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【記憶より記録】図書館頼み 24' 9月

 「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、ここ仙台も、彼岸入りしてから一気に気温が下がりました。しかし、連休中は秋晴れとは正反対の雨模様。そんな訳柄わけがらもあって、ここぞとばかりに、蓄積していた疲労を回復させるべく「不得手な昼寝」に努めた結果、眼精疲労や肩こりが和らぎました。やっぱり、養生って大切ですね(しみじみ)。
 とまれ、雨の合間を縫って墓参もできたし、旬の秋刀魚も賞味できたし、夏頃から手掛けてきた作品も幾つか完成したし、なんだかんだ言いながらも「好ましいお彼岸」だったと感じているところです。

 さてと、一向に読了の冊数が増えない状況が続いておりますが、9月の「図書館頼み」に入らせて頂きましょう。

1:砂糖の通った道 -菓子から見た社会史-
 
 著者:八百 啓介 出版:弘書房 

「塩」ならぬ「砂糖」である。
もしや、宮本常一著「塩の道」のオマージュではあるまいか?
そうなれば、好奇心が疼かぬわけがないのだ。

とまぁ、そんな単純な動機で借りてみたものの、予想に反した内容に肩透かしを食ってしまった。しかし、本書を都合3回(6週間)に渡って借り続けたという経過を鑑みれば、この一見いちげんの読者に対して再読を促すだけの内容があったということなのだろう。

私が感じた「肩透かしされた部分」は、本書の出自に関係していると言える。「あとがき」に因れば、本書は地方の月刊誌で連載された「北九州の菓子文化」という論考を加筆修正したものであることが分かった。
即ち、私が期待していた「道」よりもむしろ「地点=地域」の話に始終していたのである。故に、このドメスティックな風体を醸す内容に「〜の通った道」という題名は似つかわしいと感じてしまったのである。(もっとも、勝手に「塩の道」のオマージュと勘違いしたのは私の責任である。)

そもそも、砂糖が古より大陸から伝えられたこと、そして南蛮貿易を通じて輸入されてきたことは周知の事実。然るに、砂糖の多くが長崎の出島から日本各地に広まり、更に、北九州で独自菓子文化が萌芽したことに疑いの余地はなかろう。それは、私自身の拙い「食の体験」と照合してみても、十二分に理解できることである。

そんな「見知った話」且つ「肩透かしを食らう内容」にもかかわらず、気がつくと再読を重ねてしまっていたのだ。それは、私が「無類の菓子好き」だったからではなく、著者の丁寧な論考によって視点が動かされたり、既成概念を緩やかに崩されたからだと感じている。つまるところ、心地良い刺激を受けたということだ。

少なくとも、私の中にあった「砂糖=贅沢」という歴史観は刷新されたし、ポルトガルやスペイン、中国の人々が絡み合いながら砂糖と言う産物を上手に活用しながら日本に含侵していく様を窺い知ることができた。
そして何より、鶏卵けいらんと砂糖の友好関係が北九州の地で培われていったという「お菓子の近世史/近代史」を学ぶことができたように思う。
(勿論、北九州界隈の有名銘菓が誕生した背景や由来などについても興味深く読むことができた。)

また、著者の意図からは外れるやもしれないが、名うての菓子メーカー(森永・グリコなど)の創業者の出身地が佐賀県であること、そして、薬として重用されていた砂糖が、薬種問屋が多かった大阪で活発に取引されていたこと・・・そうした史実もまた「北九州エリア=一大菓子文化圏」という視点を与えてくれるにとどまらず、現在の日本国内における菓子業界や製薬業界の旺盛に繋がっていることを教えてくれた。

予てから砂糖と北九州に分かち難い関係が存在してきたことは理解しているつもりだった。しかし、本書は、その認識が上澄みに過ぎなかったことを示唆してくれた。そして、私の反射的な好奇心に肩透かしを食らわしつつも、それとは異なる類の好奇心を満足させてくれたのである。
改めて指摘しておく。本書は、私の期待した「道」ではなかった。しかし、歴史上の「点」を拡大して観察させてくれた。

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