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春らんまん

桜がほぼ満開。その下で乳母車を押す若いお母さんの、長い白いスカートの裾が軽やかに風にたなびく。春である。斜陽の国にも生命力が蘇る季節が巡ってくる。そうして、ひとの心を少しだけ軽くする。

「青春」という言葉にも「春」の字が入ってる。若さの特権を謳歌する若者たちというよりも、もう人生の春を過ぎた人々が、自分の過去を懐かしがり、また後輩たちを羨んで、こう呼んだのではないかと思う。若者たちは必ずしも若さを特権とは思っていなかったのではないかと思う。

うちの庭にも桜の木があった。どこかの野鳥が山桜の種でも落としていったらしく、勝手に芽吹いた。残念ながら駐車場のすぐ脇であったので、植木屋さんが気を利かして切ってしまった。残念ではあったが、放っておけば車が出し入れしにくくなるから、仕方なかったかもしれない。

柳田国男がどこかで書いていたが、桜の古木というのは民家の近くにはあまり見かけない。人里にあるとすれば、お寺の敷地が多いらしい。人がお花見に繰り出すのは吉野の桜を京あたりから見に行ったのが起源かもしれないが、その吉野は大和の深山の手前である。その向こうはもう神域である。

桜の木というのは、どうも何か神秘的なものであると思われていた節がある。神秘的というのは、死者の霊魂が宿ってるという意味である。盛大に咲いては散っていく桜に、あの世との交通を認めたのであるかもしれない。今では「花より団子」の人が多くなったような日本人が桜好きなのも、ひょっとすると元はそういう宗教的な信仰があったかもしれない。

桜ではないが、春を祝う祭は世界的なものである。といっても温帯の農業地帯が多いと思うが、それにかぎられるものかどうか寡聞にして知らない。祭の趣旨も細かい点では異同はあるが、冬に涸れた生命力を儀式によって再生するというものが多い。フレーザーの『金枝篇』で有名な王殺しなんかも、そうした儀式である。

冬には枯れて死んでいるように見える樹々の枝が芽吹き、花を咲かせる。そこに自然界に流れているであろう生命力を見た人が多かったであろうことは、想像に難くない。桜はその目に見えぬ生命エネルギーをもっとも鮮明に表現してくれるものであったかと思う。

日本の正月なども、もとは文字通り迎春であったかもしれない。旧暦であれば、西南地方に春の兆しが訪れ、今年の農業の準備を始める頃にあたる。豊作を祈願し、その吉凶を占うための儀式があってもおかしくない。西の方に住んでいたわれらの先祖の片方が次第に北の方に移住し、そこに住んでいたもう一つの先祖と混じっていった後にも、この儀式だけは完全には廃れなかったらしい。そして、新暦に代わって、まだ雪深い山奥で迎春を祝うようなことになったらしい。

ということで、はっぴいえんどのセカンド・アルバムから「春らんまん」。


コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。