01ナルキッソス

【小説】 アネモネダイアローグ#2

 ナルキッソス

 昼間だというのに、刻々と薄暗くなってゆく部屋で、クロエはせまいベッドに横たわっている。
 窮屈な部屋は、それでも、むせ返るような空気に染められている。ベッドのまわりを囲む、数多の切り花たちから立ち昇る芳香がブレンドされて、クロエをめまいさせている。
「本当に睡蓮は弱っているのかしら」
 むしろわたしが、と言おうとしてクロエはその言葉を呑み込む。知ってる、この花々もコランの資産なのよ。
 左胸に手を置く。鼓動するのは心臓。
 右胸に手を置く。

【クロエの胸部はむきだしになっていて、右の乳房の琥珀色には際立って大きな水色の花冠がくっきりと見えていた。】

 その花びらの蠢く気配。知ってる、わたしを脅かし、乗っとろうとするもう一つの拍動。

【「風邪をひくわよ!」】

 クロエのお見舞いにやってきたのはアリーズだ。
 彼女の胸元には水仙の束。
 アリーズがクロエに声をかけるのを、その水仙の束は左右に揺れながら聞いている。水仙たちは思う、これは命をかけた勝負なのよ、と。
(そう、わたしたちが束になってかかるのなら)
(睡蓮になんて簡単に負けないんだわ)
(脅す程度と思われているかもしれないけれど)
(わたしたちは睡蓮を枯らすつもり。本当よ)
(なんといっても自惚れがつよいからね)
(そうよ。くれぐれもニラと間違えたりしないことよ。本当に危険なのだから)

「本当に危険なのだから」
「睡蓮、わたしたちが来たからには、そんな風にのうのうと咲いていることなどできないわ。今すぐ枯れて、クロエの肺を開放しなさい」
「睡蓮のやっていることは間違っている。だいたいどうしてクロエの肺なの? あなたはどうかしているのよ。そこは池ではないし、よって水も潤沢じゃあない」
「クロエはマンジュマンシュ医師の指導によって、水分をだいぶ制限されているらしいじゃないの。それもあなたのせいだよ」
「わたしたちは、切り取られて束にされているけれど、上手に水あげされているから、ほら、肌なんてもっちりふるふるしている。うるわしいでしょう。うらやましいでしょう。あら、睡蓮はなんだか乾き切ってかわいそうね」
「クスクス」
「クスクス」
 クロエの胸元に咲く睡蓮の姿を認めた水仙たちは、ラッパのようにかしましく騒ぎ立てる。彼らの声はクロエやアリーズには届かない。部屋の、縮まろうとして喘ぐような音だけがその場を支配しているように見える。
「なんとか言ったらどうなのよ。睡蓮、あなた、いい気になってるの?」
 睡蓮が目を開く。
 水仙たちは、一瞬、おののいてのけぞる。
「ごくろうなこと、わたしを枯らしにやってきたというの。あなたたちなど、泉のほとりに植わって、各々うっとりと自分に見惚れていれば平和でしょうに」
 水仙たちは気を取り直し、アリーズの胸元から顔を一斉に睡蓮に向け、まくし立てる。
「いい気にならないで、睡蓮。わたしたちは本当にあなたを枯らすつもりでやってきたの」
「いわば傭兵みたいなものよ」
「これは冗談ではなく戦争よ」
「病巣である睡蓮を退治する。病に薬が必要なように」
「睡蓮、クロエの胸に咲くあなたはただの病よ」
 睡蓮は自嘲気味に笑う。
「目には目を。花には花を。くだらない。水仙ごときにわたしが枯らせるとでも思って? わたしがクロエの胸に住み着いた理由も知らないくせに」
「そんなの知りたくもないわ」
「あ、わたしは知りたいよ。睡蓮、どうしてクロエの肺に宿ったりなんかした?」
 睡蓮は水仙たちを見やって、再び笑う。
「ふん。あなたたちに教える義理もないけれど。そうだね、強いていえば、クロエが美しかったからよ」
「何それ、理由になっていない」
 水仙の束の中でひときわ高く誇らしげに咲く花弁が、睡蓮に向かって言葉を発する。花粉がクロエのベッドカバーを汚す。
「クロエの胸に咲くなんて、そりゃ、美しくて誇らしいだろうけれど、それは倫理に反することだ。睡蓮なら睡蓮らしく池の中で咲いているといいのよ。ねえ、睡蓮。わたしたち、水辺で咲く友達じゃない。ちゃんとした理由を教えて。そして、できるだけ早くクロエの肺から抜け落ちて。クロエは、もう本当に弱っているのよ。見ていられない」
「友達? 友達。いいわね。軽々しくそんな言葉が使えて。いつからわたしたち友達だったかしら。そもそも種も違えば容姿から活動時間もだいぶ違うじゃない」
「そうそう。睡蓮て怠惰に咲くものねえ」
「ちょっと、やめなよ」
 水仙のひとりがそのラッパをつきだしてまくしたてる。ベッドカバーはそれと分かるほどに黄色いドット柄に染まる。
「クロエがあんまり水を飲んでいないから、睡蓮にも水分は届かない。それでいらいらしているのでしょう。睡眠たっぷり、水分たっぷり。睡蓮の普段の暮しはずいぶんと優雅だものね。だから、そんなところに生まれようとしたあなたがさっぱり分からない。いや、別にいいんだよ。クロエの胸に宿るなんて、うっとりするほど魅力的だよ。うらやましいくらい。いくら自惚れが強いわたしたちだって、憧れることだってあるんだよ。だからなおさら分からないんだよ。クロエの肺に宿ったのなら、まして睡蓮ほどの頭のいい子なら宿主を苦しめることをよしとはしないはずなんだ」
「あなたはわたしを買いかぶっている。そして、わたしだってクロエを苦しめたいなんて思っていない。人間に宿るなんて生命たちの憧れ、わたしだって、あれ、もしかしたらできるんじゃない? なんて軽い考えだったのだもの。それが、まさかこんな結果になるなんて思ってもみなかった。うまく咲き出でて、クロエと一緒に歌をうたうことが本当にわたしの憧れだったのに」
「そんな憧れくだらない、あまりに自分勝手だよ。わたしたちはクロエの側につく。もう一時たりとも戯言につきあっていられない。くだらないあなたにふさわしく、わたしたちの歌を聴いてだまって枯れなさい。わたしたちは元気なクロエに愛でてもらいたいから」
 水仙の束はその隊列を整える。ひときわ背の高い水仙を中心に、それぞれのパートに並び直す。
 そして水仙はうたう。

 疾く枯れよ 眠りの蓮
 まどろんだまま 肺臓に呑まれ消えよ
 月があらわれる 夜が来るよ
 眠りの蓮よ その名の通り 眠りに就けよ
 いや その命さえも燃やし尽くして
 公爵に作曲されし乙女
 鍵盤で もう一度戯れさせよ

 疾く枯れよ 眠りの蓮
 目はそのまま開くな 呑まれ消えよ
 朝日があらわれて 赤裸になる前に
 乳房を羊飼いに返したまえ
 代わりに我らが鱗茎をほおばれ
 口に甘く 腹に苦い
 疾く枯れよ
 鍵盤でもう一度戯れさせよ 
 ターンテーブルを開放せよ

「さあ、早く枯れなさい睡蓮」
 水仙の束はひとまわり膨れた様になり、鋭い葉はやや垂れ下がっている。
「あなたの顔は日照りの池にいるようよ」
 群がって口をつきだす水仙に向かって
「どうとでも」
 睡蓮はぶっきらぼうにこたえ、瞳を閉じる。すうと息を吸い込み、うたいはじめる。

 ナルシスの末裔(すえ)よ
 やかましい銅鑼 喇叭よ
 どこに鱗茎が転がっていよう
 すでに切られて久しいではないか
 その葉に残るという毒を飲ませてみよ
 すべて食らって糧としよう
 自惚れるなナルシス
 群れは強いが 束は弱い

「ああ、わたしたちは束ねられたのだった」
「水に映る姿も遠い過去」
「なぜに、突然に足元が覚束ない」
「そうだ、たぶんそれなんだ」
「それでも、そのまま朽ちるわけにはいかない」
「わたしたちの毒を食らって消えてしまえ、睡蓮」
 ラッパの音が高らかになる。
「それは葬送の」
 水仙たちは一瞬で枯れる。

*****

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【 】内の箇所は 新潮文庫 ボリス・ヴィアン『日々の泡』 曾根元吉訳 より引用。


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