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「と」でつながる世界史(グローバルな思考ということ)

今回の話は少々とっつきにくいかもしれない。だが、学問をやって世界と関わって生きたい、グローバルに考える力を身につけたいと思う若い人たちに、いつかはしてみたいと思っていた話である。もちろん年寄りが読んでもよいが、もう頭が固くなってる人にはずいぶん乱暴な話に聞こえると思う。だが、世界が大きく変わりつつあるような今だったら、こんな話も少しは同情をもって聞いてもらえるのではないか。そう思って文章にしてみた。

『ヘーゲルとハイチ』という題名の本がある。スーザン・バック=モースという当時コーネル大学の先生であった人が書いた本である。ヘーゲルというのは19世紀初頭に活躍したドイツの大哲学者、ハイチというのはカリブ海の一小国である。

だが、この本の主題は「ヘーゲル」でも「ハイチ」でもない。その二つをつなぐ「と」である

今日の世界は僕らの頭のなかできれいに区分けされ整理されている。そうした世界観では「ヘーゲル」と「ハイチ」はつながらない。実際にヘーゲル専門家はハイチを知る必要がないと思っているし、ハイチ専門家はヘーゲルを勉強しなくてもよい。それでも専門家になれる。否、むしろそうしないと専門家になれない。

だが、現実の歴史ではこの二つはつながっている。そしてそのつながりを知ることが、われわれの世界観自体を大きく揺るがす可能性を秘めている。更に心を乱すことに、まさにそうした理由によってわれわれはこの二つをつなぐ「と」を見ないよう努力する。どういうわけだか、この「と」は蓋をしておくべき臭いものとして扱われている。そういう話である。

ヘーゲルとヨーロッパ中心主義

著者がこの「と」を発見したのも偶然である。政治理論を専門とする同氏はヘーゲルとフリーメーソンとの関係を調べていた。哲学史、思想史はヨーロッパの歴史であるから、その範疇に収まる研究であった。しかし、調査の過程で思いがけずハイチ革命(1804年)が視野に入って来たのである。

ハイチ革命というのはあまりよく知られていないのだが、アメリカ革命、フランス革命に続く近代革命である。中南米・カリブ地域では最初の成功した革命である。そしてこの革命は黒人奴隷の反乱として起こった。

それとヘーゲルがどうつながるか。ヘーゲルの若い頃の大著『精神現象学』に主人と奴隷の寓話みたいなものが出て来る。この書は理性=神が世界精神に発展していく過程として世界史を捉えるもので、えらく難解な代物なんだが、その発展の過程に一見前後の脈絡がないこの主と奴の話が挟まれている。

二人の人間(厳密には自己意識)が死を賭けて対決する。自分の存在価値を確認する「承認」を求めてである。そして一方は命を落とすことを恐れて降伏し、奴隷となる。こうして主人-奴隷という関係が生ずる。しかし、主人は相手を奴隷としてしまったことにより、求めていた平等な立場の者からの承認が得られない。彼の生は無為なものになる。これに反して、奴隷となった者は主人の意識の道具の地位に甘んじつつも、労働を通じて自然を征服することにより自分の自由を自覚していく。

こんなよくわからない話なんで、これに関してはいろいろな解釈がある。いちばん有名なのはマルクスのもので、彼はこれを資本家階級と労働者階級の弁証法の歴史として読みとった。敗者であり弱者である労働者が実は未来の歴史を作る主体として浮上してくる歴史過程を描いたものであると解釈した。

もっと最近事例であると、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』もコジェーヴという哲学者のこの挿話の解釈に依っている。フクヤマの歴史の終わりというのは時間の流れが止まるということではない。西欧型の民主主義と市場経済に代わる政治経済体制はもはや現れないという意味の終わりである。

一方は共産主義、他方は民主主義に終る歴史ということで、左翼、右翼というイデオロギー上のスペクトラムでは対極にある。しかしどちらもヨーロッパを中心として世界史を見るという点では共通である。

これはしばしばヨーロッパ中心主義的史観と呼ばれる。世界史というのはヨーロッパの歴史に凝縮されている。他の地域で起きることはその不完全な反射にすぎない。文化的差異などというものは、この発展の程度のちがいであり、いずれの地域も発展が完成した暁にはヨーロッパのようになる。これがヨーロッパ中心主義的史観である。

そうなると、西欧社会と比較したときの非西洋文化の特殊性というのは、基本的に欠落、欠陥として捉えられる。つまり西欧にはある人権とか民主主義とか経済的自由とか近代的自我なんてものがない不完全なものとして捉えられる。だから、この不完全なものを完成するためにそうしたものを輸入してやればよいということになる。

こうした史観は単なる学説ではない。ヨーロッパ列強の植民地主義を正当化することになった。それだけではない。非西洋諸国のエリートたちもまた、この史観を吸収し内面化した。そうして自分たちの同胞たちを遅れた者と見下して、「上からの近代化=西洋化」を強いたのである。

ヘーゲルの見たハイチ革命

こうしたヨーロッパ中心主義的史観の本家本元は、実はヘーゲル自身である。彼は「近代」というものを理論的に把握した最初の思想家であり、その「近代」はヨーロッパの近代であるということが定説になっている。彼の『歴史哲学講義』でも、ヨーロッパ以外の歴史は基本的に世界史の前史としてしか扱われていない。

ところが、である。バック=モースは次のような発見をしたんである。ヘーゲルの生きていた時代は新聞を読むという習慣が教養階級のあいだで一般化してきて、彼もまた熱心な新聞の読者であった。今日みたいに、朝、コーヒーを啜りながら、世界中で起きていることを眺めるという習慣である。哲学者というのは現実の歴史になんか目もくれずに抽象的な理論を組み立てた書斎の人というイメージがあるが、ヘーゲルはどうやらそうではなかったのである。

そして彼が読んでいる新聞の一つにフリーメーソンのジャーナリストによるハイチからの通信が連載されていた。そこにはハイチでの革命の進展の様子が生々しく報告されていた。これがヘーゲルが『精神現象学』を書いた時期に当たる。

そうすると、どうもあの主人と奴隷の挿話は共産革命でもなくブルジョア民主主義の勝利の話でもない。それどころか、ヨーロッパの外にある小さなカリブの小国に起きた奴隷反乱の話である。しかも、ヘーゲルはその遠い国の革命に世界史的な意義を読み取ったのである。つまり、ヘーゲルは後の人々が解釈したようにヨーロッパにだけ世界史を見ていたのではなかった。

世界を分断する学問と差別

自分はヘーゲル専門家でないので、このバック=モースの解釈が妥当かどうか判断がつきかねる。しかし、さらに興味深いのは、このヘーゲルとハイチのあいだの「と」の発見に関するヘーゲル専門家たちの反応である。

「発見」と書いたが、実はバック=モース自身、これは発見ではないと認めている。ハイチ研究者のあいだではヘーゲルがハイチ革命に関心を抱いていたことが知られている。しかし、それをハイチ専門家もヘーゲル専門家も重視しなかった。つまらない歴史の破片としか見なかった。

『ヘーゲルとハイチ』の下地になった論文が公表されたときも、ヘーゲル専門家たちはほぼこれを無視した。「たとえあなたの言ってることが正しいとしても、自分は自分のヘーゲルの解釈を変えようとは思わない」とさえある専門家は言いきった。彼ら専門家の「ヘーゲル」は彼らの「ヘーゲル」であって、歴史上実在したであろう「ヘーゲル」とはちがう、そうっとしておいてくれ、と言ったのである。

ある心理学の実験があって、被験者たちにバスケット・ボールの試合の映像を見せる。そして、各チームの選手のあいだに何回パスが行われるかを数えさせる。しかし、実は隠された意図があって、試合の真っ最中にゴリラの着ぐるみをきた人がバスケット・コートをゆっくり横切っていく。しかし、パスの回数を数えるのに集中している被験者の大半はこのゴリラに気づかない。

ヘーゲルとハイチのあいだの「と」もゴリラのようなもので、歴史的事実として多くの専門家たちの目の前を何度も通り過ぎて行った。しかし、それを見なかったか、見ても大した意味を見出さなかった。更に悪いことに、それが意味しうるところを目の前に突きつけられても、なおも見ることを拒否する。

これは自分の専門領域を守るために都合の悪い事実は排斥するというのも同然で、明かに学問的には良心的な態度とは言えない。無視による検閲である。だが、恐らくすべての学問分野には多かれ少なかれそういうところがある。コートを横切るゴリラを敢えて見ないふりをするところがある。

普遍的人権とイスラム

それがどうした、ヘーゲルとハイチのあいだの「と」なんて見えなくとも、偉大なヘーゲル先生の思想さえ学べればいいじゃないか、という反論があるかもしれんから、もう少しバック=モースの主張について書いておく。同氏によると、この「と」が意味するところはこういうことである。

普遍的な世界史なんてものがあるとすれば、それはヨーロッパの歴史であるというのがヨーロッパ中心主義である。その主張の根拠は民主主義とか市場経済などというものはヨーロッパで生まれて世界中に広まったじゃないか、自然科学と同様に今や世界中で受け入れられているじゃないか、それを世界の歴史と言って何が悪い、というものである。

そのヨーロッパが産んだ普遍的なものの一つに人権思想がある。人種、国籍、性別、階級などにかかわらず、すべての人間は同じ権利の束を有している。それが普遍的人権である。これはヨーロッパ人に限らず、すべての地域の人々にも適用される。

だが、人権を考えついたのは白人であったかもしれんが、それを真に普遍化したのは差別と闘った人々であった。普遍的人権を最初に実現したのはアメリカ革命でもフランス革命でもない。ハイチ革命である。

それは歴史の偶然ではない。差別を受ける人々は、○○人ではなくより普遍的な人間たらざるをえない。これが差別される人々に、差別する人々よりも完成された人間性の観念を与える。そうして普遍的な人間たろうという意欲を与える。ヘーゲルの主と奴の話も、そういう文脈で読み替えることができるかもしれない。

ハイチ革命を「世界史」に組み入れることで、「と」でつなげられるようになるものはこれに限られない。歴史家のあいだではまだ確定していないようだが、バック=モースは次の点も指摘している。

ハイチ革命の発端となったカイマンの森における儀式というのがある。その指導者はデュティ・ブークマンという名である。彼はジャマイカから連れてこられた奴隷であるから、ブークマンの「ブーク」はどうも英語の book である(ハイチはフランス植民地であった)。つまり彼は本を読むことができた。

その本とは恐らく聖書なのだが、彼のアフリカの故郷はどうもイスラム圏であるから、元はコーランを読むイスラムの教養階級であったと思われる。もう一人儀式をつかさどった女司祭の名はファーティマンである。これは明らかにイスラムの女性名の「ファティマ」から来ている。

つまり、普遍的人権を実現した革命の指導者にイスラム的教養を持つ人々がいた。「イスラム」と言えば、今日では普遍的人権を護持する「西洋」に対峙する反人権的な文明ということになりがちであるが、その普遍的人権を最初に実現したのがハイチ革命であり、その指導者にムスリムがいた。こうなると、良心的な西洋人でも少し不安になってくる。

ヘーゲルとハイチの間の「と」を見てみぬふりをする専門家は、まさにこのヨーロッパ中心主義ではない歴史を否定している。そうすることによって自ら普遍的な世界史の可能性を放棄していることになる。そうして、意識しないまでも、グローバルな世界における差別構造の一角を成している。

自分の慣れ親しんだ美しい世界を壊したくないという保守的心情には同情すべき点があるが、それが学問的特権と結び付いて新しい発見を阻んでいるとなると、自分の保身や立身出世という利害も入り込まざるをえない。学問的良心の問題として手放しで容認できるものではない。

ぼくら日本人も「と」でつながってる

これを要するに、世界史というバスケット・コートには四方八方からゴリラが侵入してきている。それなのに学者連中の多くは自分の専門領域に閉じこもることによって、なるべくこれを見ないように努めている。そういうことになる。

だが、もうひとつ予想できる不平不満はこうであろう。それは結構な話だけど、それとわれわれ日本人と何の関係があるか。ヘーゲルとハイチ、人権とイスラムはつながるかもしれないが、それとわれわれ日本人のあいだには「と」はない。日本人とは何の関係もない。なぜそんなものを自分たちが知らなければならないか。

正確な引用でないが、いつぞやある日本の政治家の先生がこう啖呵を切られたことがある。

国民の生活が大事なんて政治はですね、私は間違っていると思います。今私たちが生きているのは、私たちの今の生活だけが大切なんじゃなくて、先人から引き継いできた。⋯⋯世界中で日本だけが道義大国を目指す資格があるんです。

たいへんに立派なご意見である。だが、ひとつ大事なことを忘れておられる。日本が世界の道義国家の資格を持つという主張の根拠は、実は人種の平等という理念にあった、ということである。

戦前には日本人こそが白人による差別の根拠を身をもって否定した民族であるという自負があった。日本は武力ではなく道徳の力、文化の力で指導力を発揮する道義国家、文化国家たるべきであるという一種の国民的使命観である(この意味での道義国家としての日本の可能性を初めて明確に意識したのは、京都学派以前にはおそらく柳田国男であるが、これについては別の機会に書くつもりである)。

先の戦争はこの道義国家の資格を唱えて行われた。だが日本はその資格をみずから台無しにしてしまった。そして軍事的のみならず政治的も道義的にも完膚なきまでに叩きのめされた。だから、そんな資格を唱えたことさえ忘れてしまおうとしている。それで今日でも欧米に政治的、道義的に敗れ続けている。

だが、今やまた道義国家を云々する人々が政権に就くような時代になった。しかも、人種の平等という理想は、この人たちの道義国家の観念からは一切欠落しているようなんである。そんな人たちから文化や道義を取り返さないとならんのであるが、政権を批判する人たちはそんな話を聞いたことさえない。いや国民の生活だ安全だ、という以上の政治を想像できない。いつでも日本の政治を欧米の不完全な模倣としか見ない。世界史は与えられた環境にすぎず、日本で起こることと世界史がどうやってもつながらない。

要するに、ぼくらもまた現代史というゴリラを見ない人々なんである。日本の現代史ではない。日本が深く関わった世界の現代史である。そして現代史というやや矛盾したような言葉にはこういう意味がある。その歴史は過去ではなくて、われわれが生きる現代の一部になってる歴史である。それを知らないということは自分自身を知らないということである。そうして外に出て日本と関わった人たちと話をすれば、無知を暴露して恥をかくだけに決まってる。グローバル教育が聞いてあきれる。

この学問の細分化、専門化によって見えなくされた「と」をたくさん発見してゆくことがグローバルに考える思考を可能にする。そしてそれがまた政治にも跳ね返っていく。一気にやりすぎたかもしれないが、ヘーゲルとハイチから日本のあまりグローバルじゃないグローバル教育まで駆け足でつないでみた。

短い文に盛りすぎたが、「と」でつなげるというのはどんどん数珠つなぎに繋いでいくことであるから、どうしても長話になりやすい。グーグル時代にはあまり流行りそうもない方法であるから、ぜひとも学問を志す人にやってもらわねばならない事業である。

(トップ画像は、「スネーク・ガリーの戦い」Karl Girardet - https://www.loc.gov/item/2003674268/, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1326277による)

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