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【昭和の日】岐阜でタイムトラベル、令和に振り返りたい昭和の日常の歴史

4月29日は昭和の日

昭和時代は天皇誕生日、平成時代にみどりの日が制定されました。平成に改元後も4月29日が祝日のままになった理由は、4月29日はゴールデンウィークを構成する祝日だったため、国民生活に影響を与えることを考慮したためです。
 みどりの日は、昭和天皇が植物について深い知識があり、生物学の研究者としても活動されました。国民の祝日に関する法律には、「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ日」と定められています。
 2007年、みどりの日が5月4日に移動し、4月29日は昭和の日に変更されました。昭和の日は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす日」と定められています。

岐阜県で昭和を感じてきた

 ゴールデンウィーク初日、岐阜県で昭和を感じられるスポットを訪れました。令和の時代に昭和を振り返ることによって懐かしさとともに新しさも感じることができました。

柳ヶ瀬商店街

柳ヶ瀬商店街の歴史

 岐阜駅から北へ徒歩15分の場所にある柳ケ瀬商店街。南にある愛知県一宮市、西にある岐阜県羽島市から仕入れた布で服などを製造することにより、繊維問屋街として1900年頃に誕生しました。大正時代、博覧会ブームに乗って発展しました。しかし、太平洋戦争による空襲で焼失しました。戦後、満州から引き揚げた人々がバラック小屋を建てて古着を売り始めたところから、柳ケ瀬は商業と娯楽の街として復興を遂げ、1960年には岐阜県で初めて全天候対応のアーケードを設置され、岐阜高島屋、岐阜近鉄百貨店など大型商業施設も続々と出店しました。
 しかし、平成に入ってから、公共交通機関から車への移動の変化、郊外への大型商業施設の出店、少子高齢化、バブル崩壊後による不況の影響を受けました。その結果、駅前の大型商業施設が相次いで柳ヶ瀬から撤退し、シャッターの降りるお店が増えました。
 令和に入り、再開発により、マンション、商業施設の入った35階建ての高層ビル、柳瀬グラッスル35が誕生しました。さらに、空きビルを活かしてリノベーションし、レトロな雰囲気を醸し出しています。柳ヶ瀬商店街は、伝統を守りつつ、時代とともに変化する商店街に変貌しつつあります。

シャッターから感じられる歴史

 昭和レトロな建物が多いことが柳瀬商店街の特徴の一つです。街の中心の賑わいを誇った商店街もシャッターのデザインをみると、1980年代のマクドナルド、1975年にOPENした長崎屋日ノ出店(2002年閉店)があった頃の看板が見えました。マクドナルドは、ロゴも現在とは大きく異なり、カタカナで書かれており、非常にシンプルです。長崎屋は、ダイエーと並んで栄えていた大型スーパーマーケット。現在は、ドン・キホーテに買収され、北海道を中心に7店舗のみ営業しています。
 シャッターは、かつてのにぎわいを物語ります。歴史の教材でもあるのです。

マクドナルドの跡地
長崎屋の跡地

高山昭和館

 岐阜駅から特急ひだに乗って2時間かけて高山へ。大ヒット映画「君の名は」の舞台にもなった日枝神社から高山市街地へ移動中、レトロな車、看板に惹かれてついつい入りました。

スバル360 ナンバープレートにも歴史を感じます

昭和30年代の学校

 ドアを開けると広がる、サザエさんの世界。昭和30年代、高度経済成長期初期の交差点を再現された街が再現されています。
 入口すぐの場所に、小学校の教室を再現された部屋が見えます。黒板は書き放題。暇なときは五目並べや勉強に利用したものです。戦後からバブル期のランドセルの歴史を知ることができ、実際に背負うこともできます。
 さらに、給食も味わうことができます。メニューはソフト麺、揚げパン。アルミ製のお盆に載せて教室で食べます。平成の給食でも定番メニューになっている、ソフト麺。コシのないうどんがなんでも合うんです。ケチャップをふんだんに使った甘めのミートソースなど小中学生の頃の給食の時間がよみがえります。
 ミルメークコーヒーは大人になった気分にさせる魔法のアイテムでした。スープは販売されてませんが、思い出に残るものは、ABCスープというABC型のマカロニが大量に入った野菜スープが浮かんでいきました。
 みなさんの給食の思い出は何がありますか?
 令和時代の給食は多国籍化が進み、地産地消を意識したメニューが多いと聴いたことがあります。例えば、日本海側のある地域では、ズワイガニが1匹提供されることがあると聴いたことがあります。

求人情報から知る昭和

 求人募集は、工場系に男性のみ募集が観られました。1999年の男女参画基本法が施行される前の時代、男性が働いて稼いで女性が家庭を守ることが一般的だった時代が垣間見れました。

男性限定の求人募集

昭和のおうちじかん

 博物館を進むと、おじいちゃん、おばあちゃんの家を訪れたかのような雰囲気の場所に出会います。急階段もあり、2階に上がると、リビングが広がっていました。ファミコンが販売された昭和50年代のゲームなど懐かしのゲーム機が勢ぞろいです。
 平成時代は、ゲームボーイシリーズの誕生により、持ち運び便利になったり、Wii、DSの登場により、動きを取り入れたゲームも誕生しました。令和では、家に集まらなくてもインターネットさえあればさまざまな人々とゲームなど交流ができ、競うこともできます。さらに、ゲームの画質の向上、VRの登場により、その場にいるような雰囲気を味わえます。

昭和のレジャー

 昭和30年代は、テレビが高価だった時代。各家庭にテレビがなく、外出して映画館で映画を観ることが楽しみの一つでした。映画館には、時代劇などが人気でした。令和の時代にも、街の小さな映画館は、ポスターなど当時の雰囲気を残しています。
 さらに、令和の時代では、温泉街を中心に見られるスマートボールは、昭和時代はパチンコに並び、メジャーでした。
 令和時代は、インターネット、スマートフォンの普及により、家に引きこもっても映画も楽しめる時代になりました。さらに、Youtubeの登場により、誰でも映像作品を作成でき、バラエティ豊富になりました。しかし、地方を中心に、映画館などの撤退でさみしさもあります。

昭和を体感して

 令和の時代になると活きた教材のような今瞬間瞬間を撮影して保管したいと思いました。当たり前の風景も数十年経つと歴史の教材に変わるという実感がわきます。シャッターは、かつてのにぎわいを物語ります。歴史の教材でもあるのです。

 昭和時代だけではなく、子どもの頃の体験についてコメントでお聞かせください。世代によって違う体験をしてきたと思います。

開館時間 10:00~17:00
入館料  18歳以上1000円、中高生800円、4歳~小学生400円
定休日  年中無休
アクセス JR高山駅から徒歩15分

参考文献


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