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「俺、バスで来たけど」


平凡な人生に、突き刺さったことばたち③

平凡なサラリーマンの私にも、人生の中に、忘れられない強烈な言葉たちがある。それを、エピソードと共に書いていくnoteです。書き溜められたら、記念の本にしよう。


【俺、バスで来たけど】
何年か前に、学生時代の友達の結婚式が、東京で開かれた。

その時私は東京に住んでおらず、東京に行くには夜行バスがお金もかからず時間も節約出来て効率的だと思っていて、結婚式に行く時も夜行バスを使った。

式の後、二次会などはなかったため、式に参加していた仲間と、東京に住んでいる別の仲間も加えて、学生時代の同じ学部の皆で飲みに繰り出した。

社会人になって数年、自由に出来るお金も増えてきて、そして集まった東京の夜。
散財しないはずもなく、居酒屋へ行った後、フーターズというウェイトレスがショートパンツで接客してくれるお店をはしごして、みんなでテキーラを飲む。
夜も更けてきて、酔った気持ちも相まって、誰かが仕事で使った事があるという銀座のキャバクラへ行く事になった。
ものすごく綺麗な女性たちが、飲み会に一瞬の彩りを添える。
お酒があり、女性がいて、背伸びして銀座のキャバクラにいる。私たちは全員、普通そうな顔をして、みんな浮ついていた。自分たちは一人前の大人になったような気分で、延長して、お酒を奢って、会計12万。12万!
目が覚める。
そこにいたのは5人だから、1人2万円ちょいの計算。
まぁそれくらいはするものなのだろうが、酔っていて誰もあまり金額を気にしていなかったので、金額に驚いて、みんなが黙る。
お店に変な空気が流れて、でも支払いしないといけないので、誰かが立て替えてお店を出る。

話し合いをするためにまた居酒屋に入るが、最初にいた居酒屋のはっちゃけた雰囲気とは打って変わって、支払いをどうするかという話で空気が重くなる。
今考えると、2万円ちょいくらいなら、払って終わりにしよう、そんなもんだろ、くらいだが、一回の飲み代で12万というのが、当時の私たちとってあまりにびっくりする額だった。
また自由に使えるお金が増えたと言っても、金銭感覚的にまだ学生側に寄っていたというのが、この重い空気の一番の原因だと思う。
もちろん学生の時も、2万3万の服くらいなら買っていただろう。でも、飲みで2万はない。だからこそ、びっくりして、誰もがやり過ぎた、支払いがイタい…という気持ちになっていた。

話し合いはヒートアップして、誰がキャバクラに行こうと言い出したんだとか、延長を最後に承諾したのは誰かとか、不毛な議論が居酒屋に響く。
そのうちに、仲間の一人であるHが「●●と××(私の名前)は地方から東京に来たんだから、交通費もかかっているし、今日はホテルにも泊まらないといけない。かわいそうだから、俺たち東京に住んでいる人で多く払おう。」という案を出してきた。
すると、東京に住む別の仲間のKが「それはおかしい。どこに住んでいるからとかではなく、キャバクラに行くと決めたのは全員で、延長したのも全員の総意だから、全員で分けるべきだ。俺は払わない!」と言い出した。
みんな大分飲んでいたので、HとKの話し合いはものすごい激論になり、さらに、その間に俺は別に地方から来たけど2万払っても良い、俺は出来たら少なくしてもらえると助かるなど別の意見も混じってしまい、収集がつかなくなる。

業を煮やしたHが大声を張り上げて「こいつらは地方から往復2万以上かけて新幹線で来て、1万くらい使ってホテル泊まって、俺たちは式には参加してないけどこいつらはご祝儀の3万も払ってるんだぞ! 何も思わないのか!」
と叫ぶように言った。HとKは、今回の式には呼ばれてはおらず、式が終わった後に合流したメンバーだった。
Kも譲らず「こいつらがお金を沢山払った事は、大変だなとは思うけど、それと今回の件は別の話だ!」とまた声を張り上げる。
遂には居酒屋側から「他のお客様もいらっしゃいますので」と注意されてしまう始末だった。
ドラマなどで聞くセリフを、生ではじめて聞いた。「他のお客様もいらっしゃいますので。」

「あのさ。」
満を期して、私。
「俺、バスで来たけど。新幹線じゃない。夜行バス。」
「お前黙ってろよ!!!!」
Hがさらに怒鳴り散らかす。ビックリマーク4個分くらい。話を整理しているのに、全然違う方向の「夜行バスで来た」という話。
他の人はみんな新幹線で来ていたが、私は節約のために夜行バスで来ていた。社会人にもなって、背伸びしてたくせに、夜行バス。銀座のキャバクラ、夜行バス。スーツを折り畳んで、バスの上の荷物入れに置いて、朝式場で着替えて、シワを気にしながら、夜行バス。

私のせいでさらに変な空気になり、しかし結局Hはそんな事なら俺が払う! と近くのコンビニでお金をおろしてきて全員に渡して、それも違うだろうと、最終的にHと Kの東京組は多めに払うと言うことで落ち着いた。

ただ、その時あれだけ話し合いがヒートアップしていたのに「バスで来たけど」という情けないし妙な情報をそのタイミングで入れてきた私はなんなんだと、今もたまに飲み会で、その時の話が笑い話で出てくる。

何年も笑える話になったなら、あの時の12万も、価値あるものだったのだろうと、今も思う。

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