02ジャスミン

【小説】 アネモネダイアローグ#3

 ジャスミン

【クロエは藤紫の絹のパジャマと淡いオレンジ・ベージュのサテンに刺繍入りの部屋着の長いのを身につけて、ベッドに寝そべっていた。彼女の周囲には、おびただしい花のかずかずが、とくに蘭の花、薔薇の花が多く、さらにまたあじさい、カーネーション、椿の花々があり、桃やはたんきょうの長い枝に咲いた花々、いくかかえあるとも知れぬジャスミンの花々があった。】

 クロエの部屋は日増しに狭くなり暗くなってゆく。睡蓮を脅かすために集められた花たちは、すぐに新鮮さを失ってゆく。けれども彼らのおしゃべりはやむことがない。
 誰かの葬儀の時、棺桶に敷き詰められた花たちが、たとえ閉じ込められてもおかまいなしに、枯れてしまうまでしゃべり続けているだろうことは、想像に難くない。その喧しさに耐えかねて目を覚ます人間がいるとかいないとか。とある事件がリジェクトされ、<安らかに眠る>と銘された墓石が、FBIの手によってよけられ掘り起こされた時に、棺桶の中で踠き苦しんだ姿を晒すことがないように願う。両手で耳を押さえているのか、天板を引っ掻いているのか。前者の方が幾分か幸せのように思えるのは花の仲間へのひいき目ゆえか。孤独でなくて、よかった。或いは、やむことのない幻聴。
(蘭の花はいいわね。こう、華やかでいかにも高価そう)
(そしてエイリアンに似ている)
(なんというかデザインのアプローチは一緒だよね、エイリアンも花の姿も。モザイク入れられそうという意味でね)
(クスクス)
(薔薇だってもちろんいいわよ)
(王子さまに愛でられるという光栄に浴することができるのよ)
(あれは羨ましいよね)
(それにさ、最初に映画化された星の王子さまの薔薇はすこぶるセクシーだしね)
(ほんと、あれでなんか目覚めちゃう子がいるかもしれないよね)
(初潮がはじまったっていう子を知ってる)
(マジで)
(薔薇については語り出したらきりがないよ。わたしはあじさいだけれど、あじさい、いいわよ。花じゃなくて萼だけれども、こう、ちりちりちりと花火を散らしているような気分になるの)
(雨の中で咲いているのは風情があるものね)
(雨に散り散りにまたたく線香花火)
(まいまいつぶりの愛の巣になろう)
(メタモルフォーゼを眺めるのよ)
(ああ、神秘なその生殖)
(クスクス)
(カーネーションだって愛らしくていいのよ)
(なんだかマアム、あなたにって思っちゃうところが難だけれど)
(アラベスクに織り込まれて)
(クルアーンをうたう)
(うたうの?)
(さあ、わかんない)
(クスクス)
(わたしは椿。美しく潔く)
(そうそう、そんなイメージ、麗しい)
(姫ね)
(姫!)
(椿姫でしょう。でも、そうするとそのイメージは逆転する。もっとせつなさを帯びてくる。ああ、今度は椿姫を演ってもいいかな)
(オペラを演るっていうの!)
(こら、今は上演中なんだから、ちゃんとセリフをしゃべりなさいよ)
(ああ、そはかの人か)
(クスクス)
(わたしは桃の花になった。なんかジャパネスクな感じだね。桃の節句、わたしはあられが好き)
(わたしは甘酒がいいなあ)
(ちらし寿司、蛤の吸い物、菱餅)
(あんたたち、ほんと花より団子だよね)
(そんなだから、睡蓮を枯らすことができないんだよ。まじめにやりなよ)
(わたしはアーモンドの花なんだけれどさ、知ってる? 聖書のエレミヤ書に出てくるんだよ。

「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」そこでわたしは言った。「アーモンドの枝を見ています。」
 すると主はわたしに仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」


(なんだか難しいね)
(アーモンドはヘブライ語でシャーケードっていうの。それでね、「注意深くうかがっている」というのをシャーカドっていうんだよね)
(え、それって、もしかしてダジャ……)
(そう、結構そういう言葉遊びみたいなの、聖書には多いんだよね。預言者エリヤもそういうダジャレで人を裁くというか、殺しちゃうんだけれど)
(あ、はっきりダジャレって言った)
(なんか、それは凄まじい世界だね)
(でも、それは聖書に載っていることなんだよね)
(アーモンド。粒が瞳の形に似ているからかなあ)
(アーモンドみたいな瞳って言われてみたいよねえ)
(ああ、なんかそれって女子力高そうだよね。ていうか、女子力高過ぎの男子が言うセリフか)
(君の瞳はアーモンドのように美しい)
(君はもしかして百合の花)
(それをやりはじめると収集がつかなくなるよ。しっかり演じ切って)
(わたしたちはいろいろな花なの。コランに買われた素敵な花束)
(もう、あんたたち、うるさい!)

「もう、あんたたち、うるさい!」
 すっと辺りに清廉な薫りが撒かれる。立ち上がるのはジャスミン。
「あなたたちのおしゃべりは聴き飽きたんだわ。わたしがうたう。あんたたちは黙って耳と口を塞いでいなよ。そうじゃないと睡蓮もろとも枯らすよ」
 大きく息を吸い込み、ジャスミンがうたう。

 声を枯らす すなわちこの身を枯らす
 茉莉花 枯れても匂いをとどめよう
 まだ芳香が残るうちに
 クロエの喉を潤したいのだ
 咽頭だけ湿らすように 
 気管には毒気をはらんだ香りを届ける
 
 ああ わたしたちの彩りの毒気を
 ああ わたしたちの香りの毒気を
 ただ 睡蓮の花房に届ける

(ふあ~)
 伸びをしたあとで睡蓮は花々を一瞥する。
「何、そのダッサい歌。もう少しさ、ドラマチックにできないの。感動して泣いちゃうくらいに。もう、聴いてらんない」
 睡蓮は、もう一度軽くあくびをしたあとで、下を向く。しばらく何かぶつぶつとつぶやき、ふっと息を漏らした後でその首をもたげ、ジャスミンを見下ろすようにして歌い出す。

 彩りといえば聞こえがいい
 花という存在に甘んじているだけの
 有象無象
 ただの色でないといえるか
 単焦点の硝子の重なりの 背景に埋もれた
 ただ惚けているだけではないのか
 花々よ 切り取られていい気になるな
 花々よ 束ねられてその気になるな
 そこでもう一度咲いてみよ
 そうすれば
 わたしもいくらか よろめきもしよう

 香りといえば聞こえがいい
 形容詞に惑わされているだけの
 無味乾燥
 泡沫ではないといえるか
 試香紙の本当は精製された
 ただ香料にされただけではないのか
 花々よ 精油を搾取されるだけで
 花々よ 役に立っているとうたうな
 そこで反乱してみよ
 そうすれば
 わたしもいくらか よろめきもしよう
 
 ああ、届いてきた香り
 マツリカ いい香りよ
 わたしに抱かれて 枯れていいよ

「ふん、わたしの香りは届いたじゃないの」
 ジャスミンはクロエの胸に飛び込む。そして一瞬で枯れる。
 花々は黄昏に彩りを吸われつづけ、ゆっくりと縮れてゆく。

*****

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【 】内の箇所は 新潮文庫 ボリス・ヴィアン『日々の泡』 曾根元吉訳 より引用。
エレミヤ書の箇所は 新改訳聖書第三版 より引用。礼拝説教を参考にした。また以下のページに詳しい。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?エレミヤの召命%282%29


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