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第Ⅰ回 ソクラテス 「自分を知ってよりよく生きる」


前回までは経済や政治についての記事を書いてきましたが、今回からは12回に渡って世界の哲学者とその哲学について出来るだけ分かりやすく説明していこうと思います。

様々な思想や考えを学ぶことで今後の人生にプラスになることがあれば良いと思います。

今回の参考文献は世界の哲学者に学ぶ人生の教室です。

第Ⅰ回はソクラテスです。

ソクラテスは、古代ギリシアの哲学者で、自身では著作を残さず、弟子のプラトンによって思想が伝えられ古代ギリシア最大の哲学者と言われています。


1.「無知の知」

「無知の知」とは「自分が何も知らないことを知ること」ではありません。人間だれしも多少の知識はあるはずで「私は無知です」という人がいれば相当なへそ曲がりか嘘つきでしょう。

ソクラテスは「無知の知」と「自分を知ること」をひとくくりとし、自分を知っている人は自分が無知だと知っていると考えました。では私たちは「無知の地」をどう理解すればいいのか。

解釈には二つあり、
一つ目は「いかなる知識であろうと、それが必ず正しと確認することは出来ない」

二つ目は「自分の無知を見出すことこそが、本当に無知を自覚することだ」というものです。

ここでいう「無知」とは「ある分野については無知だと自覚する」という意味です。


こう聞くと誰もが「無知の知」という知恵を持っているように聞こえますがそうとは言えません。

「この分野について自分はよく知っているつもりだったけど、そうではなかった」と思うことがよくあるのではないでしょうか。ある分野について自分には知らない事柄があるということを見出す能力を備えていれば、ここでいう「無知の知」を手に入れることが出来ます。


2.専門分野ほど自信が持てず、非専門分野ほど根拠なく自信が持てる

「作家の多くは自分の作品に自信が持てない。でも表紙のデザインについては自信満々だ」という一文は分かりやすくあらわしています。

ではなぜそういった考えになるのでしょうか。

例に合わせて考えてみると、普通、著者は自分が執筆した分野に精通しています。その分野の知識が豊富なだけでなく、まだまだ知らないことがたくさんあることも知っているので自信が持てなくなります。(無知の知に達している)


一方で、表紙のデザインについては「無知の知の欠如した状態」になると、根拠のない自信が生まれやすくなります。自分が知っていることしか見えていないと自分はよく知っていると錯覚してしまうからです。


3.思考力が足りないほど自分は思考力が高いと勘違いしがちである

自分が何かを知っていることに気付くのは簡単ですが、自分の知らない何かに気付くことは容易ではありません。知らないということは、何も見えない暗闇と同じなので、知らなくて当然なのです。

自分の無知を省みる力がなければ自分の無知を発見することは出来ません。ゆえに最も得難い「無知の知」は、思考力が足りない場合の「無知の知」です。

最近のインターネットでは、自分は思考力が高いと勘違いしがちな人が自説をまくし立てるといった傾向がよく見られます。

思考力の足りない人は、自分が間違えるはずなどないと思っているので、大胆な見解を述べ、時には他人を責めたりします。


4.自分の内面について分かっているつもりでもわかっていない

自分の無知を自覚することは非常に困難です。しかし他人を観察することで「無知の知」が欠如した状況に気付くことは出来ます。

自分の発言や行動、さらに感情的な反応の数々について、なぜそうなったのか分かっているつもりでも、実は分かっていないことが多々あります。

例えば、正義を語る人は大勢いますが、実は正義の動機は個人的な利益のためです。ほとんどの人は自分の内面世界を理解できていないので、その動機が個人的な利益のためだとは夢にも思っていません。


5.「無知の知」で視野が広がり、新しい自分と出会える

「無知の知」を獲得する前の私たちの知識は、視野の範囲と同じで、その視線は、私たちの知っている世界しか見ることが出来ません。

視野の外側には暗闇が広がるばかりですが、「無知の知」は未知への探求心と学習意欲を助け視野を頼りに難関を次々と超えさせてくれるでしょう。

新しい知恵が増えることは人生に喜びがひとつ加わることでもあります。

そうして視野が広がると、私たちは自分だけの「無知の知」を追い求めるようになり、新しい自分との出会いを追い求めずにはいられなくなります。それはまさに終わりのない旅の始まりなのです。

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