見出し画像

「立ち止まること」は人生をずっと豊かにする

「大変厳しいことを聞きますが、なぜ1年も休学されているんですか?」

大学生長男に、面接官が聞いた。

「今年一年はインターンや就活や他にも色々なことをして過ごそうと思って休学しました。」

長男がそう答えると、面接官は拍子抜けしたような顔をして
「ああ、そうですか。なるほど。」と答えたそうだ。

面接官はどんな答えが返ってくると思っていたのだろうか。
よくは分からないが、「大学を一年も休む」=「何が問題がある」と思ったことは確かだろう。

日本では「休む」=「悪いこと」と捉えられる。
学校を1日も休まなければ、皆勤賞と褒め称えられる。
会社でも学校でも「休む」には理由がなければならない。
そのお陰で多くの人が仕事や学校を「休むこと」に難しさを感じ、実際に休むと不安になる。

多くの人は、子どもも含め、人生を休まないし立ち止まらない。
毎日「やるべきこと」に追われ、タスクをこなしたことに安堵する。
でも、同時に多くのことを見過ごす。
そもそも、人は立ち止まらずに生きていけるものなのだろうか。

長男が通うマレーシアの大学では多くの学生が大学に進学する前や大学の途中で一年ほど休む。いわゆるGap yearが当たり前で、誰も「ああ、そう。」という感じで理由も気にしない。

私がアメリカに留学していた時も1学期間や半年など、みんなよく休んでいた。

「ちょっと疲れたから、何か違うことしようと思って」
「これからどうしようか考えようかなと思って」
「まあ、別に理由はないけど、休もうかなっと思って」

そんな感じだ。
その表情はとても穏やかで幸せそうで、立ち止まることに不安を感じていない。

我が家は夫も私も大学時代一年間、休学している。結婚してからも夫は仕事を辞めて家族で海外に2年間学生&ほぼ無収入で過ごした期間がある。その先のことは何も決まっておらず、ただただ、家族としての毎日を楽しんだ。
お金はなかったが、時間はたっぷりあった。

今も夫も私もバリバリとゆるゆるを交替でなんとなく繰り返しながら生きている。
ゆるゆるしかできなくなってしまった時も焦らず、子ども達も支えてくれた。

このちょっと休んだり立ち止まったりした時期が、私たち家族の土台になっていると感じる。

そんな親のもとで育ったせいか、長男は今年大学を休学し、来年の途中から大学に復学予定。この一年、インターンしたり、バイトしたり、色々な人との出会いを通して人生の方向性を模索しながら、なんとなく進む方向性が見えてきた。

高校の同級生は今年就活の年で、みんなが頑張って就職先がどんどん決まっていくのを横目に見て、多少の焦りもあったようだが、親を見ていたせいか根拠のない「どうにかなる」があったのだと思う。

大学2年生の次男は、勉強も部活もばりばり頑張るタイプでこれまであまり立ち止まってこなかった。ところが、大学が一年終わってフッと気が抜けたのか、今年の春ぐらいから気持ちが大きく乱れた。休むことを勧めたが、悩んだ末に今年は大学を休まないことにし、今年はバイトや友達と過ごすこと、行きたいところに思いのまま行くことを最優先。来年は「丸っと休むかもしれない」と言っている。

これまで、立ち止まらなかった次男が立ち止まったことにちょっと安堵している。来年に向けて色々考える時期かもしれないが、20歳の若者が「立ち止まってみる」というのは悪くないことだと思う。いや、むしろ良いと思う。

休むこと、立ち止まること、ただそこにいること。
緩やかに過ごすこと、前に進まないということは、日本では不安になることだけれど、長い人生の中でそんな時期があるからこそ、前に進んでいけるのだと思う。

子ども達が小さかった時、たくさん寄り道をした。
ちっとも時間通りに家に帰りつかなかったし、予定通りにことが進まなかった。
でも、そのお陰で、草の匂いを嗅いで、道端の虫を眺め、風の音を聞いて、空の広さを仰ぐことができた。

そのひとつひとつが私の人生を豊かにしれくれた。
子ども達が生まれてきてくれたことで、家族に困難なことがあったお陰で、私は歩みを止め、これまで気づかなかった、気づかないふりをしていた、多くの人に、多くのことに出会った。

休むこと、歩みを緩めること、立ち止まることは、あなたの人生を豊かにするよ。
だから恐れないで大丈夫。

これからも子ども達にそう伝えたい。
大人になっても決して忘れないでいてほしい。

そう切に願う。