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日本国憲法第五条

皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

ついに檸檬堂をAmazonでまとめ買いすることにした。4種類×5本の20本セット。これは良い。
毎晩軽いつまみと共に喉に流し込む。「飲み比べセット」なのに、冷蔵庫で冷えている缶を適当に取り出し、パッケージも見ずにプルタブを開ける。
以前は何でも缶から直接飲むことはなく、必ずグラスに移していたがもうそんなこともしなくなった。缶を開けて、飲んで、流しへ。再び冷蔵庫を開き、また缶を開ける。その繰り返し。


「休んだら終わり」と、いつも心の中で唱えている。学校も仕事も、一度休めば身体が休むことを覚えてしまう。元々不登校気質なのは分かっている。だから小中高大とほぼ皆勤で過ごした。今日休んだら、明日も行けなくなる気がするから。
以前勤めていた会社も、結局そんな風にズルズルと休み続けてついに行けなくなり、退職した。何もできない人間なのに、「会社に行く」ということすらできなかったら一体私は何ができるというのか。
朝起きて顔を洗う。電車に乗って会社に行く。そんな当たり前のことすらできない。もうダメだ。どこまでいっても無能な人間だ。そうして眠れない夜を過ごし、朝起き上がれなくなる。

私にしかできない仕事なんてない。仕事だけでなく、あらゆる事柄で「私にしかできないこと」「私が必要とされること」なんてない。
私が休んだら誰かが私の仕事をする。私に予定があったら他の人を飲みに誘う。それだけのことだ。

性別や、年齢、または体調などの理由により公務を行うことのできない場合、「摂政」という制度が適用される。天皇でさえ、代わりがいるのだ。一般の会社員とは違い、特殊な仕事なため「代わりになる人」が事前に定められてはいるが、要するに「仕方ないなら大丈夫よ」ということだ。
だったら、普通の会社員が「ちょっと体調悪いな」くらいで休んではいけない訳がないのだ。適度に休んで、適度に仕事をしていても何の問題もない。

体調が悪くなって会社に行けなくて、一日中泣いて、息が苦しくなって、自分を責めて、翌朝起きられなくなるくらい落ちて、また会社に行けなくなって。そんな悪循環に陥らなくてもいい。だって私の代わりなんていくらでもいるから。それはちょっと悲しいことでもあるけれど、少し楽に生きていけるということでもある。

人間は「役割」をこなすことだけが人生ではない。仕事や家事は自分以外の人にもできるが、自分の人生を生きることができるのは自分だけだ。
息が苦しくなって、訳もなく涙が出て、蹲ったまま動けなくなって、でもそこで終わりにしてしまったら、私の人生を代わりに生きてくれる人はいない。生きていても何の意味もないかも知れないけれど、とにかくこれだけは自分でやらないといけない。多分、ね。


『100日後に死ぬワニ』ならぬ、『およそ100日間憲法を考えるOL』といったところだろうか。ノリで始めたことなのに、ちょっとだけ、自分の書く文章にグッときているのは何故だろう。
もし私が何らかの理由で書けなくなったら、このおかしなノリを引き継いでくれる稀有な人はいるだろうか。もしいたら嬉しいけれど、それでも私の書く文章は私にしか生み出せない。
きっと、こんな風にほんの少しの「自分である意味」を頼りに生きているのだろうな。

さて今日は檸檬堂「塩レモン」と「はちみつレモン」。ありがとう。今日も美味しいです。

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