やっぱ聞こえるんだ、今も?」
「……だからうるさいって」
 ふたりは互いの心臓の音をきくことができました。触れなくても近くにいればきくことができるのです。リュウは最初、これは自分だけの特殊能力なのだと思っていました。イオの他にも心臓の音をきくことができたからでした。他の誰かの音がきこえるのは、いやな感じがするときだけでした。うそやごまかし。それらをドクドクと背中に感じるときには、大抵、後悔することになりました。ああ、結局こいつもいいひとのふりをしたわるいやつなんだ。そうわかってしまうから、裏切られる前から裏切られていると、リュウは幾度も感じました。でも、この能力のおかげで悪意を回避できるようになったのだと、リュウは前向きに捉えることにしました。おかげでたったひとり、イオだけが、信頼できる音をしていることに気づきました。イオの音はあったかいのです。うそやごまかしではない、イオだけの音。生きている音だと、リュウはいつかとなりにあったぬくもりを想います。あまりの心地よさにまどろんでいく、リュウの好きなイオの音です。ずっととなりにあった音なのだと、リュウは感じるのです。
 イオにはリュウの心臓の音だけがきこえます。それはリュウが双子の兄だからだと思っていました。双子だから互いのことが手にとるようにわかるのだと信じて疑いませんでした。だけどリュウはイオ以外の心臓の音もきくことができると知ったとき、イオはわけもわからずおちこんでしまったのでした。イオにはリュウだけなのに、リュウにはイオだけじゃないということが、たまらなくショックでした。もちろんイオはそれがいやだったなんてリュウには伝えません。例えリュウが気づいたとしても、意地を張り続けようとイオはこころに決めていたのでした。自分の弱い心臓に、かたく誓ったのでした。
「崖」
「ない」
「熊」
「いない」
「蛇」
「いないよ」
「なんで?」
「わかるよ。ここら辺、整備されてるんだぞ」
「ヒル」
「それは気をつけよう」
「凍死」
「しない」
「イオ」
「しなない」
「ほんと?」
「ほんと」
 双子の会話はまるでゲームのようです。イオは自分の心臓を握りしめて、不安がるリュウを宥めています。そっけないキャッチボールですが、宥めているつもりでいるのです。リュウはわかっていますが、不安は消えません。イオが頑なに手をつないでくれないからです。ふたりには互いの心臓の音がきこえていますが、リュウの不安は消えません。イオの音がとてもちいさいからです。いつかきいた、あまり正常とはいえない音をしていると感じました。イオは強がりです。リュウはイオのことを誰よりもわかっていました。
「なぁ、イオ」
 暗闇のなか、リュウはイオを手繰り寄せようと試みました。だけどリュウの求めているその手は一向に掴めません。イオの手はイオの心臓を握りしめているからです。気配は感じるのに、イオがとなりにいないのではないかとリュウは錯覚します。最初からイオは自分のとなりにいなかったのではないかとリュウは錯覚します。じゃあ、生まれる前からずっととなりに感じていたあれはなんだったのだろう、とリュウは思います。イオじゃなかったのだろうかと思います。そもそもあれは自分たちではなかったのではないだろうかとリュウは考えます。あれはイオではなくリュウでもない、違う誰かだったのではないかと考えます。じゃあいつからぼくたちはぼくたちになったのかとぼくは考えます。イオはいつからイオだったのだろうとぼくは考えます。リュウはいつからリュウだったのだろうとぼくは考えます。どこからどこまでがぼくたちで、ぼくたちではないのかを考えます。この一本道はほんとうにただの一本道なのかを考えます。そもそも道なのかもわからない、得体の知れないこの先を考えます。そもそもぼくたちはあのとき生まれおちていたのかを思いだそうとします。それでもわからないので、ぼくたちは進むことに決めました。五感はとっくに閉ざされてしまっているのでした。わかるのは、ぼくたちがここを歩いているということです。ぼくの他にもうひとり、確かな息遣いが存在するのです。していたのです。だからぼくは大丈夫だと思いました。大丈夫なんだと思えました。となりから心臓の音がきこえるので、大丈夫だと思いました。五感以外のなにかで、ぼくはそれを感じているのでした。生きているひとだ、そう思いました。なぜか血液の流れも感じとれます。ぼくと同じように、ふつふつと、血が流れるのを感じとれます。動脈と静脈が機能しているのがわかりましたが、あまり正常とはいえないようでした。でも生きている、それだけでぼくはうれしいのでした。ぼくが守ってあげなくちゃ。使命感に駆られるのでした。手をつながなくてもぼくはそのひとの存在を感じることができるのが、とてもうれしく、自慢したいくらい誇らしいのでした。だけど、ぼくはこの子と手をつないで歩いてみたかったのです。確かな鼓動を、感じてみたかったのです。
「天国、」
「みえたの?」
「うん」
「あ、」
「あ」
 イオはあきらめていませんでした。壊れていたはずの明かりがともったのです。懐中電灯はまだ生きていました。生きることを、あきらめていませんでした。

 ぼくたちは歩いていました。


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