昨日の敵は今日の友(愛国心に節操が欠けるワケ)

「何て卑怯な奴らなんだ」

 ボクシング部だった高校時代。インターハイや国体の予選があるのだが、ヘタレな私はいつも一回戦で敗退して応援に回る。もう減量しなくてよいのでホッとするのであるが、自分の同僚がリングでボコボコにされていたりすると他人事ではいられなかったりする。思わずリングに駆け上がって相手をしばいてやりたい衝動にかられる。

 県大会が終わると今度は地区大会。県大会で自分や自分の同僚をボコボコにした奴が、今度は他県の代表にボコボコにされたりする。そうすると、県予選では敵だった人たちに思い切り感情移入して、他県の奴をボコボコにしてやりたい気になる。でもそれはできないから、やじりまくってレフリーに反則とらせたりする。結局、選手としては明らかに相手の方が上手で、我が県の代表は負けてしまうのだが、「反則で勝つなんて、なんて卑怯な奴らだ」なんて言って自分たちを慰めたりする。

スポーツは世界を割る

 2006年のサッカーのワールドカップ。大学の図書館のテレビの前に座っていたらやたら人が集まって来て、何かと思ったら日本―ブラジル戦が始まった。見ているのはブラジル人ばかりじゃないけど、皆王者ブラジルが日本をボコボコにするのを期待している。皆が余裕で見ているところに、負け犬日本が先取点をとったりしたものだから、思わず応援にも力が入る。

 最初は無視していたのだけど、だんだん周囲の応援がしゃくに障ってきて、結局最後は思いっきり日本を応援してしまった。別に親戚や知り合いにサッカー関係者がいる訳でもないのに。普段はブラジル好きの私が、これほどブラジル人を憎んだ日は他にない。

友と敵の心理学

 愛校心、郷土愛、愛国心だよ、と言ってしまうのは簡単だが、こんなに簡単に昨日の敵やアカの他人が今日の友になるのは何故なんだろう。と思っていたら、こんな実験の話を聞いた。お互い顔も知らない人たちを2つのグループに分けてゲームで競わせると、ついさっきまでアカの他人だった人たちの間にすぐに妙な連帯感が生まれる。

 そうすると、同じグループの中では全然共通性のないはずの人たちの間の共通性が、別のグループの人たちとの間ではさっきまでなかった違いが作り出され、誇張される。しかも、自分たちのグループにはポジティブな属性(「頭が良い」、「正直」、「働き者」など)、他のグループにはネガティブな属性(「卑怯」、「頭悪い」、「怠け者」)が与えられる。

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コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。