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亡くなった後どう扱われるか 姉の死



スイスでは生前特になんの意思表明をしていなければ亡くなった人の臓器提供遺族の同意なしでOKになった という情報が回ってきた。州によって違いはないのだろうか。
自分で中に入ってスイッチを押すと苦しまないガスが出てきてそのまま死ねる安楽死装置を開発したのもスイスだし刈り込み制度が世界のいろんなところで進んでている気がする。

あの人80になってもまだ生きたい生きたいって言っているのよ、自分ではなんの生産性も無いくせにいやねえ なんて世論 雰囲気 道徳作り出すのはちょろいことだろう。
特に日本。同調圧力の強い、個性は悪、今のマスク信仰の浸透を見てみ。

ここからは姉の死に関する個人的な体験で直接的な表現や暗い話になります。

海外在住の私の姉は亡くなった時 近くの外国にいた私が一切を行った。無論多くの人に助けてもらって。
司法解剖が行われた。折りしもコロナ規制下 他諸事情で亡くなってから2週間めに会うことができ、その日が火葬の日だった。(葬儀はさらにその10日後)前日服や棺に入れたいものを届けることはできたのだが姉の家に行くこともできずにそのままに終わった。言葉の通じない国で1人で気持ちが混乱したままことを運ばねがならず大勢の人に助けられた。

司法解剖が行われたということは病院死ではなく警察の管轄。姉の遺体は司法解剖の行われる川沿いの施設だった。ゴミの散乱した入り口右手にはこれから出てゆく霊柩車的な黒塗りの車が停めてあり、しばらくすると出ていく。
震える気持ちでホルマリンのような消毒薬のような独特の匂いのする廊下を歩いてゆく。ストレッチャーのようなもので棺が通り過ぎてゆく。
と手に並んでいる開け放しのそれぞれの部屋から他の遺族たちが泣いたり棺を開けて対面している様子が見える。次々と部屋を通り越し姉のいる部屋に。

やっと会えた姉は頭に包帯がまかれた姿。頭全体に巻かれた包帯から前髪が出ている。頭を身体に対してまっすぐになるように下に沈めれば包帯も見ることなく済んだであろう。後頭部が沈んで無いのでやや俯いたような姿勢の姉。

棺の中に花をと頼んだ花束は 花束をバラして棺の中にただどさっと入れただけだった。顔の周りにせめて美しく添えてくれよ。なんだよ。そのやり方。せめてと自分で直す。

棺に対して遺体が斜め寝かせられている。あんたらにはルーチンで溜まった仕事の一部かもしれないけど 真っ直ぐに入れることぐらいできるはず。

その場にいた大使館の人に この扱いはあまりにもひどくありませんか。というとここは警察ですから病院みたいにいろいろできないんですよね。と。

司法解剖 まるで犯罪者。いや犯罪者でも家族にとっては大切な家族だったケース多いだろ。困った奴でもオーバードーズでも人のいないところでの孤独死でも。

頭部の包帯はものすごくショックだった。胸にナイフが刺さるような衝撃があった。私には。
頭蓋骨を切って脳を検査したんだ。
身体もふんわりと布で覆われているだけ。内臓もルーチンで全部検査したんだな。

私は、姉も同じ様に思っていたが遺骨 遺灰 墓に興味はない。弔いは気持ちの中にこそある。

でも、遺体に対面した時に上記のようなこと これだけでどれほどショックで、悲痛な気持ちになったことか。

自分が亡くなった時のことなど若い世代は考えないだろう。
そして突然の別れが来た時、残された遺族はどんなふうに受け止めるのか。
丁寧な扱いで 臓器提供が行われたなど微塵も感じさせないような扱いかもしれない。

弔いの仕方は人ぞれぞれ。遺体が生前のままであることが大切な人々も多くあろう。

世界的に見ても 公のシステムをどんどんずらしてゆき圧をかけ人々を家畜のように扱い始めていると感じている。

ニューノーマルとか価値観の改変 破壊 それが上からくるのはおかしくないか。
人々の精神の平和はどこに。


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