『嫌われる勇気』

岸見 一郎・古賀 史健 著 ダイヤモンド社

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かつて大ベストセラーとなった本著を今更ながら読んでみました。

今から何年前でしょう…結婚してしばらく経った頃でしたので15年くらい前のことでしょうか、妻と二人東京観光に出掛けた夜に寄席に立ち寄りました。私が落語好きということで寄ったのですが、夜の部の頭からトリまでじっくり楽しませてもらいました。

その日のトリは柳家小三治師匠でしたが、その日の演者の中で私の心を一番掴んだのは柳家一琴師匠、お恥ずかしながらそれまで名前を存じ上げませんでした。

あまりにもその語り口に引き込まれてしまい、帰宅後に一琴師匠のブログ(当時はSNSがなかったので)からファンレター的にお礼のメールを送りました。するとご本人から恐縮したようなメール返信をいただき、その中で師匠が「1冊のノートで人生が変わるのか?」というメールマガジンを配信していることを知りました。

この「1冊のノートで…」というのは、こちらも自己啓発書として大ベストセラーの『7つの習慣』に基づきノートで行動管理をしているお話。さっそく『7つの習慣』を購入し読んでみると…この本の中に何回も登場する「パラダイムの転換」という言葉、これを実感する内容でそれ以来この本は私の行動、価値観の主軸をなす、まさに「聖典」となりました。

それから10数年後、あまりテレビを好んで観ない私が唯一楽しみにしているテレビ番組Eテレの「100分de名著」で心理学者アルフレッド・アドラーの『人生の意味の心理学』が取り上げられました。

この番組を観た瞬間に『7つの習慣』の著者スティーヴン・コヴィー氏の思想の根幹は、アドラーの心理学にあることに気づきました。

この「100分de名著」がかなり話題になり、このことが解説の岸見氏が共著したこの『嫌われる勇気』がベストセラーになるきっかけとなりました。

普通であればこの時点でこの『嫌われる勇気』を手にとってもおかしくないのですがなぜ今日まで読まなかったのか?

もちろん「100分de名著」を観たことにより私がアドラーの思想にのめり込んでったことはいうまでもありません。

私は経済の大学に進学し3、4年の時のゼミの専攻は「日本経済思想史」。その時の担当教授に「その人の思想に触れる場合はまず原典を読みなさい。近頃、童門冬二氏の『上杉鷹山』を読んで鷹山を高評価している人がいるが、あれは鷹山の思想ではなく童門氏の思想、童門氏の思うところの鷹山の物語なのです。」と言われたことがずーっと頭にあり、アドラーについても彼の思想に関する解説書ではなく『人生の意味の心理学』や『子どもの教育』といった彼自身の著作を直接読む方に行ったからです。

それではなぜ今になってこの『嫌われる勇気』を読んでみたのか?

私は『7つの習慣』やアドラーの心理学に触れてからは「全ての事象は自分の反応に起因している」と思うようになりました。

『嫌われる勇気』でも書かれているように、アドラーは今の自分は過去の出来事によって規定されるとする「原因論」や「トラウマ」を否定します。私自身は過去の出来事が今の自分に何も影響を与えないとは思ってはおらず、多いに影響を及ぼすものと考えますが、これは正確にいうと過去の出来事が及ぼす影響というより「過去の出来事を自分がどのように捉え反応するか」ということが影響するということなのです。

私は父が転勤族だったことで高校生になるまでは住まいが3、4年おきに変わっていました。小学校は6年間で3つの学校に通いました。この話をするとほとんどの人に「大変だったね」と言われますし、当時の私も親父から「転勤することになった」と言われるたびにその場では平静を装い、夜布団の中で何回号泣したか分かりません。でも、その後は特に悩むこともなく、逆に「どこでも暮らせる」「そのお陰で俺は長野県の隅から隅まで知り尽くしている」という自信に繋がっています。

ここのところのコロナ騒ぎ、SNS上でも様々な意見が見られます。もちろん中には私としては眉をしかめる「それってあんたの都合じゃないの?」っていう言葉も見受けられます。もちろん人それぞれ考え方があるのでそれも理解できないわけではないですし、「コロナの影響で収入が減っていないあなた(←俺のことね)には私の気持ちは分からない」と言われてしまうかもしれません。

SNS上での「あなたが好きで始めたことなんだから仕方ないじゃないか」という反論、それに対する「生きるか死ぬかの話をしているときに『仕方ない』という言い草があるか!」という更なる反論…そんなのを沢山目にしていたらふとアドラーの思想を思い出したわけです。

私もそうですが人は窮地に追い込まれてどうしようもできないときはその原因を周りに探したくなる傾向にあります。

原因を自分以外の周りから見つけること自体は私自身は当然のこと、悪いことではないと思いますが、その自分なりに思う原因に対してどのように反応するか?対応するか?が大切だと思っています。

他人や周りを変えることより自分を変えることの方が断然に楽だしスピードも速い。「安部首相は何をやってるんだ!」「トランプはまた訳の分からないことを言っている!」「中国は何を考えているんだ?」と大声で叫んでみたところですぐにどうこうなるものではありません。もちろん、おかしいな?と思うことに声を上げることを続ける必要はあります。ただ、今の自分が集中すべきことは「今自分にできること」「自分が影響を及ぼすことができること」ではないかと思うのです。今の自分の状況を受け入れ「今の自分にできること、今の自分がすべきこと、今の自分がしたいことはなんだろう?」…このような危機的な状況下でなくても日常からこのような心構えでいたいものだなとあらためて思うのです。

こんなことをいうと「自己中心的」と捉える方もいらっしゃるかもしれませんが、「自分を中心」ということではなく「自分を大切」にすること。周りの人も自分と同じように「自分を大切」していると思えば、自ずと他人に対しても思いやる気持ちが出てくる。ただし、自分に満足をしていないと他人を思いやる気持ちも生まれてこない。

少林寺拳法の開祖・宗道臣師の教えに「半ばは自分の幸せを 半ばは他人の幸せを」という言葉があります。これはこの順番が重要で、まずは自分。自分が幸せでないものが他人の幸せを願うことができるはずはない。でも、自分が幸せを感じられたら、その気持ちの半分を他人に対しても持ってあげなさいという言葉です。

そして少林寺拳法の練習前に皆が唱える言葉…

「己こそ己の寄るべ 己を措きて誰に寄るべぞ よく整えし己こそ まこと得難き寄るべなり」

私が大学時代4年間汗を流した少林寺拳法の教えはアドラーの思想に通じていたのだ!と感銘も受けたのであります。

本著の終わりの部分で紹介されるアドラーの言葉、「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたに関係ない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。」

僕のオススメはこの『嫌われる勇気』などアドラーの心理学に触れる前にぜひともスティーヴン・コヴィー氏の『7つの習慣』を一読してもらいたい。そうするとアドラーの考えがスーッと体に染み渡るだけでなく、その考えをどのように日常生活に取り入れていってよいかが分かりやすくなると思います…「論語読みの論語知らず」にならないためにも(笑)

アドラーの考え方は私が他のマガジンで掲載している「自分の『♪』みつけ」にも多いに役立つ…というのは、私の「自分の『♪』みつけ」は彼の考えに基づいて書いているからです。

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