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「最悪、逃げたっていい」


平凡な人生に、突き刺さったことばたち⑤

平凡なサラリーマンの私にも、人生の中に、忘れられない強烈な言葉たちがある。それを、エピソードと共に書いていくnoteです。書き溜められたら、記念の本にしよう。


【最悪、逃げたっていい】
社会人一年目が、終わりかけている頃の話。
私は学生時代と社会人とのギャップに、疲れ果てていた。

就職活動は、自画自賛出来るくらい上手くいって、何個も内定をもらって、納得の行く企業に就職を決めた私は、調子に乗っていた。
小さい頃から話す事も得意だし、営業職として輝く未来が待っていると信じていた。

しかし現実は全く甘くなく、会社という組織で、売りたくない商品をノルマのために販売しなければならない事や、嫌な上司の顔色を伺う日々が続いた。

自分で言うのもなんだが、純粋だった私は、お客さんが必要としていないような商品を販売する事にどうしても抵抗があり、それを素直に上司にぶつけたりして、今思うと面倒な新入社員だったと思う。
売上がない私の意見は、上司に見事に跳ね返されて「じゃあお客さんも自分も会社も納得出来るような販売方法を考えろよ。お前の給料はどこから出てるんだよ。」と言われ、私はどうしたらいいか分からなかった。

毎日終電まで、時には会社に泊まってまで働いているのに、やりがいを感じない仕事。
お客さんの元へ一件でも多く行けと言われるが、行っても販売をしたくない。それでも飛び込み件数、テレアポ獲得件数が毎日会社に張り出されて「頑張ります!!」と言わされる日々。

土日になると熱が出たり、体調を崩して、限界に近いと感じていた。
一年しか働いていないのに、辞めようと考え出して、学生時代まで自分が持っていた自信が、木端微塵に壊れていった。

何となく新しい仕事を探しながら、でも、本当にたった一年で辞めてもよいのだろうかと思い、両親に、重くならない感じで、辞めたいかもしれないと言ってみた。

「やってみて、駄目ならまぁ仕方ない。まだ若いんだから、最悪逃げたっていい。また別の事をやればいい。頑張ってだめなら仕方ない。」

父親が言った。私にとって、意外な返答だった。
父親は、規模は小さいが会社を経営していて、もう30年以上になる。
学生時代には分からなかったが、お金を稼ぐ事がどれほど大変か、働いている今なら分かる。
その父親が「逃げてもいい」と言ってくれるのは、私にとって大きな一言だった。
もちろん、逃げたままになるのは行けないけど、ここでいう逃げる、は、別の道を探すという意味だろう。

世の中には、やってみないと分からない事が沢山ある。学生時代には絶対出来ると思った営業の仕事が、私にはからきし向いていない。
会社の風土もあっていなかった。終電まで働いて、とにかくがんばります!と言い続ける雰囲気。

休みに友達と会えば、輝いていた学生時代の私を思い出して、現実とのギャップに悩み、でも、仕事でどうやってそんなはつらつとした自分を出せばいいか分からない。
会社の同期と終電前のラーメン屋で、愚痴で盛り上がる日々。それでもまた会社での朝が来る。

将来を考えた時に、この仕事を続けていられないと思った。
私は丸一年で仕事を辞めて、別の仕事を始めた。色々あったが、今はどうにかこうにかやっている。

今でも時々父の言葉を思い出す。仕事がものすごく大変な時、頑張って、頑張って、でもそれでもどうしようもない時は、もう仕方ないと思っている。それで、少し気が楽になる。
自分の限界までやって出来ないなら、それ以上はない。時々会社のメンバーにも、同じ言葉をかけたりする。「頑張ってやってみて、限界までやって駄目なら、仕方ないよ。悪くないよ。」

人には色々適性がある。今の仕事がだめでも、別の場所では輝けるかもしれない。
前向きに、色々な方向を探っていけば、きっといい風になる。

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