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豊かさって山盛りのお供え物!?

漢字の豊かさを白川静の「常用字解」で調べてみると、高杯(タカツキ)の上に、食べ物や供物を山盛りにする情景とあります。
そして「豊」(旧字体豐)の漢字を上下に分解すると、下の豆の字はマメではなく、高杯(たかつき)の器と関係があるのだそうです。
上の部分は、旧字体では山の字の間に丰(ホウ)を二つ書きますが、これは山盛りを表しています。
ですから「豊」の語源は「神に供える食べ物を、山盛りに盛り付ける様」なのだそうです。

コロナ時代のゆたかさって なに?

でも、「ゆたかさって何だろう」と聞かれた場合、バブルやリーマン、そして東日本大震災を経験した私達は、物ではないものに気づき始めているのは確かなことです。
モノでなければ、なにか精神的に満ち足りていることが「ゆたかさ」なのでしょうか?
仮に精神的な充足を豊かさだとすると「ゆたかさとは幸せ」と言葉を置き換えてみることもできます。

しかし、アウトラインがちょっとぼやけていて、シックリきません。

そして今日のコロナの時代、いつ健康や命が害され、社会的信用や財産までもが、一気に吹き飛んでしまうかもわからない時代に、
精神的にも物質的にも、私達は豊かさを感じられなくなっています。

折れても花咲く震災桜の生命力

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ここでちょっと個人的な話になります。長くなるかもしれませんが、聞いてください。

私は寺の住職をやっています。今から10年前に、桜の樹木葬墓地を作りました。
そのきっかけは、ある女性から「これからお墓を守っていくことができません。どうしたら良いでしょうか?」と言う切実な叫びでした。
それならと思い、維持管理不要の永代供養で、花の下で眠ることのできる「桜のお墓」を作りました。

大切な人が花になって生まれ変わる、という思いを込めた樹木葬です。

そしてその翌年、あの未曾有の大災害、東日本大震災が発生したのです。

私の故郷東北は、多くの死者で沿岸が埋め尽くされ、悲しみが溢れました。こんな時、自分は何ができるだろうと天を仰ぎました。

ちょうど春4月。瓦礫をかき分け被災地にたどり着くと、津波でなぎ倒され真っ二つに折れた幹の枝から、花が咲いていました。

そこにイノチを感じたのです。

そうだ桜を植えよう!被災地に千本桜を

桜は鎮魂供養の花でもあり、生まれ変わりの花でもある。そのことを前年つくった桜の樹木葬から気づいたのです。

そしてこの活動を「てあわせ桜プロジェクト」と命名しました。

てあわせは「みんなで手を合わせ支え合い、手を合わせて祈る」と言う意味です。
人との出会いで心を合わせ、手と手を合わせた桜の植樹活動は、5年間で千本の桜を被災地に植えることができました。
一緒に植樹した仮設住まいの女性から「花が咲きましたよ」と絵手紙をもらいました。

桜は寒さに耐えて春一番に花が咲くように、この女性も桜に自分を重ね、心の峠をひとつ越えたのだと感じました。

今度はSNSに花を植えよう!毎日応援歌贈ります

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花が苦難を乗り越え、希望や勇気の原動力になることを実感した私は、今度は花の写真と言葉を添えてインスタに毎日投稿する「てあわせ花言葉」を始めました。

被災の方々の心の復興や、社会に生きづらさを感じている方々へ、手を合わせ祈り支え合う「心の花束応援歌」を毎日贈りました。

年末には365日の花言葉からカレンダーを制作して、仮設の方々にお届けもしています。
日々のインスタには少しずつコメントが寄せられるようになりました。その中には人間関係のトラブルや、家庭や職場での息苦しさを吐き出したり・・・。
私が住職だとわかると、故人の思い出を語りだす人もいました。


人が出会って気が合って 息が合う 話が合う

ここで今までの愚直な経験からテーマに戻ると「ゆたかさ」とは、
何かと何かが合わさった、一緒になった、調和したカタチではないかと・・・。
自分が紡いだギリギリの言葉で表現するなら「あわせる」ことなのかなと、おぼろげに見えてきたのです。

人と人が巡り会い、出会って目が会い気が合って、息合わせ、話が合う。
なにか、幸せの予感を感じる言葉ではないでしょうか。

「あう」とは、人と人、モノとモノ、右左上下がひとつになり、時間や空間までもがひとつになること。

お金持ちも貧乏も、好きも嫌いも皆んなひとつ、差別区別のない平等な世界。

雨粒一滴が小さな流れとなり、やがて川となり大河に合流するように、皆んな一緒に調和し支え合う。

手合わせは感謝のポーズ「いただきます」

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心にいつも「あう」のキーワードで世の中を見渡すと、きっと豊さが可視化できると思います。

そしてもう一つ「あう」と言うカタチを身体のポーズにしたのが、手合わせ合掌です。

日本人は昔から「いただきます。ごちそうさま」感謝のポーズは手合わせ合掌でした。
合掌はまた、宇宙と心を結ぶ心のアンテナでもあります。
二本の手が合わさり、アンテナのようにスッと立つと、目には見えない電波をキャッチできるのです。
合掌を宗教的なんて言う人もいますが、日本人は空気や水のように感謝を常に身体で呼吸しています。

何千年の間に、自然や文化の伏流水として湧き出した水を飲み、鎮守の森の浄化された空気を、当然のように私達は吸っています。

当たり前すぎて当たり前に気づかないだけ。
だから、宗教なんて言葉は日本人に必要ないのかもしれません。

不安な暗闇をスポットライトで照らしてみる

そこで豊さの漢字の意味を考えて最初に戻ると、

高坏(タカツキ)の器に、山盛りに盛った食べ物のサマです。
神や仏へのお供え物の有様です。


そのお供え物をお供えした後は、何をしますか?

そうです。感謝の合掌をしますよね。

「ゆたかさ」とは、何か偉大なものに畏敬の念を持ち、自然に手が合い頭が下がる。

その時には、喜怒哀楽も貧富も愛憎も全てひとつ。

両手の平のシワとシワ合わせて、シワ合わせ(しあわせ=幸せ)という言葉遊びがあるくらいです。

そんな行為の中に、日本人はゆたかさを感じてきたのではないでしょうか。

どんな時代になっても、ゆたかさのアウトラインは皆んな違っていても、
「あう・合う・会う」
と言う言葉が、心を豊かにしてくれるキーワードなのかもしれません。

言葉は心の鏡。

いい言葉を使えば、心は言葉に従ってしまうのです。

コロナの時代、人を疑う疑心暗鬼の暗闇に、

「あう 合う 会う」の言の葉で、スポットライトを向けると、

きっと見えてきますよ、

キラキラ光る「ゆ・た・か・さ」が。


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