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ブレード ランナーの雨の中の涙

Tears in rain 雨のなかの涙 のセリフ

このブレードランナー無印の中での伝説的に美しく詩的で悲しいセリフをご存知だろうか。

(このセリフが好きなあまりうっかり自分のユーザー名にしてしまった。かえられない?)

4年しか寿命をもたないが人間離れした体力能力を持つレプリカントのロイ(ルドガー    ハウアー)は仲間とともに地球に逃亡。なんとか自分を改造させて余命を伸ばそうとするも不可能だと知った後、自分を狩るために追いかけてきたデッカードというブレードランナー=殺し屋(ハリソン フォード)を反対に追い詰め 降り注ぐ雨の中今まさにとどめを刺す
かと思われた丁度その時、意識を保とうと必死に足掻いていたレプリカント ロイについに寿命の瞬間がやってくる。
その死にゆく場面でのセリフ。元のセリフは死に面したものがつぶやくにしては長すぎると感じた役者のルドガー ハウアーが意味と雰囲気を残しつつアドリブで短めにつぶやいた伝説の名セリフ。
岡田斗司夫氏によるとカーットがかかった時スタッフ全員感動のあまり大泣きしたんだとか。

やはり元の英語でのリズムが美しいので貼り付けます。


“I've seen things you people wouldn't believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.”

オレはお前ら人間には信じられないようなものを見てきた。オリオン座(の肩)で燃えさかる戦艦。タンホイザーゲートあたりで闇の中で煌めくCビーム。こんな思い出の数々も時とともに消える。雨の中の涙のように。死ぬ時がきた。

-死相の現れていた全身濡れそぼるロイがゆっくりと下を向き動かなくなる。握りしめていた白い鳩が手から離れて自由に羽ばたいてゆく。雨が降っている-

All those moments を思い出の数々という訳はは少し違う気がする。moments その瞬間瞬間が鮮やかに切り取られ彼の目に焼き付いているようではないか。

(短い文なのに訳すと色々ニュアンスが違ってしまい残念。)

この場面では 観る者はロイが涙を流しているのを知っている。が顔を伝う雨でわからない。刹那ほどの短い時間に彼の涙は雨でわからなくなってしまう。

諸行無常のようであり


人の死に立ち会った時、自分が死にゆくことに向き合わざるを得なくなった時、すなわち死に向かって歩んでいることを自覚した時 日本人の頭には 多分 諸行無常 という言葉がよぎる。共有した時間や自分の人生の意味は一体なんだったのかとか。無だった。諸行無常。

でも この言葉の先には仏教思想があることを知っている。だから煩悩を捨てよ。この世の業から自由になれ。とか続いてゆく(ざっくり適当) 
日常に仏教はまぶさっているのかもしれないげども仏教にどっぷりは使っていない現代人にとってコレは 腑に落ちない。
死というものに対する脳のストレスを処理できない。ゼロにしようというのではない。人は死に向きあった時の悲しみや喪失感の流れてゆく先が欲しいのだ。

意識と記憶の死

このモノローグは彼の体験と記憶のことだけを語っており肉体の死に関しては何も触れていない。
暗闇に煌めくビームという下りは気の遠くなるような永遠の中に見た輝きのピンナップの様だ。どの個人の中にもきっとある時間と空間と体験の記憶。それは煌めいた。それが消える。だが視聴者は理解する。時空の中に存在したのだ。個々人の意識と体験の意味を知る。そこにあった。確かに存在ししたということを。

意識と記憶が個人の肉体とともに失われても 煌めく時間は確かに輝いていたのだ。

雨の中に流れた涙は大いなる水の循環 少なくとも無限の雨粒の中の一部への融合。無にはなるかもしれないけれどもそれは意識すなわち元存在が偏在になることの象徴。雨の中の涙はそれを遠くに感じさせる。

これが肉体の死というものを「科学的に」知っている現代人の死の悲しみに対するカタルシスになるのではないか。

このセリフについて語ったサイトはいろいろありますがこちらに詳しい解説があります。




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