見出し画像

人生の夏休み

将来の心配をしなければ何も悩むことなんてない。
”心配”だけではない。
”将来”のことを何も考えなければ、今が楽しければ私の悩みの9割はなくなるはずだ。

小学生の時、中学生の時、高校生の時もずっと自由が欲しかった。
狭い世界から出て、自分の過去を知っている人が少しもいない場所で、干渉されずに生きたかった。
大学生になって念願の自由を手に入れて、自分は意外としぶとく図太く生きていけると安心した。
俗にいう「丁寧な暮らし」とは程遠く、無駄な時間も多く過ごした。

大学生は人生の夏休みだと誰かが言い始めたようだが、本当に大学生に時間は腐るほどある。
大学1年生の時は気が付いたら夏休みになっていた。
一人暮らしと新生活に慣れるのに必死で気が付いたら前期は終わっていた。
人生初のバイトを始めて、サークルにはだんだん行かなくなって、ライブの遠征とグッズに多くのバイト代を費やしたものだ。
もしも大学入学からやり直せるなら絶対にもっと能動的に活動しただろう
驚くほど毎日何をしていたのかという記憶がない。

大学2年生になって4年間しかない貴重な時間の4分の1が過ぎたのに、何もなしていないことに気づき、焦った。
とにかく自己成長とバイト以外の収入源が欲しくて、ボランティアサークルに入部し、外部の学生団体に所属し、オンラインで有償の長期インターンを始めた。
とにかく予定を埋めて忙しくしていないと不安だった。
大学生活のタイムリミットを常に意識していた。
自分の足りないところばかりを見て「何かをやっている自分」であることにすがって自分を保つのに必死だった。
大学の授業は二の次でキャパオーバーで史上最低のGPAをたたき出したが、この1年でとった行動と出会った人は自分を成長させてくれた。
まぎれもなく自分の行動によって得た機会は自分に価値を与えてくれた。

大学在学中に留学することが高校時代、いや中学時代からの夢だった。
留学するなら大学生でしかないという固定観念があった。
3年生が終わったら留学するか、大学院留学するかなどぼんやり考えていた。
大学3年生になる前の春休みに1か月マレーシアに短期留学に行った。
自分の中に変に知識やステレオタイプがない国で、何もかもが新鮮で東南アジアの面白さを知った。

ずるずると形だけの就活を進めながらもスケジュール感にまた焦っていた。
留学はどうしてもしたい。
会社員になってはタイミングが難しいだろうと思い、またこんなどっちつかずな状態で入りたい会社も見つけることさえできずに時間だけが過ぎていった。
時間が足りないと常に焦ってまだまだ学生でいたいと思っていた。
夏休みにはインターンと海外旅行に行こうと考えを巡らせていた。

そして2週間ほどタイとカンボジアに行って
旅は刺激的で、私には知らない世界がいっぱいあって
やっぱりまだ就活はできないと思った。
就活を1年先延ばしにして経験を得て自分と向き合い、考える時間が必要だと。
留学をして海外の大学で勉強をするのではなく
海外体験をもっと手に入れる必要があると。
自分の将来の目的のために今時間が必要だと。

そして休学をして自由な1年を手に入れた。
消極的な自由だ。
不安だ。
不確定だ。

自分は帰属意識に安心を覚える人間なのだと知っている。
一人でいることは苦痛ではないけど、人を頼ることも人を巻き込むこともとても苦手で、それができないことが心の底からコンプレックスだ。
自分よりできた人に従って自分の能力を使い、自分よりできた人から評価をもらうことに価値を感じる。

悪いことではないのだけど、今の自分をすべて受け入れているのだけど
あこがれているのだ。
あの人のようになりたいと。
だから自分で何かを生み出す人になりたい。
何かひとつでもいい。
この1年で結果を出したい。
絶対に。
これはだれにも言っていない目標。

多分この1年が私の人生の夏休みだ。
休みを取ることの何が悪いのだろう。
なぜ遊びよりも勉強が価値があるのだろう。
休むことに理由がいるのだろう。
大学で授業を受けることが一番でそれよりも価値のあることでないと休学の意味がないと言われるのだろう。
何もしなくても1日は過ぎ、1週間、1か月、1年はあっという間に過ぎていく。

目標に向かってひた走るしかない。
1日1日を大切にやるべきことを毎日こなすしかない。
この1年は今まで生きてきた中で一番変化がある1年だと確信してる。
最高の夏休みにしよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?