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「ぎっちりやらんといかん」

平凡な人生に、突き刺さったことばたち11

【ぎっちりやらんといかん】

私は幼い頃、祖父の事が大好きだった。
いつも自分の好きな喫茶店に私を連れていき、店員さんや常連さんと楽しそうに話していた。
水泳が趣味で、仕事を退職してからは、アルバイトでプールの監視員をやったり、障がいを持つこどもたちに水泳のコーチをしていた。大会で沢山金メダルをとって、いつも私にそのメダルをくれた。
一緒に寝ると、戦争の時に爆撃があると、海の魚が沢山海辺に流れ着いてくるから、それをみんなで拾いに行ったと言っていた(本当かどうか分からないが…)。祖父の昔の話を寝る前に聞くのは好きだった。

とにかく自由な人で、海外にも一人で行ったり、私を連れていきなり思い立って車で何百キロも走って自分の地元の高知県まで行った事もある。当時は携帯なんてないから、家族はみんな本当に驚いたそうだ。
水泳のおかげで引き締まった体をしていて、おじいさんなのに髪は長くてショートボブくらいあった。しかも天パーだったので無造作にその髪がなびいていて、かっこよかった。
破天荒でお調子者で、いつでも優しい。
みんなの人気者だった。

私は自分で言うのもなんだが、かなり真面目だと思うが、ふと、服を選ぶ時や、こどもと話している時に「あ、今おじいちゃんぽいな。」と、祖父との血のつながりを感じる時がある。
無意識のファッションセンスや、ことばの選び方、子供との接し方。そんな時、なんとなく嬉しくなる。私もいつか誰かの好きのままで、年老いていけたらいいのにと思う。

そんな祖父も、80歳近くなるとだんだんボケてきて、感情的になったり、よく分からない事を口走るような事もあった。

私は悲しかったが、それでも定期的に祖父に会いに行っていた。
30歳にさしかかる頃に、仕事に悩み、退職して新しい仕事を探すものの、なかなか見つからない状況が続いていた。
無職で3ヶ月ほど実家で暮らしており、精神的にもかなり参っていた。

そんな時に、祖父の元を訪ねて、近況報告をしていた。話をしても、聞いているのかいないのか、返事もとんちんかんになっていたが、何となく報告をしていた。
なかなかいい仕事が見つからないよ、疲れたよ、というような事を話すと、それまで寝たきりで天井を見つめていた祖父が
「ぎっちりやらんといかん。最後までやらんと。」と言った。はっきりした言葉だった。

私はびっくりした。それまでぼーっとしていた祖父が、いきなりはっきりと意志のあることばを話したから。

そして、次の日に祖父は亡くなった。

ボケてしまって、頭が混沌としていたと思う。
でも、好きだった孫が困って何かを話している。その時祖父に、何か光が見えたのだろうか。
はっきりと私に言ったのだ。

死ぬ直前、体も辛かっただろう。それでも、最後の信念が、私に何かを伝えたのだと思う。

私も、そうでありたいと思った。
人間、歳をとってボケてしまうのは仕方がない。
でも、信念だけは失いたくない。死ぬ直前まで、山に登って登って、山頂の直前で果てたい。
祖父の
「ぎっちりやらんといかん」の一言には、祖父の信念と生き様が現れていた。自分もそうしていたであろうし、誰かに最後までそれを伝えようと言う心の奥底に固い意志があった。
だから、ボケても、それだけははっきり言えたのだと思う。

漫画や小説みたいな話だけど、本当の話だ。

ふざける信念、みんなを楽しませる信念、優しくある信念。沢山の大切な事を、祖父に教えてもらった。

ジムへ行って、水泳をする時に、冷たいプールの水の中で、今も時々祖父を思い出す。60歳だったのに、腕にまんまるな力こぶをつくっていた祖父。ロン毛の白髪で、いつも笑っていた。
自分の孫がもしもいたら、おもしろいじーさんだな、私もそう思われて果てたい。そうだったら、人生は最高だ。

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