YouTubeで活動の幅を広げていく話
本業はITエンジニアで今はフリーで活動しています。
この度はYouTubeで発信活動を初めてみようと思った理由をお伝えしたいと思います。
これまでの発信活動
Twitterやブログをメインで発信していました。
周りにはTwitterでの影響力をたくさん得ている人もいて、王道のインフルエンサーの道なのかなって印象でした。
個人で何かしたい人は同時に発信力は必要だと感じていて、人との繋がりでイノベーションを起こしたり、シンプルに宣伝が出来たり、お互いつながることでメリットが多いと感じてるためだったりします。
最近は良い人も多いですし。
今でもメリットが多いと感じています。
ツイッターアカウント
これまでの活動内容
主にアプリ、ゲームの開発をしています。
その日々の取り組みや勉強の中で勉強になったことをブログで発信しています。(たまにnoteにもリンクを投稿しています)
サイトの運営自体は徐々に調子が良くなっているので満足していたのですが、やはりブロガーなら気になるYouTubeという発信のステージです。
再投稿し始めたYouTubeチャンネル
これまでアプリのPVや開発動画を音声読み上げで投稿していました。
ただ何かと不便さをずっと感じていて、結局音声であったりで発信していく方が良いのだろうなと感じていたので、今のところ音声だけですが、再生数とかどうでもよくて心理的に開放感があります。
YouTubeを避けていた理由
私も含め、ほとんどの人がYouTubeが気になってるけど投稿を避けている人が多いと思います。
恥ずかしさはもちろん、身バレのリスクもあるためかもしれません。
ただ仕事に縛られないはずのフリーランスの人でもしていない人が多いのでほとんどの人は手を出すに出せない状況だと自分を鑑みると推測しています。
YouTube活動が応援されない理由
私はYouTube活動は基本的に応援されないものだと感じています。
気になるけど、踏み出せない人が大勢いるためだと考えています。
今ではYouTubeはジャンルも多数、発信できないものはほとんどないプラットホームです。
人として生活している以上、何か趣味趣向を持っている人がほとんど。
要するに始めないのは別の感情が湧いているからだと感じています。
「YouTubeを始める」はもはや強迫観念に
YouTubeは誰にでも門戸が開かれています。
はじめようと思えば誰にでも始められます。
ギャンブラーのような無謀さ、向こうみずなインスタントな考え、いわば誰にでもできる、スキルもいらない行為です。
だからこそ、我々を試すように「誰でも始められて、成功できるかもしれないのに…君は投稿しないのかい?」とずっと囁いてくるように感じていました。
そう言った時「今更初めてもうまくいくはずない」とか出来ない理由を探すのはあるあるです。
うまくいけば惨めになるから
身近だけど遠回しに言えばライバル的な関係の人には応援されない理由があると考えています。
「もしうまくいけば自分が惨めになる」からです。
これ、キンコンの西野さんもどこかで同じことを言ってましたね。
自分もそうだったので普遍的な事実なような気がしています。
SNSや社会生活で感じる「自分より弱い人が好きな人」
嫌悪というのは自分に似た境遇や状況の人にほど起きるそうです。
例えば同じものを学んでいるけど自分より劣るけど頑張っている人って心理的に応援しやすくなると思います。
極論を言うと、赤ちゃんや子供、ペットは知能、体の大きさ的な部分を含めても絶対に脅かされることがありません。
だからこそ余裕もって、安心できるからこそ愛らしく写りやすいのだと思います。
近い立場で優位な人を攻撃したくなる心理
逆に自分と同じ、それ以下の人が自分の立場を奪うような存在になれば、ほとんどの人は何かしらの不快感や人によっては牙をむくことが多いと感じています。
ましてやチャレンジしてみたいと思っていたことで、先をこされれば内心平常ではいられないのかもしれません。
それ自体は別に悪いことではない
これは自分も例外ではなく、ずいぶん前から感じていることです。
人である以上、何かに頑張っているからこそ、そういうプライドが生まれてしまいます。
「その人が頑張っているからこそ」起きるものだとも感じています。
湧いてしまう感情は仕方ないとして客観的に戒められる心も大事だと感じています。
冷静になれば「YouTubeはただのSNS」
Facebookってほとんどの人がアカウント持っていたりすると思うのですが、「なぜYouTubeのチャンネルは持っていないの?」と思っています。
そのうち総人口がYouTube初めて、動画を投稿して身内だけで「いいね」したりする時代がくるような気がしています。
そう考えれば、別に登録者が増えなくても発信作業が楽しいと思えればそれで良いのではと肌感で感じているこの頃です。
YouTubeの心理障壁はたしかに高い
容姿など生まれ持ったもの、変えることは出来ないですし、それを否定されるのは恐ろしいのだと感じています。
思い出してみてください。
最初Facebook、インスタグラムに顔写真あげるのも躊躇しませんでしたか?
ただYouTubeも一緒で一歩踏み出せば発信の幅が劇的に広がることに気がつきました。
情報発信の幅が思ったよりも広がる感覚
これまでブログで100記事以上の技術記事や英語学習の記事などを投稿してきました。
結構制約がある中で頑張っていたんだなと感じました。
声で収録したものをブログに置き直したり、効率よく発信するべきコンテンツを作成することもできます。
まだ形に出来ていないものも多いですが、「あれもできるな、これもできるな」とか日々感じています。
複製性が下がる
ブログでは残念ながらパクられたら終わりで「むしろパクれ」なんていうインフルエンサーまで出るこの頃です。
自分の動画は音声や見た目を映すことで自分だけのコンテンツになり、複製性(盗まれたら終わり)が少なくなる気がします。
ヒカキンさんの動画をもし私が発信しても誰もみないのと同じ原理ですw
YouTubeを通して「人同士」で絡んでみたい
Twitterでの絡みも楽しいのですが
声や見た目、生身の情報に乏しくなってしまうため、その分の面白さが損なわれていると感じています。
文字だと「気の会う人」かわからない
文字だけだと本当に気の合う人かわからないと感じています。
すこし話がそれるのですが、昔恋人を探していた時にマッチングアプリを利用して知り合った方がいたのですが、メールでは気を配った絵文字を送ってくれたり、とても気が合うなって感じていました。
そして、いざ直接お話してみるとリラックスできず、気を使ってばかりでどこか疲れている自分がいました。
それから人間は表情、身振り手振り、声のトーンや抑揚などでかなりの情報を判断しているんだなぁと感じています。
それを感じられない文字は正しく情報を伝える分には良いのですが、その先の居心地の良さを伝えるのには不向きだと思うようになりました。
要するに今回伝えたいことは
「YouTubeはただのSNS」です。
「YouTubeみんなで始めましょう」という話です!
始めたいのに始められないのも辛いですし、それのせいで他人を応援できなかったり誰のためにもなってなくて良いことはありません。
もし何か踏みとどまっている方がいれば、きっと見た目を出したり、最初の一歩が大きすぎるのだと思います。
簡単な動画からあげる
飼っているペットの動画でも、旅行先で撮った綺麗な景色でも、何か自分の好きなことを見た目や声を出さずに投稿していけば、心理障壁はすこしずつ剥がれていくのではないでしょうか。
登録者数なんて比べる必要はありません。
自分のために撮って、後でニヤニヤ見るだけの自己満コンテンツでも良いと思うのです。
見られても恥ずかしくないチャンネルが良い
ただ注意すべきなのはFacebookという同様に
いつか身バレする前提で運営することです。
裏垢で活動する人とかは基本的に見られたら嫌だから裏垢にするのだと思うのですが、表の自分でチャンネルを作っていく方が絶対に良いです。
隠そうとすると一気に活動の幅が狭まってしまうからです。
見られても恥ずかしくない動画を投稿するのは大事な要素かもしれません。
自分の好きなことが言えない方もいると思うのですが、そういう方はまずリアルで本当の自分をさらけ出せる環境を作っていくのが良いかもしれません。
YouTubeをしている人はかっこ良い(と思いたい)
YouTubeをしてるのに登録者が少ないとかって古い考えだと思っていて、恥ずかしく思う必要は全くないと感じています。
周りをキョロキョロしないで自分の好きなことに真っ直ぐ先を見定めている人ってどんなジャンルの人でもかっこいいです。
1億2千万YouTuberの世界
これらのことから日本人全員がYouTubeというSNSを利用して「逆にYouTubeしないなんて」と思える時代になれば楽しそうだなぁと感じています。
最後に
今回は「とやかく言わずにYouTubeみんなで楽しみたい!」という記事を投稿してみました。
最初は数百字で済ますつもりだったのですが
思いのほか熱が入って、4000字近いものになっていましたが、この気持ちが伝われば幸いです。
では本記事はここで終わりにしたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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