元・警戒区域を歩く旅

福島第一原発から十数kmの位置にある楢葉(ならは)町に行ってきた。

「除染をしています」の看板

何らかの主義・主張があるとか、マスコミの報道が信じられないというのではなく、ただ単に「見たい」と思っただけだ。この「note」にでもその様子を書いて、誰かに読んでもらえればいいかなと考えた程度だ。

■知ってる人は読まなくていいところ

東日本大震災の直後、福島第一原発から半径20km圏内は「警戒区域」に指定され、一般の人は入れなくなった。2011年4月に原発の北にある南相馬市に行ったときも、道路は警察によって封鎖されていた。(正直、「夜中に田んぼを通れば入れるな」と思うほどの警備ではあったけれども)。

その時の様子(2011年4月南相馬市)

原発の南にある楢葉町(福島県双葉郡)も同じように大部分が「警戒区域」となっていたが、2012年には「避難指示解除準備区域」に変更された。「避難指示解除~」になると、誰でも自由に立ち入りできるのだ。ただ、これまでは公共の交通機関がなく、車で行くしかない状態だった。

2014年6月、楢葉町にある「竜田駅」までの電車が運転再開したので、これを機に行ってみようと思い立った。東京からの日帰り旅行だ。

■そして、竜田駅へ

東京・上野駅から約3時間半。常磐線の竜田駅に着いた。原発ルポ漫画『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』の作者は、ペンネームを「竜田一人」というが、この「竜田」が由来だという(単行本にそう書いてある)。

着いたのは午前11時30分。乗客は数名だった。まず鉄道オタクっぽい人。ここに来るまで先頭車両にかぶりつき状態だった。そして老夫婦。駅近くになるとマスクを着用し始めていた。20代後半くらいの外国人の兄ちゃんもいた。どこから来たの、何しに来たのと話を聞いてみたかったんだけども、一歩も降りないまま、閉じたドアの向こうで折り返しの出発を待っていた。

この兄ちゃん同様、乗客のほとんどはホームにだけ出るか、木造の駅庁舎を撮影して3分後に発車する折り返しの電車で帰っていった。次の電車は13時49分までないので、俺もちょっぴり悩んだが、海を見たかったというのもあって、そのまま留まることにした。

駅前には観光用の大きな看板があり、「未来へのキックオフ!光と風のまち・ならは」と書かれていた。東京電力はサッカーチームを持っていたし、「光」というのもなんとなく電気っぽい。来る途中、巨大な火力発電所が見えたし、近くには福島「第二」原発もある。電気と縁の深い地域なのだ。

看板の左にある白い機械が“ポスト”

そのすぐ横には、放射線量を測定する「モニタリングポスト」という真新しいマシーンが設置されていた。

■「少しだけならいいじゃない」

駅前でさえ、家が10数軒あるだけの小さな町だ。少し離れると、乗客の気配は完全に消える。誰もいない家の屋根で、カラスが鳴いていた。

解剖学者が書いた本に、「死体を解剖するときは、腹を切る時より腕を切るときのほうが怖い」とあった。人には「腕は動くもの」というイメージがあるからだという。同じように「家には人が住んでいるもの」という先入観があるせいか、人けのない町を一人で歩くのは少し怖い。

駅のホームから海が見えたので、たいした距離ではないだろうと考え、海まで歩くことにした。竜田駅は小高い場所にあるので、坂を下っていくことになる。

駅の近くに「少しだけなら いいじゃない そんな言葉はきらい」という標語が書かれた石柱があった。もとは青少年の非行をいさめるためのものだったのだろうが、いま見ると放射線量を皮肉っているようにも読めた。

■最後に残るのは、たぶん鳥

数分歩くと、工事関係の車両やおっさんとすれ違った。おそらく除染に関する作業をしている人たちだろう。

あたりの畑は土がキチッとならされていて、雑草もほとんど生えていないから「誰が手入れしているんだろう」と不思議だったのだが、除染のために表面の土や草を削りとったのだと、このとき思い至った。

そしてまた、誰もいない道を歩く。海は思ったよりも遠かった。
クマが出ないかと不安になったり、犬やネコがいたら写真に撮りたいなと考えたりしながら歩いたが、動物は一匹も見なかった。よく考えたら、犬もネコもクマも人間の食糧をアテにして町に来るのだ。人間の生活のないこの町に、彼らの用事などあるはずもなかった。

ただ、鳥だけはいた。前から後ろから横から上から、四方八方から鳥のさえずりが聞こえてくる。あまりに近くで鳴くので、東京に帰ってから人に「『眠れる森の美女』のお姫様になったようだった」と話したら笑われたけれど、本当にそんな気分だった。最後に残るのは、鳥なんだなと思った。

そしてようやく海に着いた

海に来たら、福島第一原発のほうを見てみようと思っていたのだが、ここは入り江のようになっており、さらに除染作業のトラックが止まっていたので浜辺までは行くことができなかった。

原発方面にある「閉まらずの踏切」

駅舎に戻ってくると、待合室に70歳くらいのおじいさんがいたので話を聞いた。駅の近くに家がある地元の人だが、今は同じ福島県のいわき市に暮らしているという。この日は、電車が復旧したので、先祖の遺影を取りに戻ってきたのだと話していた。

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